「生命力を信じる」とは、どういうこと?
「生命力を信じましょう。」
この言葉を聞くたびに、夫の闘病中である当時の私は苦しくなっていました。
生命力を信じたい。本当は信じたい。でも、どうしても信じられなかった。
なぜなら私にとって生命力とは、
「病気が治る力」だと思っていたからです。
今なら、その言葉にうなずける私もいます。
でも、夫の闘病中の私は、そんなふうには思えなかったのです。
食事を変えれば。
生活習慣を整えれば。
もっと良い情報があれば。
もっと良い薬があれば。
もっと私が頑張れば。
もっと祈れば。
何かをすれば、何とかできるのではないか、そう真剣に思っていました。いや、そう思わなければ怖かったのです。
夫の生命力を信じられなかった私がいたのです。
私は生命力の意味を取り違えていた
夫が亡くなってから気づいたことがあります。
「夫も、自分の生命力を信じてもらえなくて苦しかったかもしれない。」
そう感じるようになったのは、七回忌を過ぎた頃でした。
あの頃の私は、そのように考える余裕はありませんでした。
生きていてほしい。その一心だったからです。
七回忌を過ぎた頃から、私の中で少しずつ変わってきたことがあります。
もし今、私自身が病気になったとしても、病状が思うように良くならなかったとしても、私は、自分の生命力を信じていたい。
そして、大切な人にも、「あなたの生命力を信じているよ。」
と言ってもらえたら、どんなにか、心強いだろうと思うのです。
私は、生命力とは、病気が治る力だと思っていました。だから、治る見込みが少なくなっていくにつれて、「生命力を信じる」という言葉が苦しくなっていったのです。
でも、凪になった今は、少し違う視点が見えています。
生命力とは、治ることではなく、その人が、その人として生きようとする力。
だから私は、こんな問いを大切にしたいのです。
生命という限りある時間の中で、私は何を大切にして生きたいのだろう。
誰と、どのような時間を味わいながら歩んでいきたいのだろう。
思い通りにならない人生の中で、それでも守りたいものは何だろう。
その問いを抱えながら生きた先に、
何を残すのだろう。
どんな想いが、誰かの中で生き続けていくのだろう。
「その人が、その人らしく人生を生きようとする力。」
私は今、それを生命力と呼びたいと思っています。
夫の死後、訪問看護の仕事で多くの方のお看取りに関わる中でも、私は同じことを感じています。
「生命力」とは、何なのでしょう。
私はまだ、その答えを持っていません。もしかすると、この問いに答えが出る日は来ないのかもしれません。
それでも私は今日も、一人ひとりの生きる姿から、「生命力とは何か」を学び続けています。
