「トドさんすう」によって何が変わったのか #5 教材の配列
足し算の練

習用教材・プリント、長さの学習用教材・ワークシート、買い物学習練習用教材・シミュレーション教材など、学習させたい単元や内容を切り取り、ピンポイントな形で教材を作ることは、もちろん可能です。そして、それを児童生徒個々の理解度や認知特性などに合わせて作ることもできます。
その子にあった教材を作ることは、特別支援教育の教師ならだれでも行っていることであり、むしろそれが専門性でもあります。
私もたくさんの教材を作ってきました。もちろん今も作っているし、それを使って指導もしています。最近ではバイブコーディングによって、タブレット端末で動くピンポイントな内容のデジタル教材も作れるようになりました。
ただ、作った教材をまた違う生徒に使うか、というと、その機会は意外に少なく、結局は新たに作り直していることが多いのではないでしょうか。よって、教材を共有化していても、他の教師が以前作っていた教材をそのまま使うことはそれほど多くなく、参考にする程度で、自分の手作り教材を年々と増やしていく、というのが実際のところでです。(もちろん、一般に販売している教材なども取り入れていますが)
年々と教材ストックを増やしていくことは良いのですが、作ってきた教材の系統的、段階的的なつながりがあるのか、と言われると、恥ずかしながら、それを意識して作ってきたわけではありません。
その単元対応、その時のピンポイントな学習に対応するだけの教材にとどまっているというのが正直なところです。
一つの単元レベルで段階的な学習のある教材を作る、ということろまではありますが、その単元の学習内容の前後のつながりや、横に関連する教材まで網羅できるようにしているのか、というと、できていません。
たとえば、一桁同士繰り上がりのない足し算の学習単元として、難易度を考慮しながら、8時間分の教材を作ることはできますが、その学習に入る前に達成しているべき課題の教材と、8時間分学習した後の続きとなる次の段階の内容の教材は作っていないのです。
前段階の学習としては、5までの数のサビタイジングができていること、5までの数の合成分解ができていること、二つの量を合わせると増えるという概念が理解できていること、その具体物操作ができていること、話を聞いて二つの量が合わさるといくつになるかをイメージできること、具体物の個数を数字として表せることなどがあります。それらが達成できていることをアセスメントしたうえで、ようやく「足し算」という記号操作の世界に入れます。
そして、「足し算」として、数字と式での操作ができるようになり、繰り返しの学習で十分に記憶し理解できたら、その続きの学習はどうするのか、この学習と関連する他の内容は何なのか、そこまで考えて、教材を作っておく、というのが正解なのでしょう。
ただ、これを一人の教師がすべてを網羅して教材化することは不可能に近いことです。
小学校以降の教材は、これらが整備されていますが、就学前の内容の教材はなかなか整っていない、というか、学校の現場では導入されていないことが多いと感じています。(くもんなどはその学習内容がシステム化されていて教材として作られているでしょうし、いろいろな教材会社さんも作っていないわけではないのです。ただ、学校現場では諸事情で使うことができない、ということです。)
教科全体を見通して、一つの単元に限らず、その教科の認知的な基盤を作る段階から、基礎的な内容までをシームレスにかつ必要な領域をすべて網羅した形で教材を組み立て、そのように配列されていることが理想です。
このレベルになると、もはや一人の教師の力で作り上げるのはとても難しく、ましてやタブレット用のデジタル教材となると、そのための膨大なプログラミングは途方もない作業になります。
この点についても「トドさんすう」はち密に考えられて組み立てられています。アメリカの共通基礎スタンダードをベースにして、カリキュラムを構成し、そこにそれらを段階的に学習できるようにするためのプログラム、つまり教材を配列しています。
これも単純にレベルさせていくわけではなく、数、計算、図形、量、統計などの各領域を様々な形でプログラムにしたものを配置し、また下位のレベルの問題も随時混ぜています。
そのようにして、まさにスパイラルに上位の課題に到達できるようにしてあるのです。
領域それぞれの教材もそのち密さに驚きますが、それらを考えて配列した「きょうのぼうけん」モードには恐れ入ります。知らず知らずに、算数に必要なあらゆる領域の内容を、薄紙を一枚ずつ敷き詰めていくかのように、着実に習得させて、上位の課題へと導いているのです。
教材を作る、カリキュラム・単元を構成するという観点でも、とてもどころではないくらい勉強になっています。
