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夕焼け専門になる前に、少し考えた

カメラで夕焼けを撮ろう、と決めた。
被写体に迷いがあったわけではない。
むしろ夕焼けは昔から好きだ。
一日の終わりに、空が勝手にドラマチックになってくれる、あの感じ。
こちらは何もしなくても、ただ見上げるだけでいい。
夕焼けを撮る。
それは、かなり良い選択のように思えた。
ただ、少し考えてしまった。
夕焼け専門、ということは。
毎日、決まった時間にカメラを持って外に出る、ということでもある。
それは「習慣化」という言葉で語れば、正解だ。
上達する人は、決まった時間に決まったことをする。
そういう話は、もう何度も聞いてきた。
だが同時に、それは「拘束」でもある。
今日は気分が乗らないな、と思っても。
今日は別の用事が入ったな、と思っても。
空は待ってくれない。
もし、その時間に予定が入ったら。
もし、疲れて動けなかったら。
その瞬間、「継続」は簡単に途切れてしまう。
それは少し、カメラを楽しむという行為と、ズレている気もした。
好きなはずのものが、
「やらなければいけないこと」に変わる瞬間を、
私は何度も見てきたからだ。
だから、考えた。
夕焼けに限らなくてもいいのではないか。
朝の空でもいいし、昼の空でもいい。
雲が綺麗な日でも、何もない日でもいい。
「夕焼けを撮る」のではなく、
「空を撮る」。
そう決めてしまえば、
カメラを持って外に出る時間は、自由になる。
朝でもいい。
昼でもいい。
気が向いた時でいい。
これなら、義務にならない。
これなら、楽しさのままでいられる。
……と、ここまで考えておいて、
自分でも分かっている。
グダグダ言ってないで、
さっさとカメラを持って外に出ればいい。
考えすぎだから動けないんだ。
そんな声が、どこかから聞こえてくる。
正しい。
その通りだと思う。
でも、私は知っている。
私は「やること」よりも、
「考えている時間」が好きなのだ。
どうしようか。
どんな形がいいだろうか。
もしこうしたら、どうなるだろう。
そうやって頭の中で転がしている時間が、
もうすでに楽しい。
旅行もそうだ。
実際に行く前、
地図を見て、ルートを考えて、
どこで何を食べようかと想像している時間が、
一番わくわくする。
行ってしまえば、あとは現実だ。
もちろん楽しいけれど、
あの計画段階の高揚感とは、少し質が違う。
きっと、カメラも同じなのだ。
夕焼けを撮るか。
空を撮るか。
習慣にするか、自由にするか。
その間で揺れている今この瞬間も、
もう、私はカメラを楽しんでいるのかもしれない。
空は、今日もそこにある。
夕焼けは、また明日も訪れる。
急ぐ必要はない。
考えている時間も、悪くない。
そう思いながら、
まだ手に取っていないカメラのことを、
今日も少しだけ考えている。

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