円形劇場のあるまち『モモ』から考える、時間と暮らし 第1回 聞こえているのに、心が聞こえない
最近、『モモ』を読みました。
子どもの頃に読んだことがある方もいるかもしれません。
しかし、今あらためて読んでみると、印象に残ったのは物語の舞台そのものではなく、人々がそこで時間を共有していたことでした。同じ場所に集まり、語り合い、ただ一緒に過ごす。
その時間は決して無駄ではなく、むしろ効率ばかりが求められる今の社会だからこそ、とても貴重なものなのだと感じました。
◾️大人になって読み返した『モモ』
ミヒャエル・エンデによる有名な児童文学ですが、今の年齢になって読むと、子どもの頃とはまったく違う本に見えました。
そこに描かれていたのは、時間どろぼうの物語というよりも、
「人間らしく生きるとはどういうことか」
という問いだったように思います。
◾️モモの特別な力
モモには特別な能力がありました。
それは、相手の話を聞くことです。
難しい助言をするわけではありません。
問題を解決するわけでもありません。
ただ、相手の話をじっくり聞く。
すると不思議なことに、話した人は自分で答えを見つけたり、元気を取り戻したりするのです。
ところが物語が進むにつれ、人々はどんどん忙しくなっていきます。
時間を節約し、効率を求め、急いで生きるようになります。
そしてある場面で、こんな言葉が出てきます。
話す声は聞こえるし、言葉はきこえるのですが、話す人の心は聞こえてこないのです。
この一文を読んだとき、私は思わず立ち止まりました。
◾️言葉の奥にある本当の困りごと
空き家の相談でも、居住支援の相談でもそうです。
最初に聞こえてくるのは、「家が見つからない」という言葉です。
しかし話を聞いていくと、家族との関係だったり、健康の不安だったり、孤独だったり、将来への心配だったり、本当に困っていることは別のところにある場合があります。
言葉は聞こえている。
でも心は聞こえていない。
そんなことが少なくありません。
◾️行政の現場で感じてきたこと
思い返せば、市役所で働く中でも同じような場面をたくさん見てきました。
窓口で怒っている人。
電話で強い口調になる人。
制度への不満をぶつける人。
最初はその言葉ばかりが耳に入ります。
しかし少し時間をかけて話を聞いてみると、その奥にある不安や寂しさが見えてくることがあります。
もちろん、いつもできるわけではありません。
忙しい日もあります。
待っている人もいます。
私自身にも余裕がない日があります。
だからこそ、『モモ』の言葉が胸に刺さったのかもしれません。
◾️聞こえているのに聞けない社会
今の社会は、聞こえているのに聞けない社会なのではないでしょうか。
言葉はあふれています。
SNSもあります。
ニュースもあります。
会議もあります。
メールもあります。
しかし、その人の心に耳を傾ける時間は、少しずつ減っているように感じます。
◾️協議会は話を聞くための場
私は居住支援協議会をつくろうとしています。
その理由を聞かれると、不動産と福祉をつなぐため。
住宅確保要配慮者を支援するため。
そう答えることもできます。
でも『モモ』を読み終えた今は、少し違う言葉で答えたいと思います。
協議会とは、話を聞くための場なのだと。
急いで結論を出すためではなく、まずお互いの話を聞くための場。
顔を合わせるための場。
人の心が聞こえる社会を、少しでも取り戻すための場。
そんなふうに考えています。
◾️円形劇場に流れていた時間
『モモ』の物語は、古い円形劇場の廃墟から始まります。
そこでは人々が集まり、話し、笑い、考え、時間をともにしていました。
もしかすると私たちが失いかけているものは、その円形劇場そのものではなく、そこに流れていた時間なのかもしれません。
次回は、『モモ』の中で繰り返し語られる「時間とは生活である」という言葉について考えてみたいと思います。
