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【魂の声で唄う#59】雨の中に、愛の始まりがある——Love Story Series #26「はじまりはいつも雨」に寄せて——

序章:梅雨の入り口に、この一曲を

雨の中にしか、見えない星がある。

ASKAはそのことを知っていた。
1991年、一枚のCMから始まった奇跡の曲が、
今も人の胸の奥で鳴り続けている。
そしてこの梅雨の季節に、
私はこの曲を魂の声で唄わずにはいられなかった。

6月が、始まる。

空気が湿り始め、雨の匂いが街に満ちる季節。
多くの人がこの季節を憂鬱と感じる。
しかし私は違う。この時期が、好きだ。

水が好きだ。雨が好きだ。

私の守護神は龍神だ。水を司る存在との縁が、
私をこの季節へと引き寄せているのかもしれない。
雨粒が地面を叩く音、濡れた石畳に反射する光、湿った空気に漂う土の香り——それらが全て、私の感性を静かに揺さぶる。

きっとあなたも、雨の日に不思議と心が落ち着いた経験が、一度はあるはずだ。

雨は、終わりではない。始まりだ。

その真実を、ASKAはこの曲の中に完璧に閉じ込めた。梅雨の入り口に、この一曲を。Love Story Series第二十六番として、今日この声を届けたい。

第1章:雨という詩的世界への共鳴


ASKAという表現者は、
言葉の使い方が根本的に異なる。

普通の作詞家は、感情を言葉で説明しようとする。しかしASKAは、感情を映像として差し出す。聴く者の脳裏に、具体的な光景を浮かび上がらせる。その映像の中に、感情が自然と宿っている。

「はじまりはいつも雨」における詩的表現の独自性は、まさにそこにある。

雨の中を歩く二人を、ASKAはこう描いた。
水のトンネルをくぐるような感覚、と。

この比喩に、私は初めて聴いた時から強く惹かれ続けている。雨粒が視界を覆い、周囲の音が遠くなり、まるで別の世界へと入り込むような感覚——それを「トンネル」という言葉一つで言い表した。誰もが経験しているはずの感覚なのに、誰もそう言葉にしたことがなかった。

これが、天才の仕事だ。

そしてこの曲の結びに置かれた「星をよけて」という表現もまた、息を呑むほど美しい。

雨の夜、空には星が見えない。
しかしASKAは「星をよけて」と書いた。
見えないはずの星を、二人はよけながら歩いている。現実には存在しないものが、この曲の世界では確かに存在する。愛する人と並んで歩く夜は、見えない星さえも輝いている——その感覚を、たった五文字で表現した。

言葉が、現実を超えた瞬間だ。

そしてこの曲が描く最も重要なことは、雨を憂鬱として捉えていないことだ。雨は、愛の始まりの象徴として描かれている。君に逢う日はいつも雨が多い——それを不運として嘆くのではなく、しあわせとして受け取る。その感性の豊かさが、この曲を時代を超えた名曲たらしめている。

雨は、祝福だ。

私が水を愛し、雨の季節を愛する理由も、ここに通じている。雨は終わりではなく、始まりだ。何かが洗われ、何かが生まれる季節。その静かな豊かさを、ASKAはこの曲の中に完璧に閉じ込めた。

魂の声で唄う者として、この詩的世界に自分の声を差し込む——それがどれほど繊細な作業であるかを、この曲は私に教えてくれる。

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第2章:CMという、運命の出会い


1991年、春。

テレビの画面に、一人の女性が映っていた。

パナソニックのハーフサイズコンポのCM。古柴香織さんが「小さくても全身ピュア」と言い、そして「まっさら」と唱える。画面に大きく平仮名で「まっさら」というコピーが浮かび上がる。そのCMの背後に、静かに流れていた音楽があった。

「はじまりはいつも雨」だった。

「僕は上手に君を愛してるかい、愛せてるかい、誰よりも誰よりも」——その言葉が、映像と溶け合うように流れていた。「まっさら」という言葉と、この曲の世界観が、不思議なほど完璧に重なっていた。純粋で、透明で、始まったばかりの何かを感じさせる——そういう空気が、画面全体に満ちていた。

私はその瞬間、画面に釘付けになった。

この曲は何だ、と。

しかし当時、この曲はまだシングルとして存在していなかった。アルバム収録用として作られた一曲に過ぎなかった。しかしCMが放送された途端、「この曲は何ですか」という問い合わせが殺到した。それほどまでに、この曲は人の心を捉えた。そして急遽、シングルとして世に送り出されることになった。

この事実が、私に深いことを教えてくれる。

素晴らしい音楽は、構えて作られない。

シングルとして世に出そうと力んだ時には、何も降りてこない。しかし自然体で、ただその作品のために作った時——魂が解放された時——本当に人の心を動かすものが生まれる。ASKAがアルバム用に書いたこの曲が、結果として時代を代表するシングルになったという事実は、その真実の最も美しい証明だ。

これは音楽だけの話ではない。

表現とは全て、そういうものだと私は思っている。届けようと力めば力むほど、声は固くなる。ただその作品の世界に魂ごと飛び込んだ時、声は自由になる。「魂の声で唄う」という私のシリーズが目指しているものも、まさにそこにある。

力まない。構えない。ただ、その世界に在る。

ASKAがこの曲を書いた時のように——自然体の中から、魂の声は生まれる。

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第3章:映像の後ろに流れる音楽に、耳を澄ます


若い頃の私には、一つの癖があった。

映像を観る時、必ず背後に流れる音楽に耳を澄ませた。テレビのCM、映画のワンシーン、ドラマのエンディング、街角のショーウィンドウから漏れてくる音——どんな場面でも、映像と音楽がどのように絡み合っているかを、無意識のうちに分析していた。

 主役ではない音楽の方に、
      より深く引き寄せられてしまう。


そういう感性が、気づけば自分の中に根付いていた。

パナソニックのCMで「はじまりはいつも雨」に出会ったのも、そういう瞬間だった。画面の主役は古柴香織さんであり、「まっさら」というコピーだった。しかし私の耳は、背後に流れるASKAの声に吸い寄せられていた。

あの感覚、分かる人には分かると思う。

映画館で、主役の台詞ではなく背景に流れる音楽に鳥肌が立つ瞬間。街角で、ふと足が止まるほどBGMが耳に刺さる瞬間。その音楽が何かを知りたくて、しばらくその場を離れられなくなる——あの感覚だ。

その後も、同じような体験が続いた。

1994年9月4日、開港された関西空港のドキュメント、「開港、関西空港 5時間スペシャル」が朝日放送にて放映され、その番組のテーマソングとして、
「果てしない未来へ」というオリジナル曲を担当した。

様々なCMの仕事も経験した。ビバリーヒルズポロクラブをはじめとするアパレルメーカーのCMも手掛けた。それらの仕事の中で、私はいつも一つのことを問い続けていた。

映像と音楽は、どのように対話するべきか。

答えは、あのCMの記憶の中にあった。

「はじまりはいつも雨」が「まっさら」という映像と出会った時の、あの完璧な融合。音楽が映像を支配するのでも、映像が音楽を支配するのでもなく——二つが対等に、静かに、互いを高め合っていたあの瞬間。

  それが、映像と音楽の理想の姿だ。

街角の音楽に耳を澄ます癖が、私の表現者としての感性を育てた。音楽は舞台の上だけに存在するのではない。日常のあらゆる場面に溶け込み、人の感情を静かに動かし続けている。

今もその癖は変わらない。

どんな場面でも、背後に流れる音楽に耳を澄ませる。映像の主役ではなく、その後ろに息づく音楽の中に——表現の本質が宿っていることを、私は身体で知っているから。

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結章:この雨の中に、魂の声を


「はじまりはいつも雨」が、世界へ旅立った。

ASKAが雨の中に閉じ込めた愛の始まりを——今日、落合ひろひとの魂の声で、新たな旅へと送り出す。

この曲を唄いながら、
私はずっと一つのことを思っていた。

始まりは、いつも静かだ。

恋の始まりも、音楽との出会いも、表現者としての道の始まりも——劇的な何かがあったわけではない。ある日、雨の音が聴こえていた。ある日、テレビの画面から流れてきた音楽に耳が吸い寄せられた。ある日、背後に流れる音楽の美しさに、胸が震えた。

そういう、静かな瞬間から、全てが始まっていた。

気づけば濡れていた。それが、雨の始まり方だ。

恋も、音楽も、人生の転機も——気づいた時には、もうそこにある。傘を差す間もなく、気づけば全身が濡れている。雨の始まりとは、そういうものだ。ASKAはその感覚を知っていたから、この曲を書けた。

この曲を聴いてくださっているあなたへ。

今、あなたの人生の中に、静かな始まりが流れていないだろうか。まだ名前のついていない何かが、雨のように、気づかないうちにあなたの周りに降り積もっていないだろうか。

それを、見逃さないでほしい。

始まりは、声高に訪れない。静かに、しかし確かに、あなたの世界を濡らしていく。そしてその湿り気の中から、何か大切なものが、芽を出し始めている。

今夜、空を見上げてほしい。

雨が降っていたなら——それはきっと、何かの始まりだ。

落合ひろひと
2026年5月30日

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