人は「思い出を作る旅」を続けている。35年前のウィーンとYouTube「ウィーン我が夢の街」🎻
はじめに 〜音楽と写真でウィーンへ〜
今月、私たちヴァイオリンとピアノのデュオ「LunaClassica」からは、
音楽と写真でウィーンを旅していただけるようなYouTube動画を作ってみました。
ジーツィンスキー作曲「ウィーン我が夢の街」です。
「そんな曲知らない」と思われるかもしれませんが、
初めて聴いても、なんだか懐かしいような温かい気持ちになれる作品ですよ。
ぜひ見て聴いてくださいね!
ハプスブルク家栄光の最後の光と「ウィンナー・リート」
この曲は、ハプスブルク家栄光の最後の光を宿す時代のウィーンで生まれました。
時は1914年。第一次世界大戦が勃発する直前のことです。
この時期のウィーンの音楽界では、世界的スーパースターヨハン・シュトラウスのオペレッタやウインナー・ワルツの系統を引き継ぎ、
ウインナー・リートを愛する作曲家が、古き良き時代を名残惜しく彩っていました。
名ヴァイオリニスト フリッツ・クライスラーも「愛の喜び」や「愛の悲しみ」などを書いていた頃です。

世界中で愛される「ウィーン我が夢の街」を作曲したジーツィンスキーは、実は公務員と作曲家と言う二足のわらじを履く人物でした。
彼はウィーンの音楽界の重鎮としても活躍し、この作品1に当たる「ウィーン我が夢の街」によって後世に名を残しました。
「ウィンナー・リート(Wiener Lied)」というジャンルがあります。
オーストリアのウィーン地方で19世紀頃から歌い継がれてきた伝統的な大衆歌謡です。
ウィーンのホイリゲ(酒場)でワインや郷土愛、人生の喜びや哀しみをテノール歌手が歌います。
ヴァイオリンもこのウィンナー・リートを弾くのに相応しい楽器です。
ため息のようなポルタメント。
ウィンナー・ワルツの独特のリズム。(日本人にはちょっと難しいけれど)
人の体温や匂いまでしてくるような、人間的な心の歌です。
最初にお話ししたように、「ウィーン我が夢の街」を初めて聴いても懐かしさに包まれるのは、この時代のウィーンという街を心から愛したジーツィンスキーの想いが溢れ出ているからです。
元は歌の作品ですが、このYouTubeではリィノーミフによる豪華な編曲でお聴きください。
華やかなピアノソロの間奏部分や、後半のヴァイオリンの重音、オクターブなどで、聞き応えのあるアンコールピースになっています。

35年前の記憶。バブル期の17日間ヨーロッパ大旅行
今回の写真は、さすがにすべてネットにある無料の素材を使っています。
私たちがウィーンに行ったのは、もう35年も前のこと。
まだ子供たちがいない夫婦2人の2回目の新婚旅行でした。
ぜいたくなことに、結婚した年にはダイビングが趣味だった夫の希望で
クラブメッドでタヒチのボラボラ島に行き、
翌年の8月に17日間のヨーロッパ旅行を決行しています。
私はウイーンに行きたかった!
バブル期だった当時、うちの夫の会社は16日の夏休みがあり、
飛行機の関係でもう1日足して、ゆったりとヨーロッパを旅しました。
ガイドブックを読み込んで、壁にヨーロッパの地図を貼り、行きたいところをピックアップしてルートを考え、飛行機と宿と当時ユーレイルパス、そして日程が合うコンサートのチケットを予約しての個人旅行です。
手配は旅行会社を通しました。
スマホもAIもない時代、
結婚前は九州交響楽団で演奏活動していた頃は、
どこへでも地図を元に自力で車移動していたので、地図読みは慣れているのです。
計画からものすごく楽しかった!

安い飛行機代ということで、当時ソ連のアエロフロートを使い、
トランジットでモスクワ1泊。
宿のエレベーターの扉の前には若い兵士がいて、夜中には抜け出していないかの点呼もあり、怖くて固まって一声もあげられませんでした。
食事もひどくまずかった、という強烈な体験は楽しい旅行以上に記憶に残っています。
飛行機もいざという時は軍用機になる仕様と聞き、冷戦時代を肌で感じました。
さらに、この旅から帰ってきた翌日は、
ソ連が崩壊したという奇跡のタイミングでした。
帰りに立ち寄ったソ連の空港は、体制が崩壊する前の混乱とやる気のなさで、レストランは全く片付けられておらず、トイレも掃除されておらず、
ひどい印象が残りましたが、
ソビエト連邦崩壊のニュースを家のテレビで聞いて、
「そういうことだったのか」と
妙に納得しつつも怖かった。
憧れの音楽の都・ウィーンでの強烈な思い出

旅の最初と最後のことがあまりにも強烈でしたが、
私たちが最初に降り立ったのはウィーンでした。
何と言ってもウィーンは音楽の都。
モーツァルトも、ベートーヴェンもシューベルトも、
リヒャルト・シュトラウスもマーラーもブルックナーも、
そしてヨハン・シュトラウスもここで活躍しました。
クラシックを学ぶ者にとって、最大の憧れの都市です。

ウィーンで泊まったのはシュテファン大聖堂の裏手、
フィガロハウスからほど近いところに位置した小さなペンション。
朝食のクロワッサンがとてもおいしかったことも記憶にあります。
泊まった部屋は窓から通りを行く人の足が見える半地下でしたが、
立地が良くてウィーンに住んでいるように歩き回れました。

到着の日の夕食は近くのレストランを見つけて、グーラッシュズッぺ。
パプリカを使ったハンガリーのシチューです。
シュテファン大聖堂の南塔343段の階段を息を切らしながら登ったり、
小雨混じりになると、カーディガンを羽織りたい気温になったり、
街のバイキングレストランで取ってみた謎のお惣菜がレバーの煮物であったこと。
小さな劇場で観たモーツァルトの「フィガロの結婚」。
その晩夕食が遅くなって(23時)レストランがどこも空いておらず、
ウィーンに来てまでマクドナルドにお世話になった思い出。
ウィーンで最も美しいバロック教会 Karlskirche の扉を開けた途端に鳴り響いたパイプオルガンの荘厳さ!!
こんなところでパイプオルガンを聞いたら、
神の声のように思うだろうなと感じたこと。

ウィーンに留学、現地で結婚していた大学時代の友人宅を訪ね、
地下鉄を使ってシェーンブルン宮殿も観光。
もちろん、ぐるっと回れる市電に乗り安上がりな観光や、
豪華な国立歌劇場内を見学し、

ウィーン学友協会の外側は静かな雰囲気が意外だったこと。ホーフブルク宮殿では何か展示があったような、、(そんなアバウトな記憶)Stadtparkのモーツァルト像やヨハン・シュトラウス像をもちろん拝んで。こんなに時間が経っても、その時の光景ははっきり覚えています。
ベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いた家は休みで、隣のホイリゲでニョッキを食べ、ハイリゲンシュタットの小道に足を踏み入れるも、舗装されていて手すりもありなんだか興醒め、、、
当時のままには行かないのは観光地の常です。
そんな様々な個人的な思い出も加わって、写真を選びました。
有名なザッハトルテはめちゃくちゃ甘くて、
お皿の横についてきた大きな生クリームに驚きつつも、
これが甘くないのでピッタリで納得。
また行きたいと願うヨーロッパ。
しかし、重い障害とてんかんを抱える娘がいると、
そんな遠いところに行くことは気持ちが進みません。
憧れとほんの少しの懐かしさと。
そんなものも、このYouTubeには含まれているのかもしれません。

アルバムから溢れる記憶。湖畔のハルシュタットからスイスへ
調子に乗ってついでに話すと、
この時のヨーロッパ旅行は、
3泊4日のウィーンの後、
バスで移動し湖を船で渡って、
風光明媚なハルシュタットに宿泊。
カレンダーやポスターにもいつも写っている湖のほとりの黄色い宿です。
ベッドのシーツの下は枯れ草?だったような素朴さ。
もちろん今は違うでしょうが。
降って来るかのような流れ星をたくさん見て感動。

そしてモーツァルト生誕のザルツブルクに2泊。
ザルツブルク城での室内楽コンサートはなんだか地元の音大生の演奏みたいで、途中休憩でロープウェイを降りてザルツブルクの街の中華で夕食を摂っていたら、雷⚡︎。早く戻って良かったと思った思い出。
モーツァルトが洗礼を受けたザルツブルク大聖堂で、
彼の最後の作品レクイエムも聴いてきました。
夫は名物シュニッツェル(子牛のカツレツ)がいたく気に入り、
この旅の間に5回も食べていました!
(今はもう揚げ物はあまり食べません)
ザルツブルク音楽祭の会場の前には正装した男女の姿があり、ああここで世界最高の音楽が!と思いましたが、私たちにはチケットはなく。

そして、ロマンチック街道のローテンブルクへ。
ここからは一泊でどんどん進みました。
飛行機の長旅の直後は同じ街にステイして、
その後は弾丸ツアー。
ローテンブルクの宿は素敵なホテルでしたが、朝食のテーブルの砂糖壺にたくさんの蜜蜂🐝
人には何もしないと言われてもブンブンいう羽音に緊張しっぱなし!
こういうことこそ記憶に残ります。
翌日バスに乗ってヴァイオリンの街ミッテンヴァルトへ。
ここは視力が良くなったかと思うほど空気が綺麗な山間の町でした。
そしてノイシュバンシュタイン城の麓で一泊。
歩いてお城まで登り(途中馬車の馬の糞が!)、
その後、ブレゲンツ音楽祭で湖上オペラでビゼーの「カルメン」を堪能。
野外の舞台の上には馬も登場し、花火が上がり、
盗賊は船でやってくるという演出!



そしてスイスへ。
登山電車に乗りマッターホルンの近くまで行くと周りは8月なのに雪があり、
その時は風邪気味でぼんやり。
もちろん宿の夕食はチーズフォンデュ。
そしてルツェルンに寄って帰国という長旅でした。
何も見ずにここまで書けるのは、やはり強烈な思い出、
感動や楽しさ様々な印象深いことが刻まれているから。

と、ここでアルバムを広げたら、まだ途中いろいろ立ち寄っていました。
アッヘンゼー湖に登山電車で登っていましたし、Seefeldでも一泊。
人は「思い出を作る旅」という人生を続けている
若かったから記憶に残っているのか、いや初めての憧れのウィーンがとても嬉しかったからか、最近のことよりも鮮明に覚えているものだなあと。
文化と自然を楽しむ17日間。
思い出を辿るだけでも内側に甦るものがたくさんあり、
人は思い出を作る旅という人生を送っているのかな、、とふと思いました。

AIにこの旅のルート地図を作ってもらいました。
Geminiに頼んでも時間がかかってしびれを切らし、
chat gptに頼んだものの間違いがあり、
再度その画像をGeminiに修正してもらって。
これで35年を経て旅の思い出も完成です!
Geminiは一番下位の有料プランを使用。
今、外はめちゃくちゃ暑くて危険ですし、
飛行機代もホテル代も何もかもこれまためちゃくちゃ高い!!
娘のことだけでなく、もう私たちはヨーロッパに行く機会はないかな、、、と、
思い出を大事にしようと改めて思うのでした。
クラシックをやっている身としてはあの頃行けて本当に良かった。
一生の思い出です。
「ウィーン我が夢の街」のタイトルは私もまさに同じ気持ち。
このYouTubeを作りnoteを綴る過程で、
この曲に懐かしさを感じる源泉に再会し、
35年前の若くて元気だった自分のことも思い出して、過去からエネルギーをもらえた気持ちになっています。
今の高齢者に足を踏み入れた私ではなく、
連続した人生の続きの私は、
いつでもあの頃のエネルギーに戻れるかも。
そんなことをこれを書きながら想い、
気持ちは若くいいよう!と思いました🥰
よかったら、もう一度動画も観てくださいね❣️
あなたにとっての思い出の地はどこですか?
それはあなたになにをもたらしますか?
今日は若い頃の古い写真オンパレードで失礼しました。
最後まで思い出にお付き合いいただきありがとうございました!
🎻 お知らせ
一番近い本番は 8/21(金)17:15開演 つくばサロンコンサート です。
フランクのソナタをメインの1時間のコンサート。
つくばエクスプレスつくば駅から徒歩3分のアルスホールで開催。
20:15には終了するコンサートですので、お近くではない方もぜひいらしてくださいね!
チケットはこちらから↓
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