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映画「ビバルディと私」と親友と

あなたにとって久しく会っていないけれど、
大切な人は誰ですか?


先週木曜日、シネスイッチ銀座で映画『ビバルディとわたし』を観て来ました。
7年ぶりに会う大学時代の親友と。
なぜこんなに長く会えなかったのか?の話しは後にして、
まずはこの日のこと、映画のことを。


🎻    昭和レトロな銀座で、懐かしのランチ

映画館は昭和レトロな雰囲気のシネスイッチ銀座。
その前に11:20集合で、ライオン銀座でランチをしました。こちらの建物は、
なんと大正時代からのものというから驚きます!
正確にはその前の11:00にYAMAHA銀座店でばったり!
近くだからYAMAHAにも寄りたい という発想から一致。


以前は一階でもランチできたけれど、今は天井の高い一階はビアホールのみ


ライオンはメニューも洋食といった感じの懐かしいメンチカツランチを2人ともチョイス。
食後の飲み物は200円で頼めて、味わい深いオニオンスープ付きで、
お値段もお腹も大満足。
昭和生まれの私たちには、このレトロな感じ落ち着きます。
映画は13:15から。

🎻  ビバルディと「ピエタ音楽院」の籠の鳥たち

そもそも、ビバルディってご存知ですか?
クラシック好きな方なら、ほぼどなたでもこのヴェネツィアで活躍したこの作曲家の名前と、有名な「四季」のことは知っているはず。
そして、「四季」の中の「春」や「冬」などは、コマーシャルやBGMで数多く使われているので、日本国民全員が耳にしたことがあるメロディだと思います。

まずは、私が最近好きなジュリアン・ショーバンのヴァイオリンと
アンサンブル・ラ・ロージェの演奏で聴いてください。

♫ダンスとのエキサイティングなコラボのステージ
Vivaldi: The Four Seasons in Dance - Mourad Merzouki, Le Concert de la L...

♫映画のサブタイトルでもある「primavera」「四季」より「春」第1楽章
Violin Concerto in E Major, RV 269 "La primavera": I. Allegro

彼は18世紀、約300年前のヴェネツィアで活躍した作曲家です。
実際の職業はカトリックの司祭でしたが、生まれつき重い気管支喘息の持病を持っており、お説教を最後まですることさえ難しかったため、礼拝の仕事は免除されていました。
その代わり、教会で演奏する曲を作曲し、それを演奏する少女たちを指導していたという立場にありました。

映画『ビバルディと私』オフィシャルサイト 2026.5.22(金)公開

演奏する少女とは、ピエタ音楽院(孤児院)に預けられた、
あるいは捨てられた女の子たちでした。
このピエタ音楽院では、読み書きに加えて音楽教育が熱心に施され、
その中で才能のある者が選抜部隊として礼拝で演奏し、
ヴェネツィアの富裕層の拍手喝采を浴びていました。
この音楽隊の評判はヨーロッパの国々にまで広がり、
彼女たちの演奏を聴くために各国の有力者がわざわざヴェネツィアを訪れたそうです。

私はてっきり、彼女たちが演奏旅行でヨーロッパ各地を巡ったのかと思いましたが、孤児院を運営する修道院の掟により、彼女たちは外に出ることはできなかったのでした。
つまり、、、、籠の鳥です。

外に出られるのは結婚するときだけで、その結婚相手は意外にも裕福なお金持ちなのです。
富裕層と孤児という身分差を考えると「どうして?」という疑問が湧きますが、
彼女たちの教養や音楽的才能は人々の憧れの的でした。
そんな女性を妻に迎えるということは、
大金持ちにとってもステータスであったのです。
けれども、それは見栄のための、人が羨むものを手に入れたいという
欲のための結婚であったかもしれません。

結婚した後、ピエタの音楽家たちが幸せになれたかどうかは、分かりません。
なぜなら結婚して孤児院を出る時には、音楽を捨てる、すなわち
「音楽と引き換えに外の世界を手に入れる」という約束になっていたからです。

何か欲しいものを得るために、大事なものを諦めなければならない。
そういうことはままありますが、こと音楽についてはさらに
その苦しい心情は察して余りあります。
音楽に打ち込みそれを仕事にするということは、他の仕事以上に、
音楽に惚れ込むという状態が先にあります。
本番の集中から生まれる熱狂的な時間、
あるいは静かな深い時間は、弾く方と聴く方双方の魂に触れる尊い時間です。
演奏は祈りであり、ある時は恋にも似ている。
その瞬間に全てをかけている状態を味わったことがある者なら、
あっさりと音楽を捨てることができるでしょうか?

そのような喜びや可能性を知ってしまうからこそ、
何時間もの過酷な訓練には耐えることができます。
やらされてはうまくはなれない。
やりたいからこそ、苦しい練習も乗り越えられる。
もちろんその前に、才能あってのことですが、
才能だけでも続かないし、練習だけでも大成しない。
ここが、この世界の難しいところです。
私はよく片思いだなあ、、と思います。

ここまではピエタ音楽院の女性たちの音楽における心情と背景を語って、
ネタバレなしの内容を書きました。
でもここから先はネタバレも含みますので、映画を見てみたいと思われる方は、
終わってからこのnoteに帰ってきてくださったら嬉しいです。



🎻【ネタバレあり】監督・演奏陣・原作から紐解く映画の真髄

映画自体は、ヴェネツィアの限られた空間のみを舞台としており、
派手なスペクタクルなどなく、ある意味地味な内容です。
刺激を求める方には物足りないでしょう。
しかし、クラシックが好きな方や、歴史が好きな方、
社会と女性の生き方に心を寄せる方には、意味深い映画として記憶に残ると思います。
観光映画ではないので、美しいヴェネツィアの街並みはあまり出てきません。
常に暗い修道院と重苦しい灰色の空の下で物語が描かれ、
ほぼ映画の中に青空はありませんでした。
主役はビバルディに影響を受ける若きヴァイオリニスト・チェチーリア。

■ オペラ演出家の監督と、ロックのような古楽演奏

映画の中のビバルディの音楽は、スタンダードな優雅な演奏とは一線を画した、
まるでロックのような激しい音楽でした。
実はここに一番心奪われました。

メガホンを取ったダミアーノ・ミキエレット監督は、
国際的なオペラ演出家であり、本作が映画監督デビュー作。
だからこそ、あの躍動する魂が呼応するような音楽のエネルギーが
映像から溢れていたのでしょう。
演奏を担当したのは、古楽器の響きを鮮烈に引き出す「アンサンブル・マテウス」。
ビバルディの音楽が誕生した瞬間に立ち会っているような、エキサイティングな感覚でした。
クラシック=古典などではない。
いつでも生まれた瞬間は、その時代の最先端なのです。

ただ、弦楽器奏者としての視点で気になってしまったのは、
演奏シーンの映像です。
周りのオーケストラメンバーにはプロの若手演奏家たちがエキストラで配置されていてリアルだった分、俳優である主役のチェチーリアの弓のボウイングが素人であることが隠せない。
出ている音楽はその人が弾いているわけではないことが、見てわかると興覚めになります。唯一、オランダ国王の前でスローテンポの曲を弾く場面だけは気にならずに映画に集中できました。
専門でやっているものならではの視点であるので、仕方ありません。
俳優が指揮をするのは何とかなっても、ヴァイオリンだけは半年や1年特訓しても弾けるようになるのは無理というもの。
とはいえ、音楽のうねりそのものは圧巻です。

♫ 映画の中の音楽を担当したアンサンブル・マテウスによる
完全にロックなビバルディ!  
「四季」より「夏」
[Spinosi+Ensemble Matheus] Encore Cover: Vivaldi's Four Seasons - Summer..

■ 天使ではない彼女たちのリアル(原作の視点)

弾いている現場は火花を散らしているのに、音楽が届く場所には天国のように響く。
彼女たちが演奏していた場所は教会の高い祭壇の上で、
鉄格子があり顔は見えません。
教会という豊かな響きで、弓が弦にぶつかる生々しい鋭いアタック音は聴衆には届かず、
当時「清らかな天使による演奏」としてもてはやされていました。

しかし、この映画の原作である小説『スターバト・マーテル』(ティツィアーノ・スカルパ著)では、ピエタの女性奏者たちの嫉妬や葛藤がより生々しく描かれているそうです。決して彼女たちは天使などではなく、血肉の通った人間。「天使が奏でる音楽」というのは、あくまで修道院側の見事な戦略であったということですね。

映画の最後、腕を骨折してヴァイオリンが弾けなくなったチェチーリアは、
それでも自ら自立を選びます。
母親の印であった紙を運河に捨て、
静かな希望と勇気の眼差しでヴェネツィアを船で出て行くシーン。
彼女がその後どうなったか分かりませんが、師であるビバルディが人生の最後を異国ウィーンの貧民街で終えたことを考えると、
もしかしたら彼女も同じような過酷な運命をたどったのかもしれません。
ビバルディに出会えたから、音楽の真の喜びを知った。そして自立を選んだ。
出会いは奇跡をもたらします。

人気と栄光を極めたビバルディの人生の落差。
頂点を極めた人ほど、人生の頂とどん底の2つを体験する話は方々で目にします。
けれども、彼の人生が悲しい最後であっても、作品の価値は何ら変わりません。
彼の作品は死後忘れ去られていましたが、
あの偉大なるバッハが熱心にビバルディを研究(写譜・編曲)していたことが
後世に発見され、現代の『四季』の大ブームへと繋がりました。
真に価値のあるものは、埃をかぶった箱の中からでも、
時が来れば必ずまた評価される日が来ると信じたい。
そう思える歴史エピソードです。

🎻 ヴァイオリンという過酷な楽器と、
私たちの半世紀

まぁこんなふうに、音楽をやっている者として大変興味深く、
たくさんの共感と課題を懐に入れて映画を見終えました。
それを大学時代の親友とともに。

最初に触れましたが、彼女とは7年ぶりの再会でした。
7年も会えなかったのは、コロナ禍を挟んだこともありますが、
家族やお互いの体調など様々な理由がありました。
彼女はご実家がヴァイオリン教室で、
家族全員が弾いて教えるという音楽のサラブレッド。
私のように始めたのは小5で、本気になったのは高2、
さらに障害のある娘の療育のために10年休んだ人間とは訳が違います。
多分、私の何倍も練習しているはず。
同じ楽器の同級生は普通ライバルかもしれないけれども、
サラブレットの彼女を尊敬はすれども、
ライバルと思ったことはなかった。

ヴァイオリンは過酷な楽器です。
常に腕を上げて顎で楽器を挟み、左右違う動きをします。
体幹には捻りが入り、何人もの奏者が身体を壊して弾けなくなる姿を見て来ました。練習時間が長ければ長いほど負担は大きいと言えます。
彼女も若い頃から脱力を追求し、余分な力は入っていない弾き方をしていたけれども、長年の楽器との向き合いが身体にもたらす影響について、
お互いに深く共感し合うことになりました。
7年ぶりに逢えた彼女は、お互いに歳を取ったとはいえ、
もともとすごく綺麗で可愛かった美貌の面影はもちろんあります。
そして、話しているうちに2人してあっという間に気持ちは
二十歳に戻ってしまうのです。

🎻 音楽の中に聴く言葉、そして希望の別れ

「20代の頃の最初のリサイタルのアンコールのロンドンデリーは忘れられないよ。
そして、7年前のリサイタルで弾いたモーツァルトのKV378のソナタへの共感も。
私もまさにこう弾きたいと思った!」

ランチの時間、私は何度も心の中で想って来た言葉を伝えました。

彼女が今楽しんでいるのは、意外にもピアノを弾くことでした。
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』という60分もかかる大曲を計画的に練習し、
その練習自体に喜びがあると語ってくれる。
その話にいいなと思い、帰ったらすぐに同じ楽譜をAmazonで注文しました。
これを弾くとき、場所と時間を超えて彼女とつながるような気がします。
思い込みかもしれませんが、でもきっとそうだと思う。

ゴールドベルグの冒頭アリア

お互い会話の中で出た「エリちゃんのことだから」「サリーのことだから」という、
過去からつながる自分たちを信頼する言葉を掛け合っているのを、
私は自分の外側から聴いていました。

映画が終わりお茶をして気がついたら銀座の端っこで、もう夕方の17:38。
家まで遠いのに、すっかり時間のことなんか忘れて話し込んでいました。
お互い東京を挟んで西と東に住んでいます。
久しぶりにようやく会えたんだから余計に別れがたい、、、。
電車の駅に向かうために銀座を歩きながら、
なんだかとても安心感に包まれていました。
人混みや都会が苦手な私ですが、
全く疲れがない。
二人が「安心のカプセル」に包まれているような感覚。

コメダ珈琲店のコーヒーゼリーは、生クリームたっぷりでバナナもあって大満足

出会ってから半世紀が近づこうとしている、
10代からの友達は無敵です。
高校生の頃の学生コンクールで知って、
彼女は全国大会へ。
あの時の白いワンピース姿をまだ記憶しています。
初めて話したのは大学受験の実技の試験の控え室。
緊張しているのに和やかに話が弾んだ私たち
4名は合格。(笑ったリラックスのおかげ?)
大学最初の2年間、女子寮で隣の部屋。
同郷の縁。
あの厳しい大学時代に彼女がいなければやっていけなかっただろうなと思います。

そういえば、これまでお互いに嫌なことを言った覚えがない
(忘れているだけかもしれませんが)。
少なくとも、彼女から嫌なことを言われたり、
されたりしたことは一度もありません。
ヴァイオリン奏者同士、この大変なしかし奥深い楽器を選んだ者同志としてのリスペクトが底辺に必ずある。
自分の内側に感じていることをじっくり慎重に言葉にする彼女に対して、
ポンポンと直感的に思ったことを言葉にしてしまう私。
凸凹コンビかもしれないけれども、
お互いにたくさんポジティブなフィードバックを掛け合い、
欠点も「まったく仕方ないんだから〜」と笑いあった友達。
そういう人がいてくれる幸せを改めて味わったのです。
桐朋学園は厳しい学校でしたが、私たちはいつも笑って厳しさを乗り越えて来た。

電車の改札のところで別れるときに、彼女から
「また会おうね!」と明るく声をかけてもらいました。
その声の中に含まれるこれまでの時間で築いてきた信頼と懐かしかの響きに心が捉えられる。
その声の中には、あの時のこと、
あの時の思い出、
これまでの何十年分かが詰まっているような気がする。
私たちは音楽と共に歩んできた者なので、
相手の言葉の中に音楽を聴き取ります。
それを別れた後も味わい、心が温まるのです。

ごくたまにしか会えなくても、この世に居てくれるだけで安心を分かち合える友達。
ビバルディの映画も、彼女と観られたからこそ味わいが違いました。

あなたにもしばらく会えていない懐かしい人がいますか?
いつか、心温まる再会ができますように。

#ビバルディと私   #映画   #ヴェネツィア   #バイオリン

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