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古典と歴史と人物

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『安岡正篤 心に残る言葉』(致知出版社)です。本書の中に「禍福終始を知る」という題でブログを書きました。

本書の中に「古典と歴史と人物」という心に響く文章がありました。

安岡先生は「物知りになれ」なんて一言もいっていません。あれだけの本を読んだ人が、「皆さん、物知りになりなさい」 なんていっていない。それどころか、物知りになると人間は危険だ、といっています。 物知りになって人が悪くなる人がたくさんいる。そんな学問はしてはいけない、といっているのです。 

では、どういう学問をすればいいのでしょうか? 活学をしなさい、というんですね。活学をして人物になりなさい、と。だから、安岡教学の本質は人物学ですね。人物学というのは人物になるための教えです。それを安岡先生は説きました。

古典と歴史と人物の研究、これを徹底しなければ人間の見識というものは磨かれない」シンプルですが、非常に深い言葉です。古典と歴史と人物の研究というものを、本当に勉強しなかったら人間の見識は養えないというのです。

◆呂新吾は「呻吟語」の中で「人物」について、こういう言葉を残している。 

深沈厚重(しんちんこうじゅう)是第一等素質 
磊落豪遊(らいらくごうゆう)是第二等素質 
聡明才弁(そうめいさいべん)是第三等素質 

第一等の人物は、「深沈厚重」という、どっしりと落ち着いて深みのある人物。 細事にこだわらない豪放な人物は第二等。 頭が切れて弁の立つ人物は第三等である。と安岡正篤師はいう。

 才気走って、ペラペラと弁の立つ人は 信用できない。 頭の良さをひけらかす輩(やから)も 胡散臭(うさんくさ)い。 そして言葉が軽い。

また、豪放磊落(ごうほうらいらく)な人物は まだまだ危なっかしくて駄目だ。豪快さは、時に無神経や軽率と紙一重だ。ゆえに、大事な局面で、大きな危険に陥ったり、つまづいたりする可能性が高い。

そして、第一等の「深沈厚重」とは、軽々しく物事に動じない静かな深さと、どっしりと沈みのある「人を包み込む」ような重みがある。弁が立つわけではなく、才能がほとばしり出るわけでもない。また、勇気と豪快さをひけらかすわけでもない。目立たないが、実は「深沈厚重」の人こそが真の人物と言える。

「古典と歴史と人物」を学びたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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