「あるお客様の風景」❶〜結婚記念日【第一話】
「たまには外食でもしようか」
私は耳を疑った。ベランダから洗濯物を取り込み、畳んでいた両手を止めて思わずまわりを見渡す。テレビはつけていないし、このリビングには私と、ソファに寝そべってスマートフォンにイヤホンを繋いでくつろいでいる夫しかいない。
「いいの?」
夫の背中に向かって尋ねた。夫はイヤホンを耳から外して、体の向きを変えて私を見る。
「今日は結婚記念日だろう。たまには外食も良いかと思ってね、、」
結婚記念日なんて私の方が忘れていた。夫がそんなことを言うことすら夢を見ているのではないかと思った。
「、、ありがとう」
「実はもう予約してあるんだ。そろそろ支度して出かけよう」
私たちは身支度を整えて家を出た。
夫が私を連れて行ったのは、私の家の目の前にあるイトーヨーカ堂だった。
「やっぱりなあ、、」
外食だというからどこか洒落たレストランにでも連れて行ってくれるのかと思ったら、ヨーカ堂のレストラン街か、、夫を期待した私がバカだった。
イトーヨーカ堂の正面入口から店内に入ると、クリスマスケーキ予約受け付けます、と大きな文字で謳った立て看板が目に入った。クリスマスケーキなるものを食したのは何年前のことだろうか、、
そんな考えごとをしていると、夫は食料品売場の前にある買い物カートを手に取りカゴを置いた。
「さあ、いこうか」
「え、、外食じゃないの?」
「いや、これで良いんだ」
結局、食材を買って家で食べるということか?それのどこが外食ななのか?私にはさっぱりわからない。夫は戸惑う私をよそに、カラカラとカートを転がしながら食品売場の中に入っていく。私は夫の後についていくしかなかった。
夫は必要なもの、もちろん夫がそう思っているものにすぎないもの、を順番にカゴに入れていった。
金のチーズハンバーグ2個、セブンプレミアムウイスキーハイボールロング缶1本、
金のウインナー、セブンプレミアム明太子ポテトサラダ、セブンプレミアムレタスサラダそれぞれ1パック、
金のもなかアイス2個
夫はこれだけをカゴに入れた。食品レジでお会計を終えた夫はまっすぐサービスカウンターに向かう。何の迷いもなくサービスカウンターに向かう夫の後を私はただついていくしかなかった。
買い物かごをカウンターの上に置いて夫はサービスカウンターの従業員に向かって言った。
「アニバーサリーフードコートサービスでお願いします」
「かしこまりました。お二人分で千円になります」
「じゃあこれで」
夫は財布から千円札を一枚取り出して従業員に渡す。店員は夫に向かって恭しく頭を下げて、買い物かごを受け取った。アニバーサリーフードコートサービス?そんなもの聞いたことがない。一体、夫は何をしようとしているのだろうか。
「さあ、これで良い。席は予約してあるからいこう」
私たちはそのままフードコートに向かった。フードコートの前で夫はきょろきょろと周り見渡す。多くのテーブルが人で埋まっていた。親子連れ、女子高生、お年寄り、いろんな客でごった返しているなか、夫はひとつのテーブルを指差した。
「お、あそこだ、いこう」
白いテーブルの上には【予約席】と書かれた札が置かれていた。予約席?フードコートでそんなものは見たことがなかった。【予約席】に座った私たちを周りの客は怪訝そうに見ている。私は恥ずかしかった。周りの視線が痛い。
数分後、イトーヨーカ堂の制服を着た従業員がひとり、盆の上にグラスふたつと先ほど買い物したであろうセブンプレミアムのウイスキーハイボールが乗っている。
「お待たせいたしました。セブンプレミアムのウイスキーハイボールでございます」
従業員は私と夫の前にグラスを置いた。
「この度はご結婚記念日、おめでとうございます」
従業員はウイスキーハイボールのプルタブを開けた。プシュッという音と共に、ウイスキーの仄かな香りが鼻腔を刺激する。
「おつぎいたします」
従業員はウイスキーハイボールのロング缶を傾け、私と夫の前に置かれたグラスに注ぐ。
「では、ごゆっくり」
店員はまだ半分以上残っているウイスキーハイボールをテーブルの上に置いて立ち去っていった。夫がやろうとしていることがだんだんと理解できた。夫らしいといえば夫らしい。
「乾杯、しようか」
「、、うん」
私たちはフードコートの真ん中でグラスを重ねた。私たちのたぶん11回目になる結婚記念日の夕食はこうして幕を開けた。
【第二話に続きます】
