#人生迷子 だった私にも、ちゃんと道はできていた
「やりたいことがわからない」
私はずっと、その言葉に押しつぶされそうになって生きてきました。
まわりは安定した会社に勤めている。
それなのに、私は不安定でやりたいことがわからない。
そんな自分に焦って、泣いて、もがいて――
でも何も見つからない。
“自分探し迷子”だった私の話を、今日は少しだけお届けしますね。
【社会の害だよ】と言われた、最初の会社
短大卒業後、私は愛知から大阪へ就職。
「いつか自分で事業をしたい!」と夢を抱いて、新卒で飛び込んだのはウエディングドレスの販売会社。
でも、そこはブラック企業でした。
事業はすぐに撤退。
倒産企業の備品を仕入れて売るというビジネスが始まり、
新卒1か月目で、倒産の現場に同行させられたり、
なぜか50万円のスーツを売ってこいと言われたり…
たった3ヶ月で、逃げるように退職しました。
頼れる人もおらず、お金もない中で、たまたま知り合った方が同郷で、
紹介を受けて輸入雑貨会社に営業事務として再出発。
やっと、社会人としてのスタートが切れたと思っていたんです。
【辞めたくて泣いた私】を変えた“たったひとつのこと”
次の職場もまた、小さな会社。
仕事のできる厳しい社長の下、毎日怒られては自信喪失。
「もう無理です…」と泣きながら退職を申し出ると、社長は静かに言いました。
「ここで逃げたら、あなたは“社会の害”になるよ」
現代ならパワハラ発言かもしれません。
でもその言葉が、当時の私には深く突き刺さりました。
毎日泣いてばかり。
朝起きるのもつらくて、心がボロボロ。
それでも、どうしても辞めたくて、手紙で再度退職をお願いしました。
すると社長が言ったんです。
「じゃあ、辞めてもいいけど、次の人のために仕事のマニュアルを作っておいてね」
「やった〜辞められる!」
と思いながら取り組んだそのマニュアルづくりが、
私の人生を大きく変えることになるなんて、思ってもみませんでした。
【仕事って、面白いかも】と初めて思えた瞬間
マニュアルを作るには、その仕事を“ちゃんと理解”しないといけない。
目的を確認して、流れを整理して、相手に伝わるように工夫する――
すると、自然と意識が“自分”から“仕事”に向きはじめたんです。
気づけば、社長との関係も良くなり、怒られることも減っていきました。
そして私は言いました。
「辞めるの、やめてもいいですか?」
自分勝手な話かもしれませんが、
あのとき初めて「仕事って面白いかも」と思えたんです。
【流されるように進んだ先で】また気づく転機
その後は、M&Aや転勤、業種転換…と目まぐるしく変わる日々。
大阪から愛知へ、また大阪へ。
経営コンサルのアシスタントや社長秘書として、
新規事業の立ち上げということもあり、
深夜11時、12時まで働くのが当たり前。
きっとこの仕事が自分のやりたいことなのかも。
そう思って、がむしゃらに進んでいました。
でも…
いつしか事業が順調に立ち上がると
「私、もういなくても大丈夫かも」と感じるようになり、
自分の存在価値が見えなくなりました。
燃え尽き症候群のような、仕事に身が入らなくなり、
実家からの要請もあって、27歳でまた地元へ戻ることに。
【倒産、また倒産】「会社に頼っちゃダメなんだ」と気づいたとき
地元に戻った後は、派遣社員として働く中で、
勤めた会社がことごとく倒産。
中でも、上場企業の医療メーカーでは、
史上最高益を記録していたにもかかわらず、1年後に民事再生。
社内には警察の家宅捜索が入り、怒号の電話が鳴り響いていました。
その経験を通して、私は強く思いました。
「会社に頼る働き方は、もう限界だ」
【私にできることって何?】と、もがいたアラサーの頃
28歳からカラーコーディネーター、コーチング、靴づくり教室…
興味のあるものにいろいろ手を出してはみたけれど、
どれも「違う気がする」。
そして、30歳を機に大阪にまた戻る決意をしました。
無職の状態なのに、住まいを決めて早々に引っ越し。
でも、仕事が決まらない。
1ヶ月が過ぎて、お金も底をつきかけたとき、
奇跡のように以前面接した派遣先から連絡があり、採用決定。
まさに“命をつなぐ一歩”でした。
【母のひと言】が人生を動かした
派遣で働き始めて、日常が落ち着いてきた頃。
ある日、実家に帰りテレビを見ていたら
母が言いました。
「こういう仕事、向いてるんじゃない?」
映っていたのは、ハローワークの相談員。
最初は気にも留めていなかったけれど、
なぜかその言葉が後からずっと残っていて…
「あの仕事、いいかも」
そう思えたとき、初めて「自分の経験が誰かの役に立つかもしれない」と感じたんです。
【まさかのきっかけ】で、キャリアカウンセラーへ
派遣社員として働きながら、キャリアカウンセラーの資格を取得。
でも、学歴も経歴も自信がない私は、
「この資格を活かすのは無理だろうな…」と思っていました。
そんなとき、またしても勤務していた会社が倒産の流れに…
この後の仕事どうしよう!
と転職活動をはじめ、なかなかうまく進まない時に
前職の方から思いがけず声がかかりました。
「ちょうどうちの会社でキャリアカウンセラーを探しているんだけど、阿部さん資格もってたよね?応募してみる?」
“初めてのキャリアカウンセラー”としてのチャンスが巡ってきたんです。
そして、面接を受け、あれよあれよとキャリアカウンセラーデビューをすることになりました。
ここからは、もう必死でした。
人前で話すのが苦手だったけど、セミナー講師も、相談業務も、全部やった。
気づけば、2万人以上のキャリア支援、全国で研修を行うようになり、
今では神仏や日本文化を伝える活動にも取り組んでいます。
【やりたいこと】は、後からついてくる
私のキャリアは、最初から「やりたいこと」が見えていたわけじゃない。
たくさん迷って、焦って、泣いて、
それでも“今できること”を重ねていったら、
いつの間にか「今ここ」が、自分らしい場所になっていました。
「やりたいことがわからない」って、決して悪いことじゃない。
むしろそれは、
“ちゃんと人生と向き合っている証”なんだと思います。
だから、あの頃の私にも、今のあなたにも、
心から伝えたいです。
焦らなくていい。
迷ってもいい。
目の前のことに向き合って。
あなたのペースで進んで大丈夫。
このnoteが、
誰かの“人生迷子の処方せん”になりますように。
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📘 次回予告!
「“社会の害”って言われた私が、自分の価値を見つけるまで」
お楽しみに✨
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