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80歳のルラ、通算4期目への挑戦 ブラジル大統領選2026が映すトランプ時代の南米

2026年8月2日、サンパウロ市内で開かれた労働者党(PT)の集会で、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ大統領が10月の大統領選への出馬を正式に表明しました。1945年生まれ、現在80歳。通算4度目の当選を目指す選挙戦です。旋盤工から労働運動の指導者となり、大統領を2期務め、汚職事件で収監され、判決が無効となって2023年に返り咲いた人物が、もう一度4年の任期を求めています。

しかしこの選挙は、単に「高齢の現職が再選を目指す」という話では終わりません。対立候補として名乗りを上げているのは、ジャイル・ボルソナロ前大統領の長男、フラビオ・ボルソナロ上院議員です。そしてその背後には、関税とマグニツキー法制裁という二つの武器を使ってブラジルの内政に踏み込んできたトランプ米政権が控えています。2026年1月には、米国がベネズエラのマドゥロ大統領夫妻の身柄を確保するという事態も起きました。南米の主権と米国の影響力をめぐる緊張が、そのまま10月の投票日に流れ込んでいます。

この記事では、8月2日に何が起きたのかという事実の整理から始めて、対立の構図、世論調査の数字、米国の関税政策の変遷、ブラジル経済の実像、そしてルラ氏が4期目に掲げるレアアースと防衛産業という新しい産業戦略までを、一つずつ丁寧に見ていきます。読み終えたときに、10月4日の第1回投票を「遠い国のニュース」ではなく「資源とサプライチェーンをめぐる世界の再編の一場面」として見られるようになることを目指します。


1. サンパウロの集会で何が決まったのか

8月2日、サンパウロ北部のイベント会場エキスポ・センター・ノルテで、労働者党の全国集会が開かれました。この場でルラ氏の擁立が正式に決定し、本人が再選を目指す意向を表明しました。副大統領候補には、現職のジェラルド・アルキミン副大統領が再び組む形となります。アルキミン氏はもともとブラジル社会民主党(PSDB)出身で、かつてはルラ氏の対立候補として大統領選を戦った人物です。その2人が3度目の同じチケットを組むこと自体が、現在のブラジル政治で「反ボルソナロ」という一点がどれだけ強い接着剤になっているかを示しています。

集会には、ブラジル社会党(PSB)をはじめとする複数の左派政党の代表者も参加しました。労働者党単独ではなく、中道左派から中道までを含む幅広い連合を選挙戦の土台にするという意思表示です。同時に、サンパウロ州知事選に立つフェルナンド・ハダジ氏(現財務相)をはじめ、PT系の現職知事たちも顔をそろえました。大統領選と同じ日に、連邦議会選挙と州知事選挙も行われるため、この集会は「大統領候補のお披露目」であると同時に「全国の候補者の総決起集会」でもありました。

ルラ氏は支持者を前に、こう述べています。

実績のある者は、さらに多くを約束できる

短い一文ですが、この選挙戦におけるルラ陣営の戦略が凝縮されています。新しいビジョンを語るのではなく、過去23年間の実績を担保に「もう一度任せてほしい」と訴える構えです。そして4期目の政策として、教育の充実、レアアース開発、防衛産業の強化という3点を具体的に挙げました。教育は伝統的な労働者党の看板政策ですが、レアアースと防衛産業は明らかに新しい要素です。この2つがなぜ選挙演説の中心に据えられたのかは、後の章で詳しく見ていきます。

なお、選挙運動の本格的なキックオフは8月16日、サンパウロ郊外のサンベルナルド・ド・カンポ市ビラ・エウクリデス地区で行う方針も示されています。ここはルラ氏が1970年代末に金属労働組合のリーダーとして大規模ストライキを指揮した場所であり、労働者党発祥の地でもあります。80歳の候補が「原点に帰る」という演出を選んだこと自体が、今回の選挙の性格を物語っています。


2. 選挙日程と、いま押さえておくべき期限

ブラジルの大統領選挙は2回投票制です。第1回投票で有効票の過半数を得た候補がいれば、その時点で当選が決まります。過半数に届かなければ、上位2名による決選投票に進みます。

2026年の日程は次の通りです。第1回投票が10月4日、決選投票が10月25日。候補者の正式登録は8月中旬が期限とされており、報道ベースでは8月15日が締め切りとされています。つまり、8月2日のルラ氏の出馬表明は、登録期限の直前に行われた「駆け込み」ではなく、期限を見据えて計算された政治イベントだったということになります。

同じ日に行われるのは大統領選だけではありません。連邦下院議員の全議席、連邦上院議員の3分の1、各州の知事と州議会議員も同時に選ばれます。ブラジルは連邦制であり、大統領が政策を実行するには議会の協力が不可欠です。過去のルラ政権もボルソナロ政権も、議会の多数派工作(ブラジルでは「セントロン」と呼ばれる中道の議員グループとの取引)に大量の政治資源を投じてきました。大統領選の結果だけを見て「これでブラジルの政策方向が決まった」と考えるのは早計で、議会構成が実際の統治能力を大きく左右します。

投資家の視点で言えば、10月4日と10月25日という2つの日付に加えて、8月中旬の候補者登録、9月からのテレビ討論、そして選挙期間中の司法判断(後述するボルソナロ家をめぐる被選挙権の問題)が、市場のボラティリティを生む節目になります。


3. ルラという政治家の来歴を振り返る

今回の選挙を理解するために、ルラ氏がどういう経歴の政治家なのかを整理しておきます。

ルラ氏は1945年、ブラジル北東部ペルナンブコ州の貧しい家庭に生まれました。少年期に一家でサンパウロへ移り、旋盤工として働き始めます。労働災害で左手の小指を失ったというエピソードは、ブラジルではよく知られています。1970年代後半、軍事政権下のサンベルナルド・ド・カンポで金属労働組合の委員長として大規模ストライキを指導し、1980年に労働者党を結成しました。

大統領選には1989年、1994年、1998年と3度挑戦して敗れ、4度目の2002年にようやく当選します。就任は2003年。2期8年を務め、退任時の支持率は90%近くに達しました。この時期のブラジルは、中国の需要拡大に支えられた資源ブームの追い風を受け、貧困率の低下と中間層の拡大が同時に進みました。条件付き現金給付制度「ボルサ・ファミリア」は、この時期を代表する政策として世界的に知られるようになります。

その後、2018年に汚職事件で有罪となり収監されます。しかし2021年に連邦最高裁が手続き上の理由で判決を無効とし、政治的権利が回復しました。そして2022年の大統領選で当時の現職だったボルソナロ氏を僅差で破り、2023年1月に大統領に返り咲きます。得票率の差は2ポイント弱で、ブラジルの民主化以降で最も接戦の大統領選でした。

この経歴が意味するのは2つです。第一に、ルラ氏は「敗北からの復活」を4回経験している政治家であり、逆境での選挙戦に極めて強いこと。第二に、汚職で収監された過去は消えておらず、反対派にとっては今も最大の攻撃材料であり続けていることです。支持率が回復してもなお「ルラは再選に値しない」と答える有権者が半数程度いる背景には、この記憶があります。


4. 対立軸は「ボルソナロ家」 フラビオ上院議員という選択

対抗馬として立つのは、フラビオ・ボルソナロ上院議員です。ジャイル・ボルソナロ前大統領の長男で、リオデジャネイロ州選出の上院議員を務めています。所属は自由党(PL)で、2025年7月にサンパウロで開かれた党大会で正式に大統領候補に指名されました。

なぜ本人ではなく長男なのか。理由は司法にあります。ボルソナロ前大統領は2023年6月30日、選挙制度への攻撃をめぐる裁判で被選挙権を停止されました。さらに2025年9月、2022年の大統領選敗北後のクーデター計画に関与したとして有罪判決を受け、27年3か月の刑を言い渡されています。同年11月には収監されました。つまり、本人が出馬する道は事実上閉ざされており、家族の中から後継者を立てる必要があったということです。

ボルソナロ家には、下院議員のエドゥアルド氏(米国に滞在し、トランプ政権への働きかけを行ってきたとされる人物)、リオ市議のカルロス氏など複数の政治家がいます。その中で上院議員という国政の経験を持つフラビオ氏が選ばれた形です。ただし、フラビオ氏自身にも選挙管理をめぐる訴訟が係属しており、被選挙権が争われる可能性が残っていると報じられています。この司法リスクは、選挙戦の最大の不確実要因の一つです。

一方で、右派陣営にはサンパウロ州知事のタルシジオ・デ・フレイタス氏、ゴイアス州知事のロナウド・カイアド氏といった有力者もいます。彼らが独自に出馬すれば右派票が分散し、ルラ氏に有利に働きます。逆に、フラビオ氏に一本化されれば決選投票は極めて僅差になる可能性が高くなります。8月中旬の候補者登録までに右派がどこまでまとまるかが、最初の関門です。


5. 世論調査が描く構図 リードはあるが決着はしていない

数字を見ていきます。

調査会社クエスト(Quaest)が2026年7月に実施した調査では、第1回投票の想定でルラ氏が40%、フラビオ氏が28%でした。決選投票の想定ではルラ氏45%、フラビオ氏37%で、その差は8ポイント。6月調査では44%対38%の6ポイント差だったので、1か月で差が広がった計算になります。

別の調査会社アトラスインテル(AtlasIntel)の7月調査では、第1回投票でルラ氏46.3%、フラビオ氏36.6%という結果でした。調査会社によって水準は異なりますが、いずれもルラ氏が先行しているという方向性は一致しています。

ただし、ここで注意すべき点が2つあります。

第一に、第1回投票で過半数を取れるかどうかは微妙だということです。ルラ氏の40%台という数字は、決選投票に持ち込まれる可能性が十分にあることを意味します。決選投票では、第1回投票で敗れた候補の支持層がどちらに流れるかで結果が大きく動きます。2022年の大統領選が2ポイント弱の差で決着したことを思い出せば、8ポイントというリードは安全圏とは言えません。

第二に、ブラジルの世論調査は過去に実際の得票率を外した実績があります。2022年の選挙では、多くの調査機関がルラ氏の第1回投票での勝利を予測していましたが、実際には決選投票にもつれ込みました。ボルソナロ支持層は調査で回答を避ける傾向があるとも指摘されており、右派の実力は数字より強い可能性があります。

政権支持率の推移も見ておきましょう。クエストの調査では、2025年8月時点でルラ政権の支持は46%、不支持は51%と、不支持が上回っていました。それが2026年6月には支持46〜47%、不支持48〜49%まで縮まり、7月には支持48%、不支持47%と、2024年末以来はじめて支持が不支持を上回りました。

回復の背景として報じられているのは、実質所得の改善、所得税減税の議論、そして対米関係での「主権を守る大統領」という姿勢が支持層に刺さったことです。特に北東部での支持率は7月時点で60%に達しており、ルラ氏の伝統的な地盤が固まっていることがわかります。また「ルラは再選に値しない」と答えた人の割合は、4月の59%から7月には51%まで低下しました。


6. 最大の変数はトランプ政権 関税50%から25%への迷走

今回の選挙を2022年と決定的に違うものにしているのが、米国トランプ政権の存在です。

経緯を時系列で整理します。

2025年5月30日、米国はブラジル産の鉄鋼および鉄鋼製品に対する関税を50%に引き上げました。これは対ブラジル固有の措置というより、鉄鋼全般に対する通商政策の一環でした。

流れが変わったのは2025年7月9日です。トランプ大統領がルラ大統領宛ての書簡で、ブラジル産品全般に50%の関税を課す意向を表明しました。発効予定日は8月1日。この書簡で異例だったのは、関税の理由として貿易赤字や不公正貿易ではなく、ボルソナロ前大統領に対する司法手続きを問題視した点です。通商政策が、他国の司法過程への圧力として明示的に使われた事例として記録されました。

2025年7月30日、大統領令によって国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく40%の追加関税が発動され、既存の10%と合わせて50%となりました。ただし、この時点で航空機および航空部品、オレンジジュース、石油、鉄鉱石、アルミニウム、天然ガス、肥料、木材などは対象外とされました。米国自身が必要とする品目は除外するという、きわめて現実的な線引きです。

同じ2025年7月、米国はボルソナロ氏の裁判を担当した連邦最高裁のアレシャンドレ・デ・モラエス判事に対し、マグニツキー法に基づく制裁を科しました。9月22日には判事の妻も制裁対象に加わり、ブラジル政府高官6人のビザが取り消されています。他国の現職最高裁判事個人に人権侵害を理由とする制裁を科すというのは、通常の外交では考えにくい措置でした。

その後、局面は反転します。2025年11月には、コーヒーや牛肉など一部の農産品が40%関税の適用除外となりました。これは米国内の食品価格上昇への懸念が背景にあったとされています。そして2025年12月12日、米財務省はモラエス判事への制裁を解除しました。

2026年に入ると、関税そのものが再編されます。2026年6月にトランプ大統領が対ブラジル25%関税を提案し、7月に実施されました。この措置では、コーヒー、牛肉、オレンジ、オレンジジュース、航空機部品などが除外され、ワシントン・ポストの報道によれば米国向けブラジル輸出の44%が免除対象となりました。ピーターソン国際経済研究所(PIIE)の分析では、対米輸出の3分の2が新関税を回避し、課税対象は機械、電気機器、花崗岩、金、タイヤ、砂糖、衣料品などに集中しているとされます。

この1年間の推移をどう読むか。3つの示唆があります。

第一に、50%という数字は交渉のための「見出し」であり、実際に適用された範囲は限定的だったということです。除外品目のリストを見れば、米国が自国の産業と消費者を守りながら政治的メッセージを送ろうとしたことがわかります。

第二に、それでもブラジル側は実害を被りました。FTIコンサルティングの資料によれば、2025年のブラジルの総輸出は前年比116億ドル増えた一方、対米出荷は26億ドル減少しています。つまり、対米輸出を失った分を他の市場(主に中国、中東、アジア)で埋め合わせたということです。関税は米国依存を下げる方向にブラジルの輸出構造を押し出しました。

第三に、そして選挙にとって最も重要なことですが、この圧力はルラ氏の政治的追い風になった可能性が高いということです。外国からの内政干渉に対して毅然と立つ大統領という構図は、有権者の主権意識を刺激します。2026年6月時点でブラジルの対米輸出が回復に転じたという政府系メディアの報道もあり、経済的な痛みが選挙前に和らいだことも、ルラ陣営にとっては幸運でした。


7. マドゥロ拘束が変えた選挙の空気

2026年1月3日、米軍の作戦によってベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領と妻シリア・フローレス氏の身柄が確保され、ニューヨークへ移送されたと報じられました。カラカスへの夜間攻撃を伴い、多数の死者が出たとされています。米側は麻薬関連の容疑に基づく法執行措置と位置づけました。

ルラ大統領は直後にこの行動を強く非難し、ベネズエラの主権に対する重大な侵害だと主張しました。メキシコ、コロンビア、チリ、ウルグアイなどの左派政権も、地域の平和と安全に対する危険な前例だと警告しています。一方で、アルゼンチンのミレイ大統領やエクアドルのノボア大統領は米国の行動を歓迎しました。国連安全保障理事会の緊急会合も招集され、南米は明確に二分されました。

8月2日の集会でルラ氏が語った「誰もこの国を甘く見てはならない」という発言は、この事件を念頭に置いたものです。そして同じ演説の中で防衛産業への投資拡大の必要性を強調しました。この2つは一続きの論理です。南米の大国であっても、軍事的な非対称性の前では主権が守られないかもしれない。だから自前の防衛産業が必要である。有権者の危機感に訴えかける、きわめて効果的なメッセージ設計です。

同時に、この事件は右派陣営にとっても材料になります。ミレイ大統領はフラビオ氏の集会に駆けつけるなど、南米の右派勢力が連携を強める動きを見せています。トランプ政権、ミレイ政権、そしてボルソナロ家という3者の結びつきは、ブラジルの有権者にとって「秩序と対米協調」の象徴にも「主権の売り渡し」の象徴にもなり得ます。10月の選挙は、この解釈をめぐる争いでもあります。


8. 経済の実像 高成長から減速へ

選挙の帰趨を左右するのは、最後は経済です。ルラ政権2期目の経済成績を数字で確認します。

実質GDP成長率は、2023年が3.2%、2024年が3.4%、2025年が2.3%でした。ブラジル中央銀行の2026年3月のインフレ報告書では、2026年の成長率見通しは1.6%とされています。就任初年度から2年目にかけて3%台の高成長を記録した後、明確に減速局面に入ったという流れです。

減速の主因は金融引き締めです。政策金利セリックは一時15%近辺まで引き上げられ、直近では14.75%に引き下げられました。名目で14%台という水準は、先進国の感覚では極端な高金利です。ブラジルの実質金利は世界最高水準にあり、企業の設備投資と家計の消費を抑え込んできました。

引き締めの成果はインフレ率に表れています。消費者物価指数(IPCA)の12か月累計は、2025年11月の4.46%から2026年2月には3.81%へ低下しました。2025年通年のIPCAは4.3%、2026年の見通しは3.6%です。ブラジルのインフレ目標は3%なので、まだ上振れしていますが、目標圏内への収束が視野に入ってきた状態です。

ここに、ブラジル経済の構造的なジレンマが見えます。インフレを抑えるために高金利を維持すれば、成長は鈍る。成長を優先して利下げを急げば、インフレとレアル安が再燃する。しかも財政面では、政府支出の拡大圧力が常に働いています。ルラ政権は財政枠組み(アルカブーソ・フィスカル)を導入して支出の伸びを制御する仕組みを作りましたが、選挙年に社会保障や減税の拡大圧力がかかるのは、どこの国でも同じです。

有権者の体感という点では、2026年の状況はルラ陣営にとって悪くありません。インフレが4%台から3%台へ下がり、名目賃金の伸びが物価を上回れば、実質購買力は改善します。7月に政権支持が不支持を上回ったタイミングと、インフレ率が3%台に定着したタイミングは重なっています。一方で、1.6%成長という数字は「景気が良い」と言える水準ではなく、雇用の伸び悩みが選挙戦の終盤で争点化するリスクは残ります。


9. 市場だけが強い ボベスパ最高値と外国人比率61%

実体経済が減速しているにもかかわらず、金融市場はまったく別の景色を見せています。

代表的な株価指数であるボベスパ指数は、2026年に入って史上最高値の更新を繰り返しました。1月には18万3000ポイントを超え、7月9日時点でも17万2742ポイントという高水準を維持しています。

この上昇を主導したのは外国人投資家です。ブラジル証券取引所(B3)の売買に占める外国人投資家の比率は2026年に61.2%から61.5%程度に達し、過去最高水準となりました。報道によれば、2026年1月だけで263億レアルの資金が流入し、4月中旬までの累計では677億レアルを超えたとされています。

なぜ、成長率1.6%の国に資金が集まるのか。理由は3つあります。

第一に、名目14%台という金利水準です。インフレが3%台に下がってきた局面では、実質金利は10%を超えます。国債に投資するだけで高い実質リターンが得られる環境は、グローバルな投資家にとって魅力的です。

第二に、株式のバリュエーションが割安だったことです。数年にわたるレアル安と高金利で、ブラジル株はドル建てで見て歴史的に低い水準にありました。

第三に、資金の再配分です。米国の政策の不確実性が高まる中で、「米国以外」に資金を振り向ける動きが強まり、その受け皿の一つとしてブラジルが選ばれました。市場では「セル・アメリカ、バイ・ブラジル」という言葉が使われたほどです。

ただし、この構図には注意が必要です。外国人比率61%という数字は、流入がそのまま流出に転じるリスクの裏返しでもあります。選挙結果が市場の期待と異なった場合、あるいは新政権の財政運営が疑問視された場合、資金は同じ速度で逆流します。ボベスパの最高値は「ブラジル経済が強い」ことの証明ではなく、「グローバルな資金がブラジルを選んでいる」という一時的な状態の記録にすぎません。

投資家にとっての実務的な論点は明確です。10月の選挙結果そのものよりも、当選した大統領が財政規律をどう扱うか、そして中央銀行の独立性が維持されるかが、資金の向きを決めます。


10. ルラが4期目に掲げる産業戦略 レアアースと防衛

8月2日の演説でルラ氏が挙げた「レアアース開発」と「防衛産業の強化」は、選挙向けのスローガンにとどまらない、実体のある政策テーマです。

まずレアアース(希土類)です。ブラジル政府の2026年の投資家向け資料によれば、ブラジルのレアアース埋蔵量は2100万トンで世界第3位、世界全体の約23.3%を占めます。別の資料では約2200万トンとされ、首位の中国(約4400万トン)に次ぐ規模です。

ところが生産量はまったく違います。2024年時点でブラジルのレアアース生産は世界全体の0.05%程度にすぎず、中国が約70%を占めています。さらに深刻なのは精製です。中国はレアアース精製能力の約90%、重希土類の精製ではほぼ99%を握っているとされます。つまりブラジルは「巨大な埋蔵量を持つが、掘っても加工できない国」でした。

この構図を変えようとしているのが、ゴイアス州のセラベルデ(Serra Verde)プロジェクトです。2024年に商業生産を開始し、2027年には年間6500トンのレアアース酸化物生産を目指しています。特徴は、電気自動車のモーターや風力発電機に不可欠なジスプロシウムやテルビウムといった重希土類を含む点にあります。この鉱山に対して、米国国際開発金融公社(DFC)が5億6500万ドルの支援を約束したと報じられており、西半球で完結する供給網を作る狙いが見えます。

ここに、この選挙の面白い逆説があります。関税とマグニツキー法制裁でブラジルに圧力をかけた米国が、同時にブラジルのレアアース鉱山には巨額の資金を投じている。政治的には対立し、資源政策では手を組む。トランプ政権の対ブラジル政策は、この二重性の上に成り立っています。

ルラ政権は重要鉱物を「新産業ブラジル(Nova Indústria Brasil)」という産業政策の中核に位置づけ、単なる採掘・輸出から加工・精製までを国内で担う国への転換を目指しています。ブラジル政府の資料では、同国が世界の重要鉱物埋蔵量の約10%を保有するとされています。リチウム、ニッケル、銅、黒鉛も含めた「重要鉱物の供給国」というポジションは、4期目の経済戦略の柱になります。

次に防衛産業です。2025年2月、ルラ政権は防衛産業への投資として総額1129億レアルを発表しました。内訳は公的資金798億レアル、民間資金331億レアルです。対象にはエンブラエルのKC-390輸送機、グリペン戦闘機、装甲車両、フリゲート艦、潜水艦などが含まれ、そのうちPACデフェーザ(防衛版の成長加速計画)だけで314億レアルが計上されています。

政策目標として掲げられているのが「技術自立率」です。2025年時点で42.7%だったこの比率を、2026年までに55%、2033年までに75%へ引き上げるとしています。国産化率を政策目標として数値で示すやり方は、日本の防衛産業政策にも通じるものがあります。

エンブラエルという世界第3位の航空機メーカーを持ち、深海油田開発で培った技術基盤があるブラジルにとって、防衛産業は数少ない高付加価値の輸出産業候補です。マドゥロ拘束事件で高まった安全保障への関心と、産業政策としての防衛産業育成が、選挙演説の中で自然に結びついたということになります。


11. 格差という宿題 サンパウロの声が示すもの

日本経済新聞の取材で紹介されたサンパウロ市内の2人の声は、この選挙の本質をよく表しています。

貧困地区に住むルシア・ドス・サントスさん(55)は、ルラ政権下で教育や医療の環境が改善したと感じており、「私たち貧しい人々は現政権から多くの支援を受けた。せめて子どもには良い教育を受けさせたいというのが切実な願いだ」と語っています。

一方、長年のルラ支持者だというルシオ・デ・ソウザ・リマさん(67)は「所得の再分配を進めてほしい」としつつ、「根深い問題で、大統領一人で解決できる問題ではない」と話しました。世界有数の格差を抱えるブラジルで、是正が進まないことへのいらだちがにじんでいます。

この2つの声の距離が、ルラ陣営の課題を示しています。支持層は現政権の恩恵を認めながらも、変化の速度に満足していない。ボルサ・ファミリアはルラ氏の復帰後に再構築され、家族構成や子どもの有無を反映する制度として設計し直され、保健・医療・教育・社会扶助へのアクセスを統合する方向で運用されています。制度としては前進しています。しかし、構造的な格差は現金給付だけでは動きません。

ブラジルの格差問題の根は、土地所有、教育機会、都市の空間構造、税制の逆進性という複数の層にまたがっています。とりわけ税制は、消費課税の比重が高く所得課税の累進性が弱いため、低所得層ほど負担率が高くなる構造です。ルラ政権は2024年11月に所得税改革案を打ち出し、低所得層の負担軽減と高所得層への課税強化を進めようとしてきました。所得税減税は2026年の選挙戦でも中心的な争点の一つになっています。

有権者が求めているのは「これまでの実績」ではなく「これからの変化」です。「実績のある者はさらに多くを約束できる」というルラ氏の言葉は、逆に言えば「実績だけでは足りない」ことを本人が理解している証拠でもあります。


12. 80歳という論点をどう読むか

ルラ氏は現在80歳です。任期を全うすれば85歳になります。この年齢は、選挙戦の最大のリスク要因の一つとして繰り返し報じられてきました。

健康面では、2024年に脳出血の手術を受けた既往があります。2026年3月の定期検診では「結果は正常」と発表されました。同じ年に白内障の手術と皮膚がんの切除も受けています。80歳という年齢を考えれば特別に悪い状態とは言えませんが、健康に関するニュースが政治的な意味を持つ状況が続いています。

ルラ陣営はこの論点に正面から取り組んでいます。ジムでの運動やランニングの様子をSNSでライブ配信し、「統治能力がある」ことを可視化する戦略です。報道によれば、この健康アピールは選挙キャンペーンの一部として明確に位置づけられています。

しかし、年齢の問題は健康だけではありません。より本質的なのは「ルラ疲れ」と呼ばれる感情です。2003年から数えて23年間、ブラジルの政治はルラという人物を中心に回ってきました。支持するにせよ反対するにせよ、有権者はこの構図に慣れ、そして飽きています。労働者党の中に次世代のリーダーが育っていないことも、この疲労感を強めています。ハダジ財務相、ボウロス都市相といった候補はいますが、ルラ氏の集票力に匹敵する存在は現れていません。

同じ問題は右派側にもあります。ボルソナロ前大統領が収監され、被選挙権を失った後も、右派の求心力は「ボルソナロ家」というブランドに依存しています。フラビオ氏が父親の名前以外の何を有権者に示せるかは、この陣営の課題です。

2026年の大統領選は、80歳の現職と、収監された前大統領の息子という組み合わせで争われます。ブラジル政治が新しい世代を生み出せていないことの表れとも読めます。


13. 日本のビジネスパーソンと投資家にとっての論点

ここまでの内容を、日本から見た実務的な論点に落とし込みます。

第一に、資源とサプライチェーンです。ブラジルは鉄鉱石、大豆、トウモロコシ、牛肉、コーヒー、砂糖、エタノールといった一次産品の主要輸出国であり、日本の食料とエネルギーの供給網に深く関わっています。ここにレアアースと重要鉱物という新しい軸が加わります。中国が精製の9割を握る構造からの脱却を目指す動きの中で、ブラジルは西側にとって最も現実的な代替供給地の一つです。日本企業にとっては、単に鉱石を買う相手ではなく、精製・加工の合弁パートナーとして考える段階に入りつつあります。

第二に、政治リスクの読み方です。ブラジルの選挙リスクを「左派か右派か」で単純化すると読み違えます。実際には、ルラ政権も財政枠組みを導入し、中央銀行の独立性を維持し、外資の流入を受け入れてきました。逆に右派政権になれば市場が無条件に喜ぶかというと、対米追随の度合いによっては中国向け輸出という最大の収入源が揺らぎます。ブラジルにとって中国は最大級の貿易相手であり、大豆と鉄鉱石の主要な行き先です。誰が大統領になっても、対中関係を切る選択肢は現実的ではありません。

第三に、通商政策の教訓です。トランプ政権が関税を他国の司法過程への圧力手段として使い、その後に段階的に緩和したという一連の経緯は、日本を含むすべての貿易相手国にとって参考になります。50%という数字が発表された段階で最悪を織り込むのではなく、除外品目のリストを丁寧に読み、実効税率を計算し、代替市場を探す。ブラジルは2025年の1年間でまさにそれを実行し、対米輸出の減少分を他市場で埋め合わせました。関税ショックへの対応の実例として、この事例は研究に値します。

第四に、市場のポジションです。外国人比率61%という数字は、ブラジル資産が「グローバル投資家の一時的な選好」に強く依存していることを意味します。日本の投資家が新興国資産への配分を考える際、ブラジルは高い実質金利という魅力と、選挙後の政策不確実性というリスクを同時に抱えた市場です。10月の選挙結果よりも、その後の財政運営と中銀人事を見るべきだという点は、繰り返し強調しておきます。


14. 10月4日までに何を見ればよいか

最後に、これから2か月間のチェックポイントを整理します。

第一に、8月中旬の候補者登録です。右派がフラビオ氏に一本化するのか、タルシジオ・デ・フレイタス氏らが独自に立つのか。ここで構図が確定します。分裂すればルラ氏の第1回投票での勝利の可能性が高まり、一本化すれば決選投票が濃厚になります。

第二に、司法判断です。フラビオ氏の被選挙権をめぐる訴訟が選挙管理を担う最高選挙裁判所(TSE)でどう扱われるか。ここで資格が否定されれば、右派は投票日の直前に候補を差し替える必要に迫られます。逆にこの判断が「司法による政治介入」と受け止められれば、右派の結束を強める材料にもなります。

第三に、9月以降の世論調査のトレンドです。見るべきは水準ではなく変化の方向です。決選投票想定の差が広がっているのか縮まっているのか、そして無回答・未定層がどちらに動くのか。2022年の経験からすると、終盤に右派が数字を伸ばす傾向があります。

第四に、米国の出方です。トランプ政権が選挙期間中に追加の関税や制裁を打ち出すのか、あるいは接近を図るのか。過去1年の経験では、外圧はルラ氏の追い風になりました。米国側がそれを学習しているのであれば、選挙期間中は静観する可能性もあります。

第五に、経済指標です。インフレ率が3%台を維持できるか、中央銀行が追加利下げに動くか、そして雇用と実質賃金がどう推移するか。有権者の生活実感は、最終的にこの3つで決まります。

そして第六に、ルラ氏の健康です。80歳の候補にとって、選挙戦は体力の消耗が激しい2か月間になります。この期間に健康問題が表面化すれば、選挙の構図そのものが変わります。


15. まとめ

2026年8月2日、サンパウロで80歳の大統領が4度目の当選を目指すと宣言しました。この出来事から読み取れることを、5点にまとめます。

第一に、ブラジルの選挙は依然として「ルラ対ボルソナロ」の構図から抜け出していません。本人が収監されても、その名前は長男を通じて選挙戦の中心に居続けます。世論調査ではルラ氏が優位ですが、決選投票想定で8ポイントというリードは、2022年の接戦を考えれば決して安全圏ではありません。

第二に、この選挙は主権をめぐる争いになりました。トランプ政権による関税、最高裁判事への制裁、そしてマドゥロ大統領の身柄確保という一連の出来事が、有権者の主権意識を刺激しています。ルラ氏が防衛産業への投資を演説の柱に据えたのは、この空気を読んだ選択です。

第三に、経済は減速局面にあります。GDP成長率は2024年の3.4%から2025年に2.3%へ、2026年見通しは1.6%です。政策金利14.75%という強い引き締めがインフレを3%台まで押し下げた代償として、実体経済は勢いを失っています。一方でボベスパは最高値を更新し、外国人投資家の売買比率は61%台の過去最高水準に達しました。実体と市場が乖離している状態です。

第四に、レアアースと防衛産業という新しい産業戦略が動き出しています。世界第3位の埋蔵量を持ちながら生産シェアは0.05%という極端なギャップを埋める試みは、中国の精製支配からの脱却を目指す西側にとって重要な意味を持ちます。米国が政治的にはブラジルに圧力をかけながら、鉱山には5億6500万ドルの支援を約束しているという二重性が、この分野の複雑さを物語っています。

第五に、格差は解決していません。ルラ政権下で貧困層への支援は拡大しましたが、有権者は「もっと速く」を求めています。「根深い問題で、大統領一人で解決できる問題ではない」という支持者の言葉は、この選挙の後にも同じ課題が残ることを予告しています。

10月4日の第1回投票、10月25日の決選投票。この2つの日付は、ブラジル一国の政治日程であると同時に、南米という地域が米国との距離をどう取るのか、そして重要鉱物のサプライチェーンがどう組み替わるのかを左右する分岐点です。遠い国の選挙として見過ごすには、あまりに多くのものが乗っています。


参考文献・出典

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