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『夢は竜馬の如く世界を駆け巡る』    『いよいよアメリカへ』 改訂版

南部ミシシッピ州へ行く

山籠りを始めてから、およそ一年が過ぎていた。

 毎朝決まった時間に起き、夜は決まった時間に眠る。本だけは一日たりとも手放すことはなかった。街の喧騒から離れた生活は、今振り返れば「快適」で「心地よい」時間だった。しかし、その当時の私は、そのようには感じていなかった。

 テレビもラジオもない、文明とは程遠い生活だったが、不自由さを感じることはほとんどなかった。ときどき大阪の古書店街へ出かけ、アメリカ留学に役立つ本を探した。特に英語の勉強には力を入れ、NHKの英会話教材を購入して独学を続けた。

 しかし、語学を一人で学ぶことには限界があると感じ、週に二回、アメリカ人講師の英会話教室へ通うことにした。生徒は三人だけで、授業中は英語しか使えないという厳しい教室だった。教室で知り合った日本人女性の誘いで、その子どもたちと遊ぶ機会もあり、久しぶりに楽しい時間を過ごした。

 ところが、高い授業料を払っても、英語力が大きく向上したという実感は得られなかった。

 冬が近づく頃、今度はアメリカ留学経験のある日本人講師から英会話を学ぶことにした。受講生は、私と若い新聞記者、そして主婦の三人だった。こちらでも英語が自由に話せるまでには至らなかったが、それでも留学への気持ちは変わらなかった。私はアメリカ留学を決意し、ビザの取得手続きを進めた。

 次に考えなければならなかったのは、留学先をどのように選ぶかである。

1. アメリカの東部・西部・南部・北部の、どの地域で学ぶか。

2. どの大学の語学学校を選ぶか。

3. 授業料や生活費はどの程度必要か。

 当時は、大学の語学学校を紹介した書籍を頼りに候補を探した。大学との連絡手段は、手紙かファクスしかなく、資料を取り寄せるだけでも何週間もかかった。現在のようにインターネットで情報を検索し、メールで問い合わせることなどできない時代である。

 そのため、英語に自信のない多くの留学希望者は、留学手続きを専門業者に依頼していた。私も、自分一人で手続きを進められるのか、不安を抱えながら準備を続けていた。

留学先を決めるにあたり、私は三つの条件を考えた。

第一に、寒さが苦手だったため、できるだけ暖かい南部の州を希望した。

第二に、授業料が比較的安いこと。そして、英語力に自信がなかったため、8週間ごとに修了できる英語語学課程を備えた大学を探した。

第三に、日本人留学生が少ない大学を選びたかった。日本人同士で行動していては英語は身に付かないと考えたからである。そのため、大都市ではなく、人口の少ない静かな地方都市で、勉強に専念できる環境を選ぶことにした。

 最終的に私が選んだのは、ミシシッピ州ハティスバーグ市にある**南ミシシッピ大学(The University of Southern Mississippi)**だった。ハティスバーグ市の人口は約5万人で、そのうち約1万人が大学の学生という典型的な学園都市である。

ミシュシュピー州

 大学とは何度も手紙をやり取りし、入学許可に必要な書類が届いた。そして、『アメリカ大使館で学生ビザを取得してください』との案内を受けた。

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州立南ミシュシュピー大学

ホノルル空港に到着

 出発して約六時間。飛行機はハワイ州ホノルル空港――現在のダニエル・K・イノウエ国際空港――に到着した。

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ダニエル・K/イノウエ国際空港

『もうアメリカなのだ。』

 その思いが胸に込み上げてきた。アメリカ本土へ向かう乗り継ぎ便であっても、入国審査と税関検査はここホノルルで行われる。いよいよ異国の地に足を踏み入れたのである。

 機内のドアが開き、外へ出た瞬間、南国特有の熱い風が全身を包み込んだ。

  『何という熱風だろう。』

 日本とはまったく違う空気だった。肌を刺すような暑さに驚きながらも、『これがアメリカなのか』という感動が込み上げてきた。

 私は気の弱い人間である。未知の国へ一人で旅立つことへの不安は想像以上に大きく、出発前日まで風邪をひいて寝込んでいた。しかし、不思議なことに、この強烈な暑さを感じた瞬間、体のだるさはどこかへ消えてしまった。

そのとき、真っ先に頭に浮かんだのは母の顔だった。

『ありがとう。』

 なぜその言葉が自然に、口をついて出たのか、自分でもよく分からない。ただ、ここまで育ててくれた母への感謝の気持ちが、自然にあふれ出てきたのである。

こうして私は、人生で初めてアメリカの大地に立った。


 当時は、現在のようにインターネットで手続きを進めることはできず、すべて郵便によるやり取りだった。書類が届くまで何週間も待つことは珍しくなかった。

そ の後、私は大阪にあったアメリカ総領事館(当時)へ出向き、学生ビザを申請した。いよいよ、長年夢見てきたアメリカ留学が現実のものとなろうとしていた。


 入国審査官はとても親切だった。多くの審査官は日本人旅行者への対応に慣れているようで、日本語を理解できる人もいた。そのため、心配していたほど下手な英語を使う場面はなかった。

 しかし、ここはまだハワイである。この先、アメリカ本土へ渡れば、英語だけの世界が待っている。「いつか審査官と流暢に英語で会話できるようになりたい。」そんな思いを胸に抱きながら、私は入国審査と税関検査を終えた。

 学生ビザの確認には一時間以上かかり、すべての手続きが終わるまで約二時間を要した。それでも、ようやくアメリカへの入国が認められた喜びの方が大きく、待ち時間を苦痛に感じることはなかった。

 空港内では、日本人留学生と思われる若者を六十人ほど見かけた。しかし、誰とも言葉を交わすことはなかった。これから先、どのような出会いや出来事が待っているのか分からない。不安もあったが、それ以上に新しい世界への期待で胸がいっぱいだった。

 すべての入国手続きを終え、私は次の目的地である『カリフォルニア州ロサンゼルス』へ向かう国内線に乗り込んだ。


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