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写真は、真実を切り取っているのか

写真は、真実を切り取っている。
昔は、確かにそう信じられていたのかもしれない。
一枚の写真が、言葉以上に現実を語る。
ジャーナリズムと写真は切っても切り離せない関係にあり、
私たちは写真を通して、
遠い国で起きている出来事や、
見たことのない誰かの人生を知ることができた。
写真は証拠だった。
疑いようのない「現実の断片」だった。
だが、今はどうだろう。
写真には加工という技術が当たり前のように存在している。
明るさを整え、色を足し、不要なものを消す。
それが行われていることを、
撮る側も、見る側も、誰もが知っている。
もはや写真は、
「現実をそのまま写すもの」ではなく、
「現実をどう見せたいか」を表現するものになった。
そこに写っているのは、真実だろうか。
正確に言えば、
都合の良い真実なのだと思う。
それが事実と少し違っていても、
多くの人は気にしない。
きれいだからいい。
雰囲気がいいからいい。
その一言で、写真は評価されていく。
世の中って、そういうものだ。
そう言われてしまえば、それまでだし、
実際、それはもう一つの事実なのだと思う。
では、そんな時代において、
写真には価値があるのだろうか。
私は、まだカメラを持っていない。
それでも、写真について考えてしまう。
正確に言えば、
写真を撮る人たちを、少し距離のある場所から見ている。
加工する人もいれば、しない人もいる。
完成度を求める人もいれば、
その瞬間を残したいだけの人もいる。
加工しないという選択をする人を見ると、
写真が本当に好きなのだろうな、と思う。
光も、影も、偶然入り込んだものも、
すべて含めて一枚だと考えているように見えるからだ。
ただ、そういう写真は、
正直なところ評価されにくい。
加工された写真のほうが、
分かりやすく「いい写真」になる。
完成された一枚として、
多くの人に届きやすい。
だから、迷いが生まれるのだと思う。
カメラとは、いったい何を目的にするものなのだろう。
きれいに撮るための道具なのか。
それとも、真実を残すための道具なのか。
そもそも、真実とは何だろう。
シャッターを切る以前に、
見る側の価値観や感情が入り込んでいる。
完全な真実など、
最初から存在していないのかもしれない。
それでも、写真には何かが残る。
撮った人の視線や、
その瞬間を大切だと思った気持ちが、
確かに写り込んでいるように感じる。
答えは出ない。
きれいさと真実、
評価と納得、そのどちらが正しいのか。
それでも、
写真という存在が、
人に考える時間を与えてくれることだけは確かだ。

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