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【魂の声で唄う#55】過去の自分よ、今の私が唄う——Love Story Series #22「I LOVE YOU」に寄せて——

序章:あの頃の課題曲を、今唄う


「I LOVE…」を世に送り出した後、
私の中で静かに動き始めたものがあった。

次に向かいたい場所が、見えていた。

10代、20代——メジャーなカラオケ大会、NHKのど自慢、そして数えきれないほどのオーディション。一発勝負の公開の場で、私はひたすら唄い続けた。その時に課題曲として選び、鍛え抜いた曲たちがある。

ふと思った。

あの頃の課題曲を、
      今の自分が唄ったら、
             どうなるのか。


それは単なる懐古ではない。あの頃の自分が必死で向き合った曲に、今の自分がどれほどの声を差し出せるか——その問いへの、真剣な挑戦だ。

これからしばらく、Love Story Seriesはその挑戦の場となる。昭和、平成のポップスの中から、Love Story Seriesのテーマに合う曲のみをピックアップし、完成次第、順次配信していく。

その第一弾が、この曲だ。

尾崎豊、「I LOVE YOU」。

第1章:過去の自分と今の自分の対話


オーディションという場は、
ライブとは根本的に異なる。

ライブには時間がある。曲と曲の間に、MCがある。客席との対話がある。失敗しても、次の曲で取り返せる。しかしオーディションは違う。与えられた一曲、その数分間に、すべてを注ぎ込まなければならない。審査員の目が、一瞬も逸らさずこちらを見ている。

その緊張の中で、いかに魂の声を届けるか。

若き日の私は、そのギャップに苦しんだ。ライブでは自然に出てくる声が、オーディションの場では別の何かに変わってしまう。緊張が、声を固くする。意識が、自由を奪う。

だから私は、徹底的に客観視することを始めた。

鏡の前に立ち、自分の表情を観察しながら唄った。ビデオカメラを回し、唄い終えた後に自分の姿を研究した。審査員の目に映る自分を、できる限り正確に把握しようとした。今でいう「メタ認知」——自分自身を外側から見る力を、この時期に徹底的に磨いていた。

その甲斐あって、テレビ番組に出演できるカラオケ大会のオーディションにも出るようになった。ある日曜日、関西圏の全ての局のカラオケ番組に同日出演するという、不思議な奇跡を体験したこともある。

しかしそれ以上に、あの時期に得た最も大切なものがある。

審査員の先生方から賜った、言葉だ。

独学で歌を唄い続けてきた私にとって、厳しくも愛情に満ちたその言葉の一つひとつは、後々になればなるほど、深い学びとして身体に染み込んでいった。

あの時期があったから、今がある。

そしてあの時期に必死で向き合った曲たちが、今の私の中で再び動き始めている。今の声で、今の哲学で、今の魂で——あの頃の課題曲と、もう一度向き合う時が来た。

「I LOVE YOU」は、その最初の一曲だ。

なぜこの曲を選んだのか。それは、尾崎豊という表現者が、この曲に込めたものの本質と深く関係している。

第2章:尾崎豊という表現者への敬意


尾崎豊という人間は、嘘をつけない人だったと思う。

華やかなスターとしての仮面を被ることを、彼の魂が許さなかった。社会への反抗、孤独、そして愛——そのすべてを、剥き出しのまま言葉にした。商業的な計算とは無縁の場所で、ただ真実だけを歌い続けた表現者だった。

「I LOVE YOU」もまた、その誠実さの結晶だ。

許されない恋、肩を寄せ合う二人、きしむベッド、落葉に埋もれた空き箱のような部屋——そこに描かれているのは、華やかさとは程遠い、等身大の若者の愛の姿だ。しかしだからこそ、この曲は人の心の深いところへ届く。飾らない誠実さが、聴く者の魂に直接触れるからだ。

正直に。誠実に。真摯に。

それが、尾崎豊という表現者の本質だった。

そしてオーディションという場において、この曲は特別な力を持っていた。

審査員の前に立つ一発勝負の場で求められるのは、技術だけではない。むしろ技術の奥にある、その人間の本質が問われる。どれほど上手く歌えても、魂が宿っていなければ、審査員の心には届かない。

「I LOVE YOU」は、その意味において最適の曲だった。

二人の苦しくも懸命な愛の日々を、短い曲の中に凝縮させたこの作品は、歌い手の人間としての深さを、そのまま映し出す鏡のような曲だ。表面的な上手さでは太刀打ちできない。この曲の世界に、自分の魂ごと飛び込まなければ、歌として成立しない。

だから私はこの曲を選んだ。

そして今また、この曲を選んだ。

あの頃の私が向き合った尾崎豊の誠実さに、今の私はどれほど応えられるか。それが、この挑戦の核心だ。

しかしこの曲には、言葉だけでは語り切れない領域がある。尾崎豊が言葉の終わる場所に置いたもの——それを声にすることが、この曲を唄う上で最も重要な挑戦となる。

第3章:言葉が終わる場所から始まる声


この曲には、言葉が終わる瞬間がある。

二人の愛の情景を丁寧に描き続けた歌詞が、ある一点で突然、言葉を手放す。子猫のような泣き声の後に訪れる、あの「Fu〜」というスキャット。

なぜ尾崎豊は、そこで言葉を手放したのか。

それは、言葉にできないものがあったからだ。二人の間に漂う空気、肌の温もり、言葉にした瞬間に壊れてしまうような繊細な感情——それらは、どれほど優れた言語感覚を持ってしても、言葉では表現し切れない。

だから声が、言葉の代わりに語り始める。

このスキャットは装飾ではない。この曲において最も重要な表現の一つだ。言葉が終わった場所から始まる声が、聴く者の胸の中で言葉以上の何かを完成させる。そこに魂を込めなければ、この曲は半分しか届かない。

そしてもう一つ、この曲に宿る刹那がある。

サビにおけるファルセットへの切り替わりの瞬間だ。

地声からファルセットへ移行するその一瞬に、この曲の心情のすべてが凝縮されている。必死で守ろうとしている愛の脆さ、それでも手放せない想いの強さ、悲しい歌に愛がしらけてしまわぬようにと目を閉じる二人の切実さ——そのすべてが、その刹那の声の変化の中に宿る。

技術としてのファルセットではない。

魂の切り替わりとしてのファルセットだ。

この瞬間を制する者だけが、この曲を本当の意味で唄ったと言える。逆に言えば、どれほど声量があっても、どれほど音程が正確でも、この刹那に魂が宿っていなければ、この曲は死んでしまう。

オーディションという場でこの曲を選び続けた若き日の私は、そのことを本能的に知っていた。審査員の前で、この刹那に全てを賭けた。

そして今、また同じ場所に立つ。

しかし今の私には、あの頃にはなかったものがある。白鯨伝説という巨大な作品と向き合った経験が。「I LOVE…」のリズムを掴むまでの長い対話が。そして魂の声で唄うという哲学が。

あの頃の私が本能で掴もうとしていたものを、今の私は言葉にできる。言葉にした上で、さらにその先へ向かうことができる。

過去の自分を超えていく声を、今日届けたい。

結章:Love Story Seriesの新たな川へ


「I LOVE YOU」が、世界へ旅立った。

あの頃の課題曲が、今の魂の声を纏って、新たな光を帯びた。それが届くべき魂へ届くかどうかは、もう私の手を離れた場所にある。しかしそれで良い。声を送り出した後の静けさの中で、私はすでに次へと向かっている。

Love Story Seriesは、新たな川へと流れ込んだ。

昭和、平成のポップスの中から、Love Story Seriesのテーマに合う曲のみをピックアップし、完成次第、順次配信していく——そう決めた時、私の中に静かな確信が生まれた。

あの時代の曲には、今の時代に失われかけているものが宿っている。

正直さ。誠実さ。剥き出しの感情。言葉にならないものを声にしようとする、あの必死さ。尾崎豊が「I LOVE YOU」に込めたものは、そういう種類の誠実さだった。そしてその誠実さは、時代を超えて、今を生きる人の魂にも確かに届く。

だから私は唄う。

あの頃の自分が必死で向き合った曲たちを、今の哲学と今の魂で唄い直すこと——それは単なる懐古でも、過去への回帰でもない。過去の自分との対話を通じて、今の自分の声の深さを問い続ける行為だ。

唄うことは、自分自身と向き合い続けることだ。

10代、20代のオーディションの場で鍛え抜かれた声が、白鯨伝説という巨大な作品と格闘し、「I LOVE…」のリズムを長い時間をかけて掴み、そして今また新たな挑戦へと向かう。

その道は、まだ続いている。

次の物語も、またふさわしい時に、川岸から静かに歩み出てくるだろう。その日まで、私は精進し続ける。自己研磨を怠らず、魂の声を磨き続ける。

この声を聴いてくださったすべての方へ。

あなたが受け取ってくださったから、この声は完成した。そしてあなたの胸の中で、あなただけの「I LOVE YOU」として、これからも生き続けるだろう。

  あなたの胸の中で、
      その愛が静かに燃え続けますように。


落合ひろひと
2026年5月7日

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