円形劇場のあるまち『モモ』から考える、時間と暮らし第5回 効率化と失われたもの
『モモ』に登場する灰色の男たちは、人々にこう語りかけます。
時間を節約しなさい。
無駄をなくしなさい。
将来のために今を使いなさい。
一見すると、間違ったことは言っていません。
むしろ私たちも普段から耳にしている言葉ばかりです。
効率化。
生産性向上。
タイムパフォーマンス。
働き方改革。
どれも大切なことです。
しかし『モモ』は、そこでひとつの問いを投げかけます。
私たちは何を得て、何を失ったのだろうか、と。
◾️無駄と呼ばれた時間
灰色の男たちが最初に削ろうとしたのは、家族との会話でした。
友人との雑談でした。
子どもと遊ぶ時間でした。
ゆっくり考える時間でした。
つまり、すぐには役に立たない時間です。
しかし考えてみると、
人生の中で本当に大切な記憶は、
そうした時間の中にあるような気がします。
何気ない会話。
一緒に食べた食事。
寄り道した帰り道。
意味もなく集まった時間。
それらは生産性では測れません。
けれど確かに人生を豊かにしています。
◾️学校が遠くなった時代
先日、高校の授業参観で保護者の方と話をする機会がありました。
その方はこんなことを話してくれました。
「うちの子は中学生の頃ずっとコロナでした。学校へ行く機会もなくて、学校がとても遠い存在に感じたんです。」
だからPTAを引き受けたのだと言います。
学校に関わりたかったから。
子どもたちの様子を知りたかったから。
先生や保護者と話したかったから。
その話を聞いたとき、
私は少し考え込んでしまいました。
コロナ禍では感染対策のために多くのことが効率化されました。
オンライン会議も増えました。
しかしその一方で、
人と人が同じ場所で時間を共有する機会も失われていったのです。
◾️便利になった社会
私たちの社会は確実に便利になりました。
買い物はネットでできます。
連絡はスマートフォンですぐに取れます。
会議もオンラインでできます。
昔より多くの情報を得られるようになりました。
しかしその一方で、近所との付き合いは減りました。
自治会への参加も減りました。
商店街で立ち話をする機会も少なくなりました。
便利になったはずなのに、なぜか孤独を感じる人は増えているように思います。
◾️効率化できないもの
居住支援の現場でも同じことを感じます。
相談は効率化できません。
信頼関係も効率化できません。
地域とのつながりも効率化できません。
人の話を聞くことも効率化できません。
むしろ時間がかかります。
遠回りです。
結論が出ないこともあります。
しかし、その遠回りの中でしか見えてこないものがあります。
◾️失われたものを取り戻せるか
私は効率化そのものを否定したいわけではありません。
便利になったことによって救われた人もたくさんいます。
問題は、効率だけが価値の基準になってしまうことです。
『モモ』の中で人々が失ったのは、時間そのものではありません。
人と過ごす時間でした。
考える時間でした。
夢を見る時間でした。
そして、人間らしく生きる時間でした。
◾️円形劇場に残されたもの
それでも私は希望があると思っています。
なぜなら人は今でも、
誰かと話したいと思っているからです。
誰かに話を聞いてほしいと思っているからです。
地域の中に居場所を求めているからです。
だから円形劇場はなくならない。
形を変えながら残り続けるのだと思います。
居住支援協議会もまた、そんな現代の円形劇場のひとつなのかもしれません。
次回は、『モモ』の終盤に登場する「致死的退屈症」を手がかりに、孤独や無気力について考えてみたいとおもいます。
