見出し画像

老人と猫(34)——ひたすらかわいい

 くどくどと同じことを申し上げて恐縮だが、ペットといわれる犬や猫の動物たちはすべてお見通しらしい。
 なにを? そう、こちらの“想い”を、である。

 犬や猫を飼っている方たちが、異口同音でおっしゃるのは、「すべてわかっている」という感想であり、確信だ。
 そう、すべてわかっている。

 平安時代に編纂された『今昔物語集』に、狐が、「自分たちは人間と違って嘘はつかない」というくだりがある。そうだろう。言葉を持たない彼らに「嘘」という概念はない。想いがすべてである。
 だから、人間のようにけがれていない。猫もまた同じである。

 ぼくがパトラにわかってほしかったのは、言葉であれば簡単だが、心象風景イメージで直接伝えるのはなかなか困難だった。それが伝わった日から、ぼくがやめてほしい、見たくないと思っていた“怖い顔”がパトラから、ふっとかき消えた。
 いまも、ひたすら穏やかとはいい難いが、まるでぼくをにらみつけるような怖い目をしなくなった。

 理由は明快だった。あることをきっかけにこちらの望みをイメージした。パトラに伝える気はまったくなかった。ただ、思いをイメージしてフェイスブックに愚痴っただけである。ただそれだけだった。

 毎朝歩く散歩コースの家の駐車スペースで、アビシニアンが涼んでいた。穏やかな顔で……。アビシニアンの、用心しながらそれを感じさせないで、しかも、涼しげな表情がうらやましかった。
 その想いをフェイスブックに、パトラを意識せずに書いた。パトラに伝えるつもりはないので愚痴にも等しい。それが前述した“あること”だった。

 パトラはぼくの心象風景をしっかり見ていた。その日を境にパトラの怖い顔が消えた。ぼくが勝手に、あるいは、ひそかに望んでいたとおり、にらむような表情がなくなった。ぼくの希望を悟ったとしか思えない。
 いまも抱かれたくないから、用心深さがまったくなくなってはいないが、それでも短時間であれば抱かせてくれる。自らすすんで喉も撫でてよくなった。

 もう怖い顔はまったくなく、かなりゆるんだ顔に変わってしまった。むしろ、ゆるんだ顔にふさわしい猫になった。顔にあわせた性格を見せるようにもなったのである。とても穏やかな猫だ。予測していない変わり方だった。

 正直なところ、いっとき、アビシニアンをとてもかわいいと思った。だが、パトラの性格の急変以来、いまはパトラだけがひたすらかわいい。

いいなと思ったら応援しよう!