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鈍色の浸蝕者 第三話

第三話


「あの……僕と……け、結婚してください!」


 宗佑からのサプライズは、まさかのプロポーズだった。

 私はその言葉に全てが吹っ飛んだ。頭痛とか、鈍色の肌とか、もうどうでもよくなった。

 彼の紅潮した表情に嘘など無く、私はその言葉を真正面からまっすぐに信じ、

「はい! 喜んで!」

その申し出に二つ返事で即答した。

「マジで? ほんとに? 僕とで大丈夫? 結婚だよ……結婚……」

 私の答えがあまり即答過ぎたのか、急に弱気になる宗佑。

「うん! 結婚するなら宗佑じゃなきゃ嫌。ちゃんと私の事、幸せにしてくれるんでしょ?」

 私はしたり顔をして見せた。

「……ったああ! やったあああ! するする! 絶対に幸せにする!」

 子供のようにはしゃぐ宗佑。その姿を見て、私は素直に彼を可愛いと思った。

「はい! よろしくお願いします!」

『私』という存在でここまで喜びを表現してくれる人なんて絶対に居ない。そんな宗佑を見ると私も嬉しくなる。私は彼と出会えたことに、今更ながらに感謝した。そしてこれから紡いでいく二人の未来。私はその未来が永遠に続く事を信じて疑わなかった。








 一週間後。

 私と宗佑は、職場のみんなに交際している事と、結婚を約束していることを打ち明けた。

 皆一様に祝福の言葉で、その発表を喜んでくれた。特に芳野さんなんか、自分の事のように喜んでくれて、涙を流しながら祝福してくれるのだった。

「良かったね……篠田さん。チーフとなら素敵な家庭を気付けると思います。本当に良かった。なんか、嬉しくて私まで泣けてきちゃう……」

 そう言いながら、芳野さんはハンカチで目元を覆う。

「ありがとうございます! 芳野さん、泣かないでください」

「ごめんねえ……私も誰か早く見つけなきゃ……」

 泣きながらも、芳野さんは少しだけ冗談をほのめかす。

 そんな芳野さんが私は大好きだった。

「いやあ! 実にめでたい! うちの部署からカップルが成立するとは! 沖田君、君も隅には置けないねえ。素敵な女性を選んだと私は思うよ」

「黙ってて申し訳ありません。二人とも仕事は辞めずに頑張りますので、これからもよろしくお願いします」

 宗佑は課長に深々と頭を下げる。

「こちらこそだよ! おふたりさん」

 課長も満面の笑みで、私たちの報告を喜んでくれた。

 私たちの門出を邪魔する人は誰も居ない。とても幸先の良いスタート。これで一つ、私の小さい頃からの夢が叶った。

 周囲のみんなから祝福される結婚をする事。

 その幸せを噛みしめながら、私はこれからの未来に思いを馳せる。





「これで準備万端! さあ出発!」

 宗佑はマイカーのステーションワゴンに荷物を詰め込むと、助手席の私に微笑みかけた。

 私たちは結婚を前に、お互いの独身最後、恋人として最後の旅行を計画。もちろん言い出したのは宗佑の方から。行先は彼が子供の頃から行ってみたかったという温泉街、洲崎。

 そこは昔ながらの老舗の温泉旅館が軒を連ね、周囲は山と海に囲まれ、食材も双方の幸に恵まれた人気の観光スポット。以前は由緒正しい老舗の旅館がメインの観光地だったが、今は海岸沿いに水族館や、お洒落なカフェや雑貨屋なども増えているようだ。


「ねえ、お昼のイルカショー見れるよね?」

「大丈夫! 間に合わせますから!」

 ハンドルを握りしめ、自身満々に答える宗佑。

 時計の針は午前九時。洲崎までは高速を使っておよそ二時間。そこから水族館へは下道で三十分ほど。激しい渋滞に見舞われなければ十分に間に合うはず。

 イルカのショーなんて何十年ぶりだろう? 私も子供のようにウキウキし始めた。イルカのショーを見たら、海遊館、深海魚ゾーン、そして水族館が運航しているクルーズ船に乗って洲崎湾を一周した後に、老舗旅館で温泉三昧。

 もう楽しみでしかない! そんな二人を乗せて、車は一路、洲崎へと突き進む。







「来たあああああ!」

 私と宗佑は、目の前に広がる洲崎湾を前に、大声で叫んだ。

 群青に晴れ渡る青空の下に、雄大に広がるエメラルド色の海原。打ち寄せる波は穏やかで、まるで私たちを歓迎しているかのよう。鼻腔をくすぐる潮の香に、私たちは海に来た事を実感する。

 高速道路は私の予想に反して渋滞もなく、スムーズにここまで辿り着けた。途中で立ち寄ったサービスエリアで、フランクフルトと巨大なソフトクリームに舌鼓を打ち、私たちは予定より早い十一時過ぎに水族館へと到着。駐車場に車を停めると、そこから海岸へ渡る階段が見えた。私と宗佑は子供のように走り出して、砂浜へと躍り出た。


「最高! きもちいい!」

 私は今の気持ちを素直に、目の前の海に叫んだ。

「うおっしゃあああ!」

 意味不明な雄叫びでそれに応える宗佑。私たちは、立派な社会人でありながら、子供のようにはしゃぐお互いが可笑しくなって、顔を見合わせてその場に笑い転げた。


 そして私たちは至福のひと時を堪能する。調教師の合図に合わせておどけるイルカも、ブラックライトで照らされた暗闇を悠然と泳ぐ深海魚も、地平線に沈みゆく夕陽も、その陽を水面に宿し、黄金色に輝く海原も、それら全ては私たちの未来を祝福していた。

 きっと私たち二人は幸せになれる、この気持ちは私だけじゃない、宗佑も同じ気持ちだ。

夕陽の眩しさに目を細める彼を見て、私はそう確信した。


それから私たちは旅館にチェックインし、室内にある露天風呂で互いに汗を流し、地元で獲れた魚介と山菜を、これまた地元で醸造されたお酒と一緒に満喫していた。

「なにこれ? 凄い飲みやすくて美味しい!」

 私は地元の湧水と米で作られた日本酒のあまりにもの美味しさに、驚きの声をあげた。

「ほんとだ! 凄いね!」

 宗佑もおちょこに注がれたそれをグイっと飲み干した。

 さらさらとした喉越しに、芳醇とした仄かな甘みと温かさが、胸の内で華を咲かせ、更には心地よい浮遊感と高揚感が心と身体を包み込む。そこに今日一日の思い出が重なって、私は至福の余韻に酔いしれる。

 宗佑も同様に頬を紅潮させ、その美味しさを愉しんでいる。

 彼の表情を見ると、酒の勢いか私は激しく宗佑が愛おしくなった。その想いは今まで以上に熱く、そして鮮烈に私の中で咲き乱れた。

もう私たちは結婚する。だから、宗佑とはそういう関係になっていい。いや、なるべきだ!

未だに関係を持ていないままだなんておかしすぎる! 絶対に! 絶対に一つになる!

私は何度も何度も、そう自分に言い聞かせた。あの日の夜、私を襲った激しい嫌悪感を、私の中に渦巻く、純潔を死守しようとする貞操観念を抑え込み、暴れさせないように私は強く心に決める。

それに呼応するように熱く火照る体と疼く芯。そして今日は、今までにないその火照りが、私の頭の先からつま先まで満ち溢れている。彼を受け入れる準備はもう出来ている。

『今日こそは……』

 だからこそ私は、朝からそのつもりだった。

 きっと宗佑もそのつもりのはず。


 私はもう一口酒を煽ると、

「ね、そっち行っていい?」

 テーブルを隔てて向かい側の宗佑に、自分なりに精一杯、艶っぽく囁いた。

「え? あ、うん……」

 意味を察した宗佑はより一層顔を真っ赤にさせる。

 私は寄り添うように彼の隣に座り、その肩に頭を預ける。そして汗ばむ彼の手のひらに自分のそれを重ねる。指と指の間から伝わる彼の体温。滲み出る汗に、彼の中に閉じ込められていたものが解放されるのを、私は肌で感じ取った。そしてそのまま、私の頭と体は彼の手に抱え込まれ、唇は彼のそれで塞がれた。淡く優しく、そして猛々しく、私たちの唇は滑るように重なり合い、その感触さえも同化する。

 更に身を翻すようにして、私は宗佑に畳の上に押し付けられた。そして彼の唇は私のそれを離れ、頬や耳元、首筋へと流れる。更に宗佑は無造作に私の浴衣をはだけさせ、露わになった胸元にその顔をうずめる。

『嬉しい……』

 私はそう感じている自分に安堵した。

このままあの嫌悪感が訪れなければいいのに……そう願わずにはいられなかった。


その刹那、宗佑はテーブルの上にあった酒をあおり、私の口内に流し込んだ。私も応えるように彼の頭を両手で抑え込んで、それを欲した。

それが喉を通過すると、またもや胸中に華が芽吹き、私は更に目の前の最愛の人に没頭していく。しまいには私は宗佑の虜と化し、あの嫌悪感がどんなものであったか、もう思い出せなくなっていった。

そして私の視界は真っ白な光に覆われ、恍惚の波に飲まれていった。







それから何時間費やしたのか? 私は多幸感に包まれながら、宗佑との営みにもはや一切の記憶と理性が吹き飛んでいた。雲の上を歩くようで、触れるもの全てが昏倒を引き起こす程に悦楽を極め、理性の働く余地などなかった。真白な世界で夢に微睡むように、私はその快楽の雲間に溺れていくのだった。



 気が付けば、汗まみれの宗佑が私に覆い被さり、荒く息をついていた。

「ごめん……そのまま……」

 その言葉の意味が一瞬分からなかったが、宗佑の燃え尽きたような声に、私はその真意を察した。

「大丈夫。気にしないで……私は嬉しいから」

 私は嘘をつかず、素直に自分の気持ちを伝えた。

「ありがとう……早妃……本当に愛してる。素敵な家庭、作ろうね」

 そう言うと宗佑は私の背中と首の下に手を潜り込ませ、そのまま強く抱きしめた。

「うん……私も愛してる」

 私は強く抱きしめてくるその腕に、この上ない安心感を覚えるのだった。




 そして私はその晩、また夢を見た。

 その夢はまるで今日一日を包括するような、宗佑とのデートを模した夢だった。しかし、その細部が微妙に違っていた。先ずは宗佑との距離が完全に違う。その夢では私と宗佑は付き合いたてで、少しよそよそしくも初々しい、それはそれで、少しずつ距離を縮めていく感覚が心地よかった。更にはその夢の中での私たちは、泊まりではなく日帰り。海と温泉を堪能した後、私たちは暗い夜道をひたすらに車を飛ばしていたのだった。


「疲れたでしょ、気にせずに眠ってても大丈夫ですよ」

 うとうとしていた私に優しく声をかける宗佑。

「うん、でも大丈夫です。疲れたら運転変わりますから、チーフも遠慮なく言ってくださいね」

 遠慮がちに敬語で話す私たち。初々しくも今の空気感と同じ雰囲気に私は安堵する。


 前方に広がるのは真っ暗でまっすぐに伸びる一本道。周囲は海と畑に囲まれ、街灯一つ無い。その道程は永遠かと思えるほどに永く、そして驚くほどに静かだった。まるで別世界に居るかのように、それは無機質で簡素過ぎた。唯一、車のヘッドライトに照らされたアスファルトだけが、私たちを現実に繋ぎ止めていた。


「あれ?」

 私は助手席から見える景色に違和感を覚えた。真っ暗な畑を照らす小さな光。それはぼんやりとしつつも、何かを探す『意思』が感じられた。

「チーフ、何か見えません? ほら、あれ」

 私が声を上げるとその光は急速に移動し、私たちの目の前のアスファルトを照らした。

「なんだろう?」

 ヘッドライトとは確実に違う光量に、宗佑は唖然とする。

「気になりますね……」

「あ、ちょっと篠田さん! 危ないですよ!」

 宗佑の制止する声を他所に、私は助手席の窓を開け、身を乗り出すように頭上の夜空を仰ぎ見た。

「何……あれ?」

 私はその光景に畏怖を覚えた。

私たちの上空には、真白に明滅する複数の光が乱舞していた。くるくると編隊を組むように規則的な動きを見せたかと思うと、急に弾けて不規則に移動を繰り返す。更にはその澱みのない白さは煌めきを通り越して、情け容赦ない禍々しさを孕み、私の眼に焼き付いた。しかもそれは姿を消す気配はなかった。私たちが奇遇にそれを見つけたというより、私たちがそれに見つけられた、そんな恐怖が私の背筋を走った。

「やばいかも……」

 そう私が呟いた瞬間、もうそれは遅かった。後方からも激しく照らす光が近づいてきた。

咄嗟に目をやると、激しい駆動音を撒き散らしながら、真っ黒な車が私たちのすぐ後ろに接近していた。

「!」

 身の危険を感じた私はすぐさま車内に身体を戻した。

「チーフ、急げますか?」

「アクセル、ベタ踏みしてる!」

 慌てふためく私たち。すると激しい金属の接触音が後方左から聞こえてきた。驚いた私は助手席の窓に振り向いた。そこにはさっき後方に接近していた車が、もう真横に来ていた。

 それは桁違いの排気量のSUV車で、まるで正体を隠すかのように車体全体が真っ黒に塗装され、窓さえも車内を視認できない程に真っ黒で、有無を言わせない威圧感を堅持していた。私はその車に既視感を覚えた。そう、あの頭痛で早退した日に、コンビニの前の交差点で目にしたあの車……だけど夢の中の私はそれどころではなかった。

「どういうつもりなんだ?」

 にじり寄るSUV車におののく宗佑。彼はハンドルを徐々に右に切りながら、それをやり過ごそうとアクセルを緩めたが、それは私たちに合わせて並走している。

「一か八か!」 

 そう言って急ブレーキを彼が踏んだ途端、後方からもう一台の同様のSUV車が、激しいクラクションを鳴らしながら突進してきた。そして次の瞬間、左側と後ろから激しい衝撃と、衝突音が私たちを襲った。




「きゃあああ!」


 自らの叫び声で私は目を覚ました。

 目に飛び込んできた世界に、私は混乱した。

 つい、今まで車の中に居たのに、私の視界には古めかしい木造の天井が見えている。夢と現に区別がつかないままに、私は周囲を見渡した。

 そう、私は宗佑と旅行に来ていたんだ。日帰りではなく泊まりで、私たちはこの旅館に宿泊している。そう、これが現実。さっきのは夢で私たちは無事なんだ。

 激しい胸の鼓動を深呼吸で整えながら、私は隣で寝ている宗佑に目を向ける。


「!」

 私は自分の目を疑った。これは夢だ! そう、夢の続き……

 私は目を瞑り、布団の中に潜り込んだ。今、目にしたものを必死に否定し、本当に目が醒めるの事を祈った。

「どうかした? なんかまたうなされてたよ……」

 その声は宗佑の声だけど、そこに重なるノイズのような金属音が、違和感と不快感を助長する。

「ねえ、早妃……大丈夫?」

 その声は金属音に感化され、無機質で異様な威圧感さえ孕みだした。

「ねえ! ほんとに大丈夫?」

 その声は痺れを切らしたかのように、私から布団をはぎ取った。

「目を開けて、早妃……」

 そして肩に触れる手。それは温かさに包まれているはずなのに、その予想を遥かに裏切り、血の通わぬ冷たさと、言い知れぬ不気味さがあった。

「早妃……目を開けてごらん!」

 宗佑の手は私の頬を掴み、そのまま押さえつけた。

「ほら……早妃……ねえってば……」

 目を開けない私に、その声はまるで勘づいたかのように、金属音を抑え込んだ。

「ほら、起きなよ……」

それはほぼ普通の声になり、私は恐る恐る目を薄めに開ける。

「……」

 そして私は、目を開けようとしたことに深く後悔した。

 更にはそれが、これからの私の毎日を左右するとは、その時の私には見当もつかなかった……

 

                              つづく

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