政治の「推し活」化と民主主義の未来 ―― 統治を蝕む「市場の倫理」
【概要】
近年の政治シーンで目にする熱狂的な支持の光景を、私たちはどう捉えるべきでしょうか。トランプ氏や高市氏、あるいは地方政治での熱狂……。そこにあるのは、従来の「政策への支持」というよりも、アイドルやホストに向けられる「推し活」と似た姿です。
本稿では、情報工学的な視点(直列思考と並列思考)と経済学的な視座を交え、現代の政治がなぜ「解決」を捨て、「熱狂と分断」を再生産する装置へと変貌したのかを解き明かします。情報の氾濫に耐えかねた知性が選んだのは、思考の放棄という「効率性への逃避」でした。
Note掲載の前稿「近代と想像力の制度化」の応用編として、知性の生態系が崩壊し、民主主義という「社会の箍(たが)」が溶解しつつある現状を鋭く分析した、渾身の文明論的論考です。
はじめに
近年の選挙、あるいは政治的リーダーを巡る熱狂は、従来の「政治」という言葉では捉えにくい現象である。高市早苗氏やドナルド・トランプ氏などを支持する人々の熱量を、単なる「支持」や「共感」と呼ぶだけでは、どこか実態にそぐわない。それは、最近の社会で一般化したアイドルへの「推し活」に近い関わり方である。
2026年2月8日に投票が行われた、第51回衆議院議員総選挙(以下「総選挙」と略称する)において、自民党の高市早苗総裁(首相)が、NHKの党首討論への出席を直前になって取りやめたという出来事があった。高市氏側の説明は、持病の関節リウマチが悪化して、至急の治療を要したためというものであった。
これについては、SNSなどのネット空間では、「討論から逃げた」という批判的意見と、「病気なら仕方ない」という擁護論が拮抗したが、総じて新聞などのマスコミは批判的な論調であった。それぞれの意見の当否はともかくとしても、この種の党首討論の「ドタキャン」は、これまでの「常識」で考えれば、高市氏や自民党に不利に働くだろうと判断されるのが普通であった。
しかし、この選挙中の各種調査結果の推移を詳細に検討して執筆されたという触れ込みの雑誌記事によれば、この「ドタキャン」を契機にして、ネットなどで声高に主張しない「消極的高市支持層」が増えだしたという。もしそうなら、この出来事はむしろ自民党の劇的勝利に向けての転換点になったのかもしれない。(山本一郎「『ドタキャン』で完全に流れが変わった…データが暴く自民党歴史的圧勝のまさかの背景」(プレジデントオンライン2月19日配信記事)https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/323c79fd5bedaa53e276b93b4fc62c60039e4206
まだ総選挙が終わって日が浅いので、この見解の妥当性の正確な判断を現時点で行うのは不適当であるとはいえ、自民党が選挙前の予想に反して大勝利を収めたことは事実であり、また「ドタキャン」が自民党支持の増加という流れを変えさせなかったことも明らかなので、上記記事で主張されるように、この出来事が「ドタキャンしたと虐められる高市さんが可哀想」という、推し活的心情の集団的発露のきっかけになった可能性は否定できない。
もしそうであるならば、この「高市ドタキャン事件」は、政治の押し活化の証左なのかもしれない。
ところで、筆者は先に note で「近代と想像力の制度化」という論考を書き、情報環境の急速な変化によって、「想像力を働かせて考える」という近代の思考様式が、現代では維持されにくくなっていることを論じた。本稿では「政治の推し活化」の加速を、この思考様式の変化の帰結として捉える。
本稿の目的は、政治における「推し活」化がなぜ生じ、それが民主主義社会に与えるインパクトはいかなるものかについて考えることである。それに際して、推し活の原初形態ともいえるホストやアイドル文化との比較を通じて、その構造を経済学的な視点から検討していきたい。
1.認知の臨界点と「直列的思考」の崩壊
(1)思考の二つの様式:並列的思考と直列的思考
ここから先は
この記事が参加している募集
いつもお読みくださり、また温かい応援をいただき、心から感謝申し上げます。 頂戴したご支援を励みに、次の記事の構想を練りたいと思います。 愛犬ブランとの散歩中に、記事のアイデアが浮かぶことも多いので、頂戴したご支援の一部は、ブランのおやつ代にさせていただきたいと思います🐶
