【魂の声で唄う#57】封印を解く日——Love Story Series #24「輝きながら…」に寄せて——
序章:運命の日に、封印を解く
2026年5月18日。
この日付を、私はずっと前から知っていた。
知っていた、というのは正確ではないかもしれない。感じていた、と言う方が近い。
この日が、ただの日付ではないことを。
この日に何かが起きる、あるいは何かを起こさなければならないことを、理屈ではなく、身体の奥深くで感じ続けていた。
それが何故なのかを、言葉で説明することは難しい。
非科学的だと言われるかもしれない。スピリチュアルな話だと敬遠される方もいるかもしれない。しかしこの場では、ただ一つのことだけを伝えておきたい。この日は、私にとって運命の日だ。そしてその運命の日に、私はある決断をした。
長年、封印していた一曲を、解き放つ。
徳永英明、「輝きながら…」。
この曲との歴史は、輝かしい記憶と、深い闇が、複雑に絡み合っている。NHKのど自慢での奇跡、夢のNHKホールへの出場、そして——誰にも気づかれなかった、あの夜の崩壊。それ以来、この曲は私の中で封印されたまま、長い時間が流れた。
プロとして活動した時も、この曲だけは選ばなかった。
カラオケでも、この曲だけは選ばなかった。
「輝きながら…」の落合さんと呼ばれ、どこへ行っても誰に会っても求められ続けたあの曲を、私はある日から完全に封じた。その理由を、今日初めて言葉にする。
なぜ今なのか。
傷ついた場所に、もう一度自ら向き合い、乗り越えること——それ以外に、この呪縛から解放される道はないと気づいたからだ。心理学の言葉を借りれば、PTSGとも呼ばれるその行為は、荒療治であることは分かっていた。唄えるかどうか、正直なところ分からなかった。しかしこの運命の日に、この曲と向き合わなければ、私はこの先もずっとこの曲の影から逃げ続けることになる。
だから挑戦した。
そしてその結果を、今日この記事でお伝えしたい。
しかしその結果を語る前に、まずこの曲との長い歴史を、最初から辿っていかなければならない。輝かしい記憶から、深い闇へ。そして闇の底から、39年越しの解放へ——その道のりを、一つ一つ丁寧に語っていきたいと思う。
今日この記事を読んでくださるあなたへ。
これは単なる音楽の話ではない。一人の表現者が、自分自身の心の深いところにある闇と向き合い、そこから這い上がってきた記録だ。その記録が、あなたの人生の何かに触れることができたなら——それだけで、この記事には十分な意味がある。
第1章:「輝きながら…」の落合さんと呼ばれた頃
1987年、夏。
徳永英明の「輝きながら…」が世に出た時、私はその曲に、稲妻のような衝撃を受けた。
イントロもなく、突然サビから始まるその曲は、当時の日本のポップスの常識を軽やかに超えていた。透き通るような高音、切なくも美しいメロディ、そして南野陽子が出演したフジカラーのCMとともに、この曲は瞬く間に日本中に広がっていった。週間オリコンチャートで最高4位を記録し、ザ・ベストテンにも歌のトップテンにも登場した、あの夏の名曲だ。
しかし私がこの曲に惹かれた理由は、
そのヒットの規模ではなかった。
この曲は、まるで私のために作られた曲のように感じた。
私は幼少期からソプラノキーだった。変声期を一切迎えることなく大人になったため、子供の時の声のまま成長した。それは長い間、私にとってコンプレックスの源だった。つい気を抜くと、マイケル・ジャクソンのような高い声になってしまう。若い頃は声質のコントロールができず、ヘリウムを飲んで喋っているみたいだと随分馬鹿にされた。努力に努力を重ね、何とか低く話すことをマスターしてからは、その声のことを言われなくなったが、その道のりは決して平坦ではなかった。
しかしその声が、唯一輝く場所があった。
高いキーの歌を唄う時だ。
King GnuもヒゲダンもXもクリスタルキングも、名だたる高音キーの楽曲を、一切の苦もなくスーッとサラリと唄える。女性の歌でも難なく唄える。それは私の声が持つ、唯一にして最大の武器だった。
そしてその武器が、「輝きながら…」において、完璧に機能した。
この曲は、和製AORとも言われた徳永英明の音楽センスが凝縮された名曲だ。鈴木キサブローの作曲、川村栄二の編曲が生み出す、洗練されたサウンドの上に、徳永の透明感ある声が乗る。その世界観に、私の声は自然と溶け込んだ。唄えば唄うほど、この曲が自分の声のために存在しているような感覚が深まった。
だから私はこの曲で、数々の大会に出場した。
カラオケ大会、歌唱オーディション、NHKのど自慢——あらゆる場所で、この曲を唄い続けた。そして結果を出し続けた。グランプリをそえなめにし、最優秀歌唱賞をいただき、審査員の先生方から絶賛の言葉をいただいた。
いつしか、周囲の人たちはこう呼ぶようになった。
「輝きながら…」の落合さん。
どこへ行っても、誰に会っても、この曲をリクエストされた。カラオケに行けば必ずこの曲を求められ、大会に出れば当然この曲で勝負することを期待された。私はその期待に応え続けた。この曲が、私の代名詞になっていた。
あの頃の唄い方は、今の私とは全く異なるものだった。
サビから始まるその冒頭を、私は思いっきり唄っていた。高音を伸び上がるように解放し、会場の空気を一瞬で変えることを意識していた。Aメロは切々と、思い出すように唄い、そしてサビで再び解放する——その流れが、当時の私の「輝きながら…」だった。
それは確かに、人の心を動かした。
審査員の先生方を唸らせ、会場を沸かせ、グランプリをもたらした。その事実は、今も変わらない。
しかし今の私は、その唄い方を選ばない。
サビ頭の冒頭は、回想シーンのように、優しくスーッとサラリと入る。熱くならず、静かに、まるでセピア色の映像が始まるように。Aメロは切々とではなく、楽しい思い出を確かめるように、語るように紡いでいく。そして「Don’t Say Good-Bye」からじわりじわりと現在へと引き戻され、セピア色からカラーへと変わっていくような繊細な変化を経て、本サビで初めて最大のクライマックスを迎える。
なぜそう変わったのか。
それは単なる解釈の変化ではない。この曲と向き合い続けた39年という時間が、この曲の本当の姿を、少しずつ私に見せてくれたからだ。
しかしその39年の道のりには、輝かしい記憶だけでなく、深い闇があった。
まずはその輝かしい記憶の中でも、最も忘れられない 一夜のことを、記しておかなければならない。
しかしその前に——まずはこの声を、
聴いていただけたら嬉しい。
🎬 YouTube配信はこちら
そしてこの曲との、
長い物語を——続けて読んでいただけたら。
第2章:奈良大会、あの15秒の奇跡
NHKのど自慢への出場を決めた時、
私の胸の中には複雑な感情が渦巻いていた。
「輝きながら…」は、当時の私の代名詞だった。どこへ行っても求められ、唄い続けてきた曲だ。しかし同時に、この曲には既に、ある種の重さが纏わりつき始めていた。期待に応えなければならないというプレッシャー。あの伸び上がるような高音に寄せられる視線。それらが少しずつ、この曲を私にとって特別な緊張を伴うものへと変えつつあった。
それでも私は、
この曲でのど自慢の舞台に立つことを選んだ。
NHKのど自慢は、日本で最も歴史ある歌番組の一つだ。全国各地で開催される予選会を勝ち抜いた出場者たちが、地元の会場でその歌声を披露する。審査は鐘の数で表現される——鐘一つから、最高の合格を示す鐘の連打まで。あのシンプルで残酷な審査方式が、出場者の心に独特の緊張をもたらす。
奈良大会の当日、
会場には多くの出場者が集まっていた。
それぞれが真剣に、それぞれの思いを胸に抱いて、この舞台に立っていた。ワンコーラスフルで唄い切っても鐘一つの方がいる。懸命に練習を重ねてきたであろう方々が、緊張の中で精一杯の歌声を届けようとしている。その光景を見るたびに、私は舞台に立つことの重みを改めて感じた。
そして私の番が来た。
イントロのない、サビから始まるこの曲。マイクを握り、バックの演奏が始まった瞬間、私は深く息を吸った。
「素顔にメロディ焼きつけて君は今——」
その瞬間だった。
キンコンカンコン、キンコンカンコン、
キンコンカン——
あの有名な合格の鐘が、高らかに鳴り響いた。
わずか15秒。
曲が始まってから、まだほんの数小節しか経っていなかった。会場が、一瞬静まり返った後、どよめきに包まれた。私の身体に鳥肌が立った。気づいた時には、私はジャンプしてバンザイをしていた。喜びが、身体の制御を超えて溢れ出ていた。
その場にいた多くの方々が、
ワンコーラスフルで唄い切っても鐘一つだった。
その現実が、私の胸に重くのしかかった。
グランプリを受け取った時、純粋な喜びと同時に、何とも言えない申し訳なさが込み上げてきた。あれほど真剣に、あれほど懸命に唄い切った方々が、鐘一つで終わっていく。それなのに私は、たった15秒でチャンピオンになってしまった。その理不尽さのようなものを、私は確かに感じていた。
しかし同時に、あの鐘の音がもたらした興奮と感動は、言葉では言い表せないほどのものだった。
NHKのど自慢にしか存在しない、あの独特の空気。会場全体が一体となって生まれる、あの瞬間の熱量。それは他のどんな舞台でも味わえない、特別な何かだった。一生忘れることのできない瞬間として、あの鐘の音は今も私の胸の中で鳴り続けている。
そしてこの奈良大会でのグランプリが、次の扉を開いた。
NHKのど自慢チャンピオン大会への選抜——それは、各地方のグランプリに輝いても、必ずしも選ばれるわけではない、極めて狭き門だった。
全国35000人の出場者の中から、わずか18組のみが選ばれるその大会は、決して表に出ることのない審査員たちによる厳正な審査に基づいていた。よほど印象的なグランプリ受賞者にしか与えられない、特別な出場権だ。
私に選抜の通知が届いた時、真っ先に思ったのはこのことだった。
あのバンザイをしてジャンプして、喜びを全身で表現したあの瞬間が——審査員の記憶に残っていたのかもしれない、と。
歌唱力だけではなく、あの純粋な喜びの爆発が、
何かを動かしたのかもしれない、と。
夢のNHKホールへの切符が、私の手に届いた。
紅白歌合戦の舞台でもある、あの場所へ。
生放送で、日本全国に向けて、「輝きながら…」を唄う——その事実を、私はまだ夢の中にいるような感覚で受け止めていた。
しかし、魔物はすでにそこで待ち構えていた。
ここから先は、この記録の核心です。長年誰にも語らなかった闇と、その先にある解放を、読む覚悟のある方のみ、お進みください。
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