【魂の声で唄う#60】欠けているから、愛せる——Love Story Series #27「Missing」に寄せて——
序章:魂の声シリーズ、第60弾という節目に
人生で最も深く刻まれるのは、
手に入れたものではなく、手に入らなかったものだ。
魂の声で唄う歌シリーズ、第60弾。
この節目に選んだ曲が、久保田利伸の「Missing」であることは、偶然ではないと思っている。
「Missing」——欠けている、見つからない。
その言葉が、60という数字と静かに共鳴する。届かなかった夢、言えなかった言葉、間に合わなかった別れ——その全てが積み重なって、今の自分という人間が形づくられている。
傷のない木には、年輪がない。
嵐を経験した木ほど、その幹は太く、根は深い。
60年という歌旅は、その意味において、欠落の歴史でもあった。しかし今日、私はその欠落に感謝している。
欠けているから、前へ進んだ。満たされないから、探し続けた。届かないから、声に乗せた。
その全てが、魂の声という場所へと私を導いてきた。
第60弾という節目に、この曲を。Love Story Series第二十七番として、今日この声を届けたい。
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第1章:「Missing」という言葉の本質
この曲は、恋愛を描いていない。
表面だけを見れば、愛する人への切実な想いを綴ったラブソングだ。しかし久保田利伸がこの曲に込めたものは、恋愛という枠をはるかに超えている。
「Missing」とは、人間の宿命だ。
欠けているもの。本来あるべきはずのものが、そこにない——その感覚を、人は生涯どこかで抱え続ける。届かない愛だけではない。叶わなかった夢、言えなかった言葉、間に合わなかった別れ、戻れなかった場所——人生とは、そういう「Missing」の堆積だ。
この曲の冒頭、久保田利伸は
「言葉にできるなら少しはましさ」と歌い出す。
この一行に、全てが宿っている。
言葉にできない痛みを抱えた経験が、あなたにもきっとあるはずだ。誰かに話したくても話せなかった夜。説明しようとすればするほど、遠ざかっていく感覚。言語化できない感情は、消えるのではない。ただ胸の奥で、静かに、しかし確かに鳴り続ける。
それを久保田利伸は知っていた。
だから言葉にしなかった。
「言葉にできるなら少しはまし」——言葉にできないから苦しい、という事実を、言葉で表現した。
この逆説の中に、この曲の詩的な核心がある。
そしてこの曲が40年を経ても色褪せない理由は、もう一つある。
どんなに惹かれ合っても、二人の距離が縮まることはない。許されない関係の中で、それでも愛してしまう——その狂おしい人間の業を、久保田利伸はソフィスティケイトされた音楽の中に静かに封じ込めた。
しかし私が「Missing」に感じる本質は、その切なさだけではない。
この曲の中に、諦めがない。
叶わないと知りながら、願い続ける。届かないと知りながら、手を伸ばし続ける。その姿勢の中に、人間としての尊厳がある。弱さではなく、強さだ。傷つくことを知りながら、なお愛することを選ぶ——その選択の中にこそ、人間の最も美しい部分が宿っている。
欠けているからこそ、人は美しく生きられる。
久保田利伸は1986年、この真実をすでに知っていた。
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第2章:R&B版「上を向いて歩こう」という解釈
私はこの曲を、
R&B版「上を向いて歩こう」だと感じている。
唐突に聞こえるかもしれない。しかしこの二曲には、時代も国籍も音楽ジャンルも超えた、深い共鳴がある。
「上を向いて歩こう」が描くのは、涙をこぼさないために空を見上げる人間の姿だ。悲しみを否定しない。
しかしその悲しみに飲み込まれることを、静かに拒絶する。上を向くという行為の中に、人間としての尊厳がある。
「Missing」もまた、同じ場所に立っている。
届かない愛を抱えながら、それでも願い続ける。諦めない。しかし暴走しない。叶わないと知りながら、その想いを胸の奥で静かに抱きしめ続ける——その姿勢の中に、坂本九と久保田利伸が共有している哲学がある。
思い通りにならない時に、人はどう立つか。
これは恋愛の問題ではない。人生の問題だ。
仕事が思い通りにいかない時。人間関係が壊れていく時。夢が遠ざかっていく時——そういう瞬間、あなたにも必ず覚えがあるはずだ。四面楚歌の中で、膝をつきそうになりながらも、それでも立ち続けようとしたあの瞬間が。
私にも、何度もあった。
プロとして活動した歳月の中で、思い通りにならないことは無数にあった。声が出ない夜があった。届かないと感じた舞台があった。それでも立ち続けることを選んだのは、この曲のような音楽が、私の背中を静かに押し続けてくれたからだ。
名曲とは、説教しない。正解を押しつけない。
ただその旋律と言葉の中に、生き方の哲学を静かに宿らせている。「上を向いて歩こう」がリリースされたのは1961年。「Missing」がリリースされたのは1986年。25年という時間を隔てながら、この二曲は同じ場所を指し示している。
本物の真実は、時代が変わっても変わらない。
坂本九が空を見上げた場所に、久保田利伸は届かない愛を抱きしめた。どちらも弱い人間の歌ではない。傷つくことを知りながら、なお生きることを選んだ人間の歌だ。
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第3章:父の言葉と、四面楚歌の哲学
父はよく言った。
「追い詰められた時こそ、真価が問われる。」
幼い頃は、その言葉の重みが分からなかった。順風満帆な時に立派なことを言うのは簡単だ。しかし四面楚歌の時——誰も味方がいない時、希望が見えない時、どこを向いても壁しかない時——その時にどう立つかが、その人間の本当の姿を決める。
父はそれを、言葉ではなく生き様で教えてくれた。
多くを語らない人だった。しかし追い詰められた時の父の背中は、いつも真っ直ぐだった。膝をつかなかった。俯かなかった。嵐の中でも、その足は地面を離れなかった。
あなたにも、そういう人が一人はいるはずだ。
言葉ではなく、存在で何かを教えてくれた人が。
その人の背中が、どんな言葉よりも深く、
あなたの中に刻まれているはずだ。
「Missing」を聴くたびに、
私は父のその背中を思い出す。
この曲の中の「僕」は、叶わない愛を抱えながら、それでも立っている。嘆かない。投げ出さない。届かないと知りながら、それでも願い続ける。その姿勢の中に、父が教えてくれた哲学と同じものが流れている。
ピンチをチャンスに——。
この言葉は、楽観論ではない。現実から目を背ける言葉でもない。追い詰められた状況を、そのまま正面から引き受けた上で、そこから何かを生み出せるかどうかを問う言葉だ。
四面楚歌の時に人はどう動くか。
逃げるのか。折れるのか。それとも——傷ついたまま、立ち続けるのか。
「Missing」における「僕」は、立ち続けることを選んでいる。叶わないと知りながら願い続けること自体が、すでに一つの強さだ。届かないと知りながら手を伸ばし続けること自体が、すでに一つの勇気だ。
弱さと強さは、紙一重ではない。同じものだ。
傷つく覚悟を持った者だけが、本当の意味で強くなれる。父はそれを知っていた。久保田利伸もそれを知っていた。そして坂本九もまた、「上を向いて歩こう」の中でその真実を歌っていた。
時代が違っても、ジャンルが違っても、本物の表現者は同じ場所を見つめている。
人間が、思い通りにならない現実の中でどう生きるか——その問いへの、それぞれの応答が、名曲として時代を超えていく。
父の言葉は、今も私の中で鳴り続けている。
そしてこの「Missing」を魂の声で唄う時、私はその言葉を声の奥深くに引き受けて、マイクの前に立つ。
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結章:欠落は、余白だ
「Missing」が、世界へ旅立った。
久保田利伸が1986年に閉じ込めた、届かない愛の哲学を——今日、魂の声で新たな旅へと送り出す。
この曲を唄いながら、私はずっと一つのことを思っていた。
人は、欠けているから前へ進む。
満たされないから探し続ける。届かないから祈る。欠落とは不幸ではない。
魂が歩み続けるために与えられた、余白だ。
余白のない絵画は、息苦しい。欠けている部分があるからこそ、満たされている部分が輝く。人生も、同じだ。
魂の声シリーズ、第60弾。
この節目に「Missing」を選んだことの意味を、今改めて感じている。60年という時間の中で、多くのものを手に入れた。しかしそれと同じだけ、手に入れられなかった。届かなかった。間に合わなかった。言えなかった。
その全てが、今の声を作っている。
欠落が、声になった。Missingが、音楽になった。
この曲を聴いてくださっているあなたへ。
あなた自身の「Missing」を、思い出してほしい。失った人、叶わなかった夢、言えなかった言葉——その全ては、あなたが真剣に生きた証だ。その証こそが、あなたという人間を、誰にも代えがたい存在へと育ててきた。
人生は、欠けたままでいい。
愛は、未完成のままでいい。
だから人は、明日も歩けるのだから。
落合ひろひと
2026年6月5日
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