見出し画像

映画『国宝』が教えてくれた、覚悟という姿勢

えっ、歌舞伎ってこんなに感情を揺さぶられる舞台だったの?

日本人として恥ずかしくなるくらい、
私は歌舞伎のことを何も知らなかった。

そんな私が『国宝』を観て、思わずこぼれた言葉。

歌舞伎を侮っていました。
ほんとうに、すみません。

長崎の田舎で育った私にとって、歌舞伎はどこか遠い世界だった。
芸術に親しむ一部の人たちが観るもの、という勝手なイメージ。

襲名式のニュースを眺めながら、
ハリウッド俳優と同じくらい「画面の向こう側」の存在だと思っていた。

そんな歌舞伎を題材にした映画が、アメリカでも話題になっていた。
アカデミー賞にもノミネートされたと聞き、気にはなっていた。

舞台役者としても裏方としても経験のある友人に話すと、
「ぜひ観たい!」と目を輝かせる。

軽い気持ちで足を運んだのに、
まさか三時間、口を半開きにして観ることになるとは。

美しい女形の所作。
目の奥に宿る熱。
息をするのも忘れるような没入感。

きれい、すごい、を通り越して、
そこにあったのは、演技ではなく覚悟だった。

世襲という文化のなかで生きる人々。
時代の流れに翻弄されながらも芸を守る姿。
そして、それを支える女性たち。

日本を離れて長い私にも、
一度も日本を訪れたことのない友人にも、
この国の一面を美しく静かに見せてくれる作品だった。

映画のあと、友人がぽつりと言った。

「役者って、突き詰めると簡単に人生を見失う。
でも、生まれつき一生を捧げる芸の世界に立つ人もいる。
それを背負って生まれるって、ある意味残酷だよね。」

その言葉は、映画の感想というより、
私への人生の問いのように感じられた。

芸を継ぐということは、
人生そのものを差し出すことなのかもしれない。

気づけば、私は自分のことを考えていた。
私は、何も背負わずにここまで来た。

家名もない。
世間の期待もない。
ありがたいのか、少し寂しいのか。

背負って生きる人がいる。
自由に選べる私がいる。

こんなにも自由なのに、
私はどれだけ本気で生きているのだろう。

そう思ったとき、
静かに姿勢を正した。

美しい女形の姿を思い出すたび、
あの覚悟が眩しく光る。

新しい何かを始めるのではなく、
今やっていることを、もう少し丁寧にやってみようと思う。

いつか人生を終えるとき、
やり切った、と言えるように。


いいなと思ったら応援しよう!