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【魂の声で唄う#69】感情を動かせないものに、価値はないLove Story Series #36「キラキラ」に寄せて——


第一章 2002年、仕事に埋もれていた頃に出会った一本のドラマ


あの頃の自分に、休むという選択肢はなかった。

音楽プロデューサーとしてアーティストを育て、
ボイストレーナーとして声を導き、
レコーディングブースに籠り、
マスタリングルームで音の最後の一粒まで磨き上げる。
イベントがあればPAブースに立ち、
依頼が来ればCM音楽も企業テーマソングも、作詞も作曲もアレンジも、
断るという発想自体が浮かばなかった。
てんてこ舞いという言葉すら生ぬるい。
そんな日々の中にいた。

2002年。
商業音楽という戦場のただ中にいた自分の目に、
一本のドラマが飛び込んできた。

「恋ノチカラ」。

「ヒト、モノ、金」という、まさに自分が毎日格闘していた世界そのものを描いた作品だった。
大ヒット作「やまとなでしこ」を生み出したチームが、丸ごと全力投球したドラマ。
企画も演出も脚本も、隅々まで意志が宿っていた。

疲弊しきった身体で観ていたはずなのに、画面の向こうから伝わってくる熱量に、逆に自分の方が起こされる感覚があった。
仕事に追われる日々の中で、これほど仕事そのものを美しく描いた作品に出会うとは思っていなかった。

そしてこの主題歌が、また凄まじかった。

小田和正。

「ラブストーリーは突然に」と並んで、自分の中でずっと特別な位置を占め続けてきたアーティストの一人。その人が、このドラマのために書いた曲こそが「キラキラ」だった。

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第二章 「恋ノチカラ」が教えてくれた、プロダクトデザインの本質


「恋ノチカラ」を観ながら、何度も唸らされた瞬間があった。

それは、プロダクトデザインというものの本質を、ドラマという形式を通して突きつけられた瞬間だった。

プロダクトデザインとは、単に製品の見た目を美しく整えることではない。使いやすさ、機能性、安全性——そのすべてを踏まえた上で、最適な体験そのものを設計する行為である。対象は家電や自動車といった「モノ」だけにとどまらない。アプリのようなデジタル製品にまで、その思想は広がっていく。

見た目の良さと使いやすさ、その両方を同時に成立させること。
使う人の心の内側、困りごとの根っこまで理解すること。
そして、そこに理由のある形を与えること。

このドラマが描いていたのは、まさにそういう世界だった。

自分が敬愛するアートディレクター、佐藤可士和という存在がいる。彼の仕事は、グラフィックやブランディングの領域にとどまらない。携帯電話のプロダクトデザインから、子供向け携帯の安全設計、化粧品のパッケージまで、機能と視覚的なコンセプトを一つに統合してきた人物だ。

規則正しいグリッドと直線的な造形。一目で認識できる強い存在感と、日常に自然と溶け込むシンプルさ。そして、形だけでなく広告からユーザー体験までをまるごと設計するという姿勢。

「恋ノチカラ」の世界観は、この佐藤可士和的な美学と、見事に響き合っていた。

人は感情で物を買う。

逆に言えば、感情が揺さぶられなければ、モノは売れない。ビジネスというものは、そもそも成立しない。

2002年、商業音楽という現場のただ中にいた自分には、この一行の重みが、骨身に染みて理解できた。
数字の裏側には、必ず人の心が動いた瞬間がある。
それを設計できる者だけが、本当の意味でモノを作れるのだと、あのドラマは教えてくれた。

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第三章 小田和正という和製AORの巨匠——シンコペーションの向こうにある凛とした世界観


「キラキラ」を唄う際に、極力注意していたことがある。

この曲は、簡単そうに見えて、恐ろしく難易度が高い。

まず、リズムのほとんどがシンコペーションで構成されている。拍の表ではなく裏を捉え続ける、シャッフルのグルーヴ。しかもキーは小田和正らしく、決して低くはない。この二つが重なったとき、初めてあの透明感が生まれる。凛とした佇まい、洗練された都会的な空気感。それらすべてが、このシンコペーションという土台の上に成り立っている。

まさに和製AORの極みと言っていい。

タイム感こそが命の曲だからこそ、そこが少しでも崩れれば、この都会的なセンスは一瞬で瓦解する。中盤のサビでは、淡々とした四分打ちのビートの中でも、メロディはずっとシンコペーションで進行し続ける。聴き手が息を合わせようとした瞬間、また裏拍へとずれていく。

それほどまでに技術的な難所が連続するにもかかわらず、リスナーの耳には、その難しさが一切届かない。

ただ心地よく、ただ自然に、メロディが流れていくように聴こえる。

この「難しさを難しく聴かせない」という一点にこそ、小田和正という表現者の本当の凄みがある。技術をひけらかすことなく、技術そのものを消してしまう。それができるのは、技術が体の奥深くまで染み込み、もはや呼吸と一体化しているアーティストだけだ。

自分が長年、AORというジャンルを自らの音楽の基本として据えてきた理由も、ここにある。日本において、このAORという美学を体現し続けてきた第一人者の一人。それが、小田和正という人だと、心から思う。

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第四章 「ゆらゆらゆら 心は揺れる」——キラキラに込められた、過ぎ去る時間の尊さ


心というものは、揺れる。

迷いも、不安も、確信のなさも、抱えたまま生きていくしかない瞬間がある。それでも、その揺れの奥で、ある一つの決意だけは静かに灯り続けている。大切な人を、決して裏切らないという誓い。遠くにしか見えない夢を、まだ手放さないという意志。

この曲が描いているのは、そういう心の在り方だ。

ためらいも、迷いも、すべてを差し出してしまえばいい。手渡した先で、いつか「出会えてよかった」と言える日が、必ず訪れる。そう信じられる相手と過ごす時間こそが、かけがえのないものになっていく。

タイトルの「キラキラ」とは、まさにこの、過ぎ去っていく時間そのものの輝きを指している。

眠りについた愛する人の横顔を、ただ静かに見つめる。その瞬間、頭上には星々がきらめいている。特別な出来事など何もない。ただそこにいる、というだけの時間。それでも、その何気なさの中にこそ、二度と戻らない尊さが宿っている。

明日訪れるかもしれない悲しみを、今この瞬間に持ち込む必要はない。ただ、腕の中にいるその存在だけを、今は感じていたい。

今しか出来ないことがある。今この二人でしか、味わえない時間がある。それを分かっているからこそ、この愛はどこまでも続いていくのだと、静かに歌われる。

過ぎ去っていく時間を悲しむのではなく、その一瞬一瞬が輝いていることを噛みしめる。それが、小田和正がこの曲に託した眼差しなのだと思う。

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第五章 ビジネスも恋も、心が動かなければ何も始まらない


あれから二十年以上が経った。

それでも「キラキラ」を唄うたびに、あの頃の自分に引き戻される。てんてこ舞いの日々の中で、一本のドラマに救われた自分。そして、そのドラマの主題歌に、仕事の本質そのものを教えられた自分に。

プロダクトも、音楽も、恋も、ビジネスも——結局のところ、行き着く先は一つしかない。

人の心を、動かせるかどうか。

どれほど機能が優れていても、どれほど理屈が正しくても、そこに心が動かされる瞬間がなければ、何も始まらない。モノは売れず、関係は続かず、音楽は誰の記憶にも残らない。感情という一点。それを外して成立するものなど、この世には存在しない。

小田和正は、そのことを知り抜いていた。だからこそ、あれほど複雑なシンコペーションを、聴き手に一切気づかせないまま届けることができた。技術は、心を動かすための手段であって、目的ではない。その順序を、片時も見失わなかった人だった。

Love Story Seriesという場所で、この曲を唄えたことには、自分にとって特別な意味がある。

当時、仕事のバイブルとも呼べる存在だった「恋ノチカラ」。その主題歌を、今こうして自分の声で表現できる日が来るとは、あの頃は想像もしていなかった。

心が揺れることを、恐れなくていい。

揺れながらも、誰かを裏切らないという一点だけは守り抜く。夢をあきらめないという一点だけは手放さない。それさえあれば、目の前にある時間は、必ず輝き出す。

キラキラと。

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