UIデザイナーの僕が 電子書籍を読めない理由を考える
サイバーエージェント DXDesign室のヒロトです。
普段はUIデザインをしています。
突然ですが、みなさんは日頃、学習したいコンテンツがある場合どうやって勉強しますか?
僕は勉強するとき、本を読むことが多いです。
で、必ずと言っていいほど紙の本を選んでしまう。
今の時代、電子書籍の方が便利なのはわかってるんですよね。

すぐ取り出せるし、持ち運びも楽だし、本棚のスペースも取らない。
でも、読めない。
なんでだろう、とずっと思っていたので、
自分なりに考えてみました。
結論:「すぐ取り出せる」が読書の集中を奪う
電子書籍が読めない一番の理由は、これだと思います。
「すぐ取り出せる」って、本当は便利で正義だと感じます。アクセスしやすい、摩擦がない。普通は良いこととされている。
でも、電子書籍の場合これが逆に働いている気がするんですよね。
具体的に、僕に何が起きているかというと。
電子書籍で本を読み始める(最初の数ページは集中できる)
↓
でもちょっと難しい箇所に差し掛かると
手が止まる
↓
そして、ふと気づくとYouTubeを開いている。

本当に「ふと気づくと」なんですよね。
意識的に「YouTube見よう」と思ったわけじゃない。なんとなく指が動いて、気づいたら開いている。
同じ端末の中に、YouTubeもTikTokもXも全部入っている。
それが「すぐ取り出せる」状態にある。
読書という「ちょっと負荷のかかる行為」と、動画という「負荷ゼロの娯楽」が、同じ距離に並んでいる。
でも、紙の本だとこうはならないんですよね。
なぜなら、もしYouTubeを見たいという誘惑に駆られても、
本を置いて→スマホを取り出して→アプリを開いて…というステップが必要になるからです。
この「ちょっとした面倒くささ」が、抑止力になっているのではと考えています。
紙の本は「それしかできない」から、集中できる。
電子書籍は「なんでもできる端末」で読むから、集中が続かない。これって、電子書籍のUIが悪いとかじゃないんですよね。
電子書籍アプリ自体は、よくできていると思う。読みやすいし、ハイライトも引けるし、検索もできる。
問題は、電子書籍アプリの「外」にある。同じ端末の中に、もっと楽しいものが無限に入っている。そっちへのアクセスが、あまりにも簡単すぎる。
「すぐ取り出せる」は、読みたいコンテンツだけじゃなくて、誘惑もすぐ取り出せてしまう。
あと、電子書籍はシンプルに「操作手順」が多い
もうひとつ、触れておきたいのが操作性の話です。
まず、紙の本って、気になったページにすぐ飛べるんですよね。
気になったページに飛びたいとなった場合
[本の場合]
パラパラめくって
↓
「あ、ここだ」と指で押さえる。
1秒でできます。
しかし、電子書籍だと手順が多く、機械的になります。
気になったページに飛びたいとなった場合
[電子書籍の場合]
メニューを開いて
↓
目次を選んで
↓
章を選んで
↓
タップして…
手順が増える分、「ちょっと戻りたい」が億劫になるんですよね。
実際に、iOS公式アプリであるApple Booksでは、
紙の質感や雰囲気をデジタルに落とし込んでおり、インターフェースはとても素晴らしいです、
しかし、ページ移動するための「手順」においては
ボタンのタップ数などを踏まえると多さを感じてしまいます

紙の本は「物理的な操作」で完結する。
電子書籍は「インターフェースを介した操作」になる。
この差は小さいようで、読書体験の快適さにはけっこう効いてくるのではないでしょうか。
ただ、これはメインの問題じゃない。
集中できるなら、操作性は慣れでカバーできる。
やっぱり一番は、集中できないことなんですよね…
でも漫画は読める、なぜ?
ここでひとつ、自分の中で矛盾があることに気づきました。
僕、漫画は電子書籍で読めるんですよね。

学生時代から、漫画は電子で読んでた。今も普通に読める。勉強本は読めないのに、漫画は読める。
同じ電子書籍なのに、なんでだろう?
考えてみると、僕にとって漫画は「集中」がいらないんですよね。勉強本は「理解しよう」として読む。内容を頭に入れようとする。
だから負荷がかかる。負荷がかかると、脳が楽な方に逃げたくなる。
でも漫画は、絵を眺める感覚で読める。
ストーリーは追うけど、「理解しよう」という力みがない。
流れるように読める。だから、誘惑に負ける隙がない。
もうひとつ思ったのは、漫画は「中断しても平気」ということ。
勉強本は、途中でやめると「どこまで読んだっけ」「何が書いてあったっけ」となる。文脈を思い出すのに労力がいる。
漫画は、途中でやめても絵を見れば思い出せる。再開のハードルが低いと感じます。
だから、たとえYouTubeに逃げても、また戻ってこれる。
勉強本は、一度逃げると戻ってくるのが大変。だから最初から「逃げたくない」環境、つまり紙の本を選んでいるのかもしれない。
整理すると
ここまで考えて、自分の中で整理できてきました。
「すぐ取り出せる」は基本的に良いこととされている。アクセスしやすさ、摩擦のなさ、便利さ。
でも、「すぐ取り出せる」は「すぐ他のことも取り出せる」とセットなんですよね。
しかし、集中がいらないコンテンツなら、これは問題にならないと思います。漫画みたいに、流して読めるものなら大丈夫です。
でも集中が必要なコンテンツだと、この便利さが逆に働く。
誘惑がすぐそこにあるから、集中が持続しない。
「便利さ」と「集中」は、トレードオフの関係にあるのかもしれないです。
仮説:どうすれば電子書籍を読めるようになるのか?
ここでは、そんな僕でもどうすれば電子書籍で勉強本が読めるようになるのか考えてみました。
僕の仮説は、「それしかできない環境を作る」です。
ひとつは、専用端末を使うこと。

KindleとかKoboみたいな、電子書籍専用の端末。あれなら、YouTubeもTikTokも入ってない。本を読むことしかできない。
紙の本が集中できるのは「それしかできない」からだった。なら、電子書籍も「それしかできない端末」で読めば、同じ効果が得られるんじゃないか。
まだ試してないけど、これは一度やってみたいと思っています。
もうひとつは、スマホの集中モードを使うこと。

iPhoneなら「集中モード」で、特定のアプリ以外を一時的に通知をオフにできる。電子書籍アプリだけ使える状態にして、他のアプリを封じる。
これも「それしかできない環境」を擬似的に作る方法ですよね。
ただ、自分で設定して自分で解除できるから、意志の弱さに負ける可能性はある。専用端末の方が強制力は高い気がします。
まとめ
電子書籍が読めないのは、僕の意志が弱いからだと思ってました。
でも考えてみると、意志の問題じゃなくて、環境の問題だった。
「すぐ取り出せる」便利さが、「すぐ誘惑も取り出せる」危うさとセットになっている。集中が必要なコンテンツには、この構造が向いていない。
UX的には「すぐ取り出せる」は正義。でも、全部がそうとは限らない。
集中が必要なものには、「それしかできない」不便さが、むしろ価値になる。
紙の本が生き残っている理由は、ノスタルジーだけじゃないのかもしれません。
便利さを手放すことで得られる集中がある、というのは、けっこう面白い逆説だと思っています
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
