【魂の声で唄う #63】愛のメモリー——Love Story Series #30「愛のメモリー」に寄せて——
配信日:2026年6月21日
アーティスト:松崎しげる
作詞:たかたかし/作曲・編曲:馬飼野康二
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第一章 — 12歳の夏、画面から溢れた光
1977年の夏。テレビの前に座っていた12歳の私は、CMが始まった瞬間、息を呑んだ。
画面の中に、三浦友和がいた。
誠実さがそのまま形になったような、
あの静かなオーラ。
そして——音楽が、来た。
Aメロの第一音から、空気が変わった。
普通のポップスではない。
ドラマが、始まった、と直感した。
そしてサビ。
「美しい人生よ かぎりない喜びよ」
その瞬間、鳥肌が立った。
皮膚が、音楽に反応した。
12歳の子どもが、理屈なく、魂で受け取った。
松崎しげる。
その声は、日本語の歌の文脈を軽々と超えていた。
どこまでも伸びるハイトーン。
裏声を一切使わない、地声の純粋なパワー。
人間の肉体から、あれほどの音が出るのか。
伊藤久男、尾崎紀世彦、布施明——
幼い頃から、ダイナミックな歌唱を持つ歌い手たちに心を奪われてきた。
その系譜に、あの夏、松崎しげるが加わった。
CMの最後に、コピーが出た。
「今、君は青春 グリコアーモンドチョコレート」
完璧だった。
歌詞の余韻に、その言葉が重なった瞬間、
胸の奥で何かが動いた。
今、君は青春。
12歳の私には、これから先の時間が、
無限に広がっているように見えた。
可能性という言葉の意味を、まだ知らないまま、
その感触だけを全身で受け取っていた。
その年、私は父の仕事の都合で
父に連れられてアメリカへ渡った。
「今、君は青春」——その言葉が、
背中を押していたのかもしれない。
アメリカで何があったかは、またいつか、
話す機会があるだろう。
あの夏のCMは、ただの30秒ではなかった。
12歳の私の細胞に、何かを刻んだ。
それが何であるかを理解するのに、
私は半世紀近くを必要とした。
答えは、声の中にあった。
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第二章 — この歌が要求するもの
この歌は、優しくない。
美しい旋律の内側に、
鋼鉄のような要求が潜んでいる。
歌い手に対して、一切の妥協を許さない。
まず、裏声が使えない。
正確に言えば——裏声を使った瞬間に、この曲は死ぬ。
「愛のメモリー」の世界観は、地声のパワーの上にしか存在しない。
あの突き抜けるような高揚感、あの肉体から溢れ出す生命力。
それは、声帯が限界まで震えることで、初めて生まれる。
そしてキー。
これを下げることも、許されない。
半音下げた瞬間、何かが消える。
音符ではなく、魂が消える。
この曲のキーは、この曲のためだけに設定されている。
それ以外の高さでは、別の歌になってしまう。
クライマックスに待ち受けるのは、
hiC——ハイC、高いドの音。
サビの頂点で「あー」と長く伸びる、あの一音。
日本の歌謡曲の文脈で、地声のhiCを要求する曲がどれほどあるか。
しかも一度ではない。
後半、転調が重なる。
一段階上がり、さらにもう一段階上がる。
スキャットの「AH〜」へと続く最終局面では、音階はさらに高みへと登り詰める。
鬼のようなフレーズの応酬、とは、まさにこのことだ。
だが——私には、逆説がある。
ハイトーンが得意な私にとって、この曲ほど心地よい曲はない。
音階が上がれば上がるほど、声が伸びれば伸びるほど、高揚する。
どこまでも広がる空のような感覚。
唄えば唄うほど、翼が生えてくるような自由。
技術的な「難しさ」と、肉体的な「喜び」が、この曲の中で同居している。
それがおそらく、「愛のメモリー」が半世紀近く歌い継がれてきた理由の一つでもある。
歌とは、要求である。
歌い手に、全てを差し出せと迫る。
その要求に応えた時だけ、歌は聴く者の魂に届く。
松崎しげるは、それを知っていた。
いや——その声が、最初からそのように生まれついていた。
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第三章 — 躊躇と決意
正直に言おう。
この曲から、長い間、逃げていた。
50代になっても、唄わなかった。
Love Story Seriesを積み重ねながら、この曲だけは、棚の奥に置いたままにしていた。
「いつか」という言葉で、自分をごまかしながら。
理由は、二つあった。
一つは、難易度だ。
hiC。地声。転調の連鎖。
頭では分かっている。技術的に、挑める曲だと。
しかし、歌い手というのは正直な生き物だ。
声は、心の状態を映す鏡だ。
「唄えるかもしれない」という確信がなければ、マイクの前に立てない。
もう一つは——老いへの、恐れだった。
若い時は、どこまでも唄える、という感覚があった。
声が、身体が、可能性そのものだった。
しかし61歳になった今、果たしてあの頃のパワーで唄えるのか。
その問いが、躊躇となって、長年、胸の中に棲み続けた。
転機は、「輝きながら…」だった。
あの曲もまた、私にとって長年のトラウマだった。
向き合うことを避け続けた曲。
しかしそれを、克服した。
マイクの前に立ち、声を出し、最後まで唄い切った。
その瞬間に、何かが変わった。
恐れていたものの向こう側に、自由があった。
逃げていた理由が、ただの幻だったと気づいた。
そして、静かに、しかし揺るぎなく、確信が芽生えた。
——今なら、唄える。
「輝きながら…」より、はるかに高いhiC。
それでも、今唄わなければ、もうこれから先、唄えなくなるかもしれない。
人間の声には、旬がある。
身体には、今この瞬間にしか出せない音がある。
それを知っているから——覚悟した。
恐れを、燃料にした。
「もう唄えなくなるかもしれない」という言葉が、
逃げる理由ではなく、今唄う理由に変わった瞬間、
決意は完成した。
躊躇とは、準備だったのかもしれない。
長年、この曲を棚の奥に置き続けたのは、逃げていたのではなく——この瞬間のために、温めていたのだ。
満を持して、とは、こういうことを言う。
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第四章 — 第30弾という節目に
30という数字は、偶然ではない。
Love Story Seriesを始めた時、私には一つの確信があった。
愛を歌うことは、人生を歌うことだ、と。
恋愛という小さな器に収まらない、もっと大きな何か——
人間が人間である限り、逃れられない、あの感情の総体を歌うシリーズだ、と。
1曲目から29曲目まで、様々な愛の形を歌ってきた。
切ない愛、燃える愛、別れの愛、静かに続く愛。
愛には、無数の顔がある。
そのどれもが本物で、そのどれもが、誰かの人生の核心だった。
そして30曲目。
節目というものは、単なる通過点ではない。
そこには、意味を置かなければならない。
置くべき意味に相応しい曲が、置かれなければならない。
「愛のメモリー」以外に、考えられなかった。
この曲のスケールは、他の追随を許さない。
Aメロから始まるドラマ、サビの爆発、転調の連鎖、そして地声のhiCへの登頂。
一曲の中に、人生の起伏がそのまま畳み込まれている。
しかも歌詞が、深い。
「二人に死がおとずれて 星になる日が来ても
あなたと離れはしない」
愛のうたとして始まったこの曲は、最後に死を超える。
肉体の終わりを超えて、星になっても共にいると誓う。
これは恋愛の歌ではない。
存在の歌だ。
Love Story Seriesが30曲目で、この歌詞に辿り着いたことは——必然だったと思っている。
愛を歌い続けてきたシリーズが、ついに死と星にまで手を伸ばした。
それが第30弾の、本当の意味だ。
1977年、松崎しげるがこの曲を世に放った時、おそらく誰も予想しなかっただろう。
半世紀近く後に、61歳の歌い手が、Love Story Seriesの第30弾として、この曲を全力で唄うことを。
しかし音楽とは、そういうものだ。
生まれた時代を超えて、生き続ける。
歌い手を変えながら、聴き手を変えながら、時代の皮膚に新しい意味を刻み続ける。
私がこの曲を第30弾に選んだのではない。
この曲が、30という場所で、私を待っていたのだ。
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第五章 — 美しい人生よ、かぎりない喜びよ
この歌詞は、答えだ。
問いではない。
説明でもない。
誰かが長い時間をかけて辿り着いた、一つの答えだ。
「美しい人生よ かぎりない喜びよ
この胸のときめきをあなたに」
これを12歳で聴いた時、意味は分からなかった。
しかし、受け取った。
言葉の意味より先に、真実が届いた。
人間の感受性とは、そういうものだ。
理解する前に、知っている。
経験する前に、予感している。
61歳になった今、この歌詞を口ずさむ時、
全く違う景色が見える。
美しい人生、という言葉の重さが、
12歳の時とは比べ物にならない。
喜びの意味が、積み重ねた歳月の分だけ、深くなっている。
「この世に大切なのは 愛し合うことだけと
あなたはおしえてくれる」
シンプルすぎる、と思う人がいるかもしれない。
愛し合うことだけ、とは、単純すぎると。
しかし——本当に大切なものは、いつもシンプルだ。
複雑に見えるのは、人間が余計なものを付け加えるからだ。
剥ぎ取っていけば、最後に残るのは、いつもこの一行だ。
そして、最後の一節。
「二人に死がおとずれて
星になる日が来ても
あなたと離れはしない」
1977年の歌謡曲が、死を歌っている。
星になることを、歌っている。
しかも、それを悲しみではなく——永遠の約束として歌っている。
愛の本質は、喪失への恐れを超えた場所にある。
失うかもしれないから愛するのではない。
失っても離れないと知っているから、
今この瞬間に全力で愛せる。
この歌は、その真実を、半世紀前に言い切っていた。
私が唄う時、この歌詞は私の言葉になる。
松崎しげるの歌が、落合ひろひとの声を通して、新しい命を得る。
それが、カバーという行為の、本当の意味だと思っている。
歌い手は、媒介だ。
作られた歌と、聴く人の魂の間に立つ、透明な橋。
その橋を渡る時、歌は歌い手の人生を吸収して、より深くなる。
61歳の私が、地声でhiCを目指す。
躊躇を越えて、恐れを燃料にして、マイクの前に立つ。
それは技術の話ではない。
生きることの話だ。
美しい人生よ。
かぎりない喜びよ。
この声が、続く限り。
それだけが、私にできる、最も誠実な答えだ。
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