フランクのヴァイオリンソナタを巡って その1・フランクの人生
これから数回に分けて、8月21日の「つくばサロンコンサート」のメインプログラムである、セザール・フランクのヴァイオリン・ソナタについての解説をお届けします。
(今回のnoteオープニング写真のヴァイオリンとピアノのデュオの人形は、私のレッスン室の入り口に飾ってあるもの。
弓がなくなって爪楊枝です (笑))
もうコンサートご来場をご予定いただいている方には、
より深く楽しんでいただける材料として、
まだご検討中の方には、より興味を持っていただけるように、
作曲家の逸話と作品の解説を、シリーズでお届けしたいと思います。
第1回目は、セザール・フランク(1822~1890)という人物について。
聖人君子と呼ばれた作曲家への「違和感」
フランクは大変遅咲きであったため、神童モーツァルトや偉大なるバッハ、ベートーヴェンに比べて、一般的にはあまり知られていない作曲家かもしれません。
実際、彼が作曲家として真の成功を手にしたのは、
還暦の60歳を過ぎてから。
67歳で生涯を閉じるまで、彼はオルガニストや教師としての生活が主でした。
弟子たちからは「天使的な父」と慕われ、温厚で謙虚な人物として伝記にも描かれています。
しかし、なんか嘘っぽい。
というか、フランクのヴァイオリン・ソナタの第2楽章で吹き荒れる嵐とは、あまりにもかけ離れている。
伝記を読んで、そのあまりの良い人ぶりに、
むしろがっかりしたものでした。
これは私がフランクのソナタを弾いた2回目、約13年前の気持ちです。
「絶対に、裏に何かあるはず!」と思い追いかけていたら、
1人の女性にたどり着きました。
でもその前に、まずは彼の生い立ちから。
人を知るには、幼少期から紐解いていかなければなりません。

神童としての重圧と、誠実な人生の選択
ベルギーのリエージュに生まれたフランクは、
幼い頃から音楽の才能を発揮しました。
野心家であった父親は、彼をフランツ・リストのような華やかなヴィルトゥオーゾ(超絶技巧を持つピアニスト)に育て上げ、富と名声を得ようと目論みます。
ちなみに、8月21日のつくばサロンコンサートでは、
リストのピアノソロ「ため息」もプログラムに入っています!
パリ音楽院に入学し、優秀な成績を収めたフランクですが、
派手な演奏活動を強要する父との間には次第に深い溝が生まれます。
20代半ば、彼はついに父親の元を離れる決断を下しました。
華やかな表舞台から退き、伴奏や個人レッスンで生計を立てるという、
地味ながらも自分の意思に従った誠実な人生の幕開けでした。
つまり、若き日のフランクは、確かにおとなしいというか、
地味で実直な人物であったと言えます。
オルガニストとしての成功と、息苦しい仮面
フランクの人生の大きな転機となったのは、1858年パリの
サント=クロティルド教会のオルガニストに就任したことです。
この教会のオルガニストを務めた彼が奏でる、
荘厳で豊かな即興演奏は多くの人々を魅了し、
あのリストでさえ「バッハの再来!」と称賛したと伝えられています。
(リストに認められて良かった!)
その温厚で謙虚な人柄を慕って、後にパリの音楽界を牽引するヴァンサン・ダンディやエルネスト・ショーソンといった若い才能が集まり、
「フランキスト」と呼ばれる一種の学派が形成されました。
弟子たちから「パテル・セラフィクス(天使的な父)」と呼ばれた彼は、
教育者としてもフランス音楽界に多大な貢献を果たしたのです。
しかし、フランクの家庭環境は少し違いました。
保守的な妻からは「もっとわかりやすくて、売れる曲を書いて!」と要求され、
彼は家庭の平和のためにひたすら「従順で怒らない夫」という仮面を被り、
自分の内側の感情を押し殺して生きていたのです。
また、彼が遅咲きだった理由は彼の性格だけではなく、
当時のフランス音楽界の状況とフランクの志向のズレもありました。
当時のパリが求めたのは「表面的な華やかさ」。
19世紀半ばから後半にかけてのパリ音楽界は、
オペラと華やかなサロン音楽の独壇場。
聴衆が求めていたのはわかりやすくて美しいメロディとドラマチックさ、
超絶技巧。
フランクの妻が求めたものは、彼女が悪いという次元の話ではなく、
周りと同じ理解ということだったのです。
それに対してフランクが深く敬愛したのはバッハの対位法、
ベートーヴェンの強固な構築力、そしてワーグナーの複雑な和声でした。
彼が書きたがったのは交響曲や室内楽。
ここについては、また次回以降にお話ししたいと思います。
けれども、彼の晩年には時代も彼に振り向きます。
運命の女性、オーギュスタ・オルメス

そんな彼の中に長く眠っていた情熱を激しく呼び覚ましたのが、作曲の弟子となった「オーギュスタ・オルメス」という女性作曲家です。
このオルメスという女性は、当時の良妻賢母や「女性らしい振る舞い」といった常識から完全に解放された、
圧倒的な生命力と自由の象徴のような人でした。
美貌と才能に恵まれながらも「女性だから」という理由で音楽院への入学を拒否された彼女は、独学で作曲を学びます。
当時、絶大な権力を持っていたサン=サーンスから何度も求婚されますが、
すべて拒否。
愛した詩人マンデスとの間に5人の子どもをもうけながらも、
法的な結婚という枠組みに入ることを最後まで拒み続けました。
彼女はあくまでも、一人の独立した芸術家として生きることを貫いたのです。

なぜかというと、オルメスもルノアールもそして彼女の夫も、
大変なワグネリアンであったと言う共通点があるから。
(ワグネリアンとは、作曲家リヒャルト・ワーグナーの熱狂的な支持者を指す言葉です。)
歴史の中からつながりを発見できるのは本当にワクワクしますね!
彼女が放った「私は男たちに、私という人間が何でできているかを見せつけてやる!」という強烈な言葉が残されています。
口うるさい妻に縛られ、家庭の平和のために怒らない良い夫を演じ、
教会で敬虔な祈りを捧げていたフランク。
彼にとってオルメスという女性は、自分には到底真似できない、
社会の常識に縛られず「むき出しの情熱のままに生きる自由」そのものでした。
そんな彼女はフランクの作曲の弟子でもあり、既婚者であるフランクは、
オルメスへの許されない恋心に燃えに燃えます。
これは単なる女性に対する恋というよりは、
「自分が本当に生きたい生き方を体現している人」への、
強烈な憧れであったのです。
この時フランクは50代半ばでした。
堰(せき)を切って溢れ出した情熱
行き場のない恋心は、ついに「音楽」という出口を見つけて爆発します。
その最初の爆発は『ピアノ五重奏曲』に表れています。
この曲を聴いたフランクの妻は、「こんなのあなたらしくない」と
激しく憎んだそうです。 (何か勘付いたのかしら……?💦)
こうした背景を知ると、ヴァイオリン・ソナタの第2楽章が
全く違って聴こえてきます!
ヴァイオリンソナタが書かれたのはフランクが63歳とか64歳と言われている年齢なので、オルメスへの恋もすでに落ち着いていたのかもしれません。
単なる恋の狂おしさだけではなく、窮屈な家庭環境や道徳によって必死に理性を保ち、抑え込まなければならなかった感情のマグマが、
ついに堰(せき)を切って溢れ出した姿を、この第2楽章に聴くのです。
第2楽章の熱情と渇望の嵐。
それと対比する第1楽章の神秘的な浮遊感や憧れ。
第4楽章の天国的な美しさ。
大変大きなスケールを描くフランクのヴァイオリン・ソナタは、
本当に魅力的で、ぜひ聴いていただきたい名曲です。
魂を目覚めさせたものと、私たちの人生
誠実で実直なフランクの姿は、決して嘘ではありませんでした。
しかし、妻という不自由な枷、そして正反対の自由で独立心旺盛なオルメスという2人の女性が、奇しくも彼の中に深く眠っていた情熱を呼び覚ましたのです。
さらに遡れば、父からの一方的な期待という抑圧の元にあった子供時代も。
一見、フランクの妻は悪役に見えますが、
彼の中のマグマを育てたと見ることもできます。
また、決して振り向いてくれなかった愛しい人の存在も、
手に入らないからこそ余計に情熱をかき立てたのでしょう。
フランクが60を過ぎてからの7年間に、
人生の集大成とも言える素晴らしい作品の数々を書けたのは、
こうした苦労や抑圧があったからだという考え方もできます。
幸せだけ、成功だけの人生なんてありませんから。
逆境が彼の中で突然変異を起こした、
というよりは「魂を目覚めさせた」のかもしれません。
そう解釈すると、私たちの人生もまだまだ何が起こるかわかりませんね。
苦労も楽しみも等しく味わって自分の糧にする。
フランクの人生と彼の遺した素晴らしいソナタから、そんなことを思いました。
次回は、このマグマのような情熱の前に置かれた、
美しく不思議な第1楽章について語りたいと思います。
今回は、規格外の女性オルメスを巡る恋敵であった同時代のフランスの作曲家、サン=サーンスの名曲『白鳥』を、LunaClassicaの演奏でお聴きください。
チャンネル登録がまだの方は、ぜひ登録とそして高評価での応援もよろしくお願いいたします!
オーギュスタ・オルメスの作品の動画も見つけました。
時を越えて音でオルメスに出会ってみてください。
🎻8/21(金)19:15開演 「つくばサロンコンサート」
アルスホール (つくばエクスプレスつくばつくば駅より徒歩3分)
20:15終演予定の1時間のコンサートです。
演奏 LunaClassica
森裕美(ヴァイオリン)山口泉恵(ピアノ)
🔹チケット情報
