『白雪姫と七人の継母』第二話「不祥事」

 七人のざんねんな継母と暮らすこと十年。
 今年の春にめでたく都内の私立女子高校に進学した雪見は今ーー会議室で担任教師と共に保護者が迎えに来るのを待っていた。
「あくまでも形式的なことだから」
 隣に座る担任教師が慰めとも諭しともつかない言葉をかける。が、雪見の頭は継母七人の内の誰が来るのかでいっぱいだった。
(真弓さんはコンサートだから来ない)
 帰宅は夜になると言っていた。仮に学校から連絡が来ても着信にすら気づかないだろう。
(柚子さんも依頼が入ったって言ってたし、百合さんはお稽古がある。椎奈さんはマンションの会合があるから出席しないと)
 残るは桜か菫かーーいずれにせよ、継母に迷惑をかけるのは心苦しい。雪見は制服のスカートの端を握った。入学早々に暴力沙汰で親を呼び出しなんて目も当てられない失態だ。
 絶望感に浸っていると、学年主任と教頭が入室。教師三人と保護者の四人で話し合うつもりらしい。
 ほどなくして会議室にやってきたのは、一番目の継母、正妻の白羽椿だった。まさかの大穴にして最強の継母登場に、雪見は椅子から立ち上がった。
「お初にお目にかかります。雪見の保護者の白羽椿と申します」
 折り目正しく一礼。丁寧かつ洗練された動作だった。
 所作だけではない。彫ったような二重瞼。しっとりとした肌に、優しくとおった鼻筋。纏っている深い紺色の着物も大変よく似合っている。
 シラハグループの本家を取りしきる正妻なだけあって、貫禄がまるで違った。
「わざわざお越しいただきまして」
「いいえ。雪見が何か」
 訊ねただけで特に威圧したわけでもないのだが、学年主任は腰を低くして椿に申し出た。低姿勢を通り越して卑屈な態度だった。
「実は、伊藤さんが暴力を振るいまして……」
「暴力?」
「は、はい。生徒達の前でこう、ピシャリと」
「恐れ入りますが、いつどこでどのような経緯でどなたに対して雪見は暴力を振るったのか、教えていただけないでしょうか」
 落ち着いているが反論を許さない毅然とした声音だった。雪見はもちろん、担任も学年主任も教頭でさえも思わず背筋を伸ばした。
「五限目の授業中に、立川先生の頰にビンタをしました」
 雪見が自己申告した。
「理由は……とても失礼なことを言われたからです」
「暴力はいけません」
 椿はたしなめた。凛とした声音だった。
「雪見、人前で頰に張り手をするなんて、淑女のすることではありませんよ」
「はい。申し訳ございません」
「謝る相手が違うでしょう」
 雪見は首を横に振った。間違ってなんかいない。悪いことをしたとは思っていないのだから。
「ご迷惑を掛けて申し訳ございません」
 椿は形のよい眉をわずかにあげた。
「まあ、本人もこうして反省しているそうですし、本校といたしましても事を荒立てるのは本意ではありません。伊藤さんには反省文を書いていただいて、二度とこのようなことがないよう、こちらでもしっかり指導を」
「なりません」
 椿はぴしゃりとはねのけた。
「一生徒が教えを請うべき目上の教師に暴力を振るったのです。徹底した対応を取って然るべきかと。まずは怪我をなさった立川先生がご入院なさっている病院を教えていただけないでしょうか。これから謝罪に伺います」
「え、いや、入院するほどの怪我では。頰が赤くなったくらいで」
「そうですか。では立川先生をここに呼んでください」
 教頭と学年主任は、顔を見合わせた。おずおずといった程で学年主任が答える。
「立川先生は、今日は早退しました」
「大した怪我ではないのに、何故立川先生はお帰りになったのですか? これはいわば学内で発生した暴力事件です。当事者から経緯を聞き、双方の言い分を吟味した上で処罰するべきでは」
 吟味されては困るから、教頭も学年主任もうやむやにしようとしているのだ。困惑する教師陣にはまるで頓着せずに椿は事を大きくするように強く訴えた。
「雪見が白羽家の者だからといって特別措置をしては、この子のためになりなせん。事件を公にし、二度とこのようなことが起きないよう世間に知らしめるべきです」
「な、何もそこまで……たかがビンタですし」
「たかが」
 不用意な学年主任の言葉に、椿の目が据わった。
「つまり『たかが』十五歳の女子生徒が他人の顔をはたいただけで、大の大人達が寄ってたかって責め立て、反省文を書くよう強いた。白羽家の正統な後継者たる雪見を拘束し、現白羽家の当主、白羽成政の妻であるこの私を呼び出した。そうおっしゃりたいのですね」
「いえ! 決してそういうことでは」
 慌てて取り繕うとする教頭。しかし遅い。呼び出した相手が悪過ぎた。普段は穏やかで争いごとを嫌う継母だが、一度怒ると誰よりも恐ろしい。
「当の被害者がいらっしゃらず、怪我の具合もわからないようでしたら話を進めようがありません。本日はこれで失礼させていただきます」
 これ見よがしに深々とため息をついて、椿は踵を返した。結局、思いっきり白羽家の権力を振りかざしているのだが、それを指摘する猛者もいなかった。
「雪見、帰りましょう」
「あ……はい」
 雪見は鞄を持って椿の後に続いた。なおも引き止めようと席を立った教頭に向かって、椿は捨て台詞を吐いた。
「雪見のことで何かありましたら、いつでも白羽家にご連絡ください。私が責任を持って応対いたします」
 丁寧な言葉で包んで誤魔化しているが、要は『文句があるなら、いつでもベルサイユにいらっしゃい』だ。無論、雪見が入学する際、学校に多額の寄付をした白羽家に乗り込む勇気なぞ、雇われ教師陣にあるわけがなかった。

 校門前で待機していた車は、至極当然のように黒塗りのベンツだった。典型的な高級車に運転手付き。椿にとってはいつも通りのことなので、平然と後部座席に乗り込む。
 下校しようとして出くわした一般生徒の方々の好奇の視線にさらされながら、雪見もまた、継母に促されるがまま隣の席に座った。
 運転手は行き先も告げずに車を発進させた。池袋のマンションに向かうかと思いきや、進路はあらぬ方へと。
「まず、あなたに言っておかなければならないことがあります」
 椿が口火を切る。お説教するために運転手にわざと遠回りをさせていることに雪見は気づいた。うなだれて反省の意を示す。
「はい。白羽家の人間としてあるまじき行為をいたしました」
「まったくです。素手で叩くなんて……手を痛めたらどうするのですか。歯に当たりでもしたら皮膚を切っていたかもしれません」
「え?」
 雪見は椿を見上げた。
「次からはせめてタオルを巻くか手袋を嵌めなさい。それが淑女の心得です」
 そもそも淑女は他人の顔にビンタを喰らわせたりしない。
「怒っていない、のですか?」
「大変怒っています。雪見が叩くような教師なぞ碌な人間ではありません。早々に解雇すべきです」
「いや、そういう意味ではなくて……暴力を振るったことです」
「無論、褒められた行為ではありません」
 椿は諭すように言った。
「しかしそれはあなたも十分知っているでしょう。それでも立川先生を叩いたのならば、叩くだけの理由があると考えます」
 向き直った椿は真正面から雪見と相対した。
「先生方の前では言葉を濁していましたが、立川先生はあなたに何を言ったのですか。事の次第では」
「次第では?」
「車の行き先が錦糸町に変わります」
 すなわち立川先生の自宅だ。二時間足らずで住所まで把握する情報力。白羽家の力も恐ろしいが、躊躇いもなく個人情報を調べ上げる椿も恐ろしい。
「他のお母さん達には内緒にしていただけますか?」
「約束しましょう」
「不倫は卑しい行為だと言われました。すでに心を決めた人がいる男性に色目を使うのは、人として恥ずかしいことだと」
「間違ってはいませんね」
 正妻である椿としては賛成したい意見だろう。しかし雪見としては継母が侮辱されるのを黙っているわけにはいかない。
「しかし公衆の面前で声高らかに言うことでもありませんね。立川先生はご担当は倫理ですか?」
「いえ、国語で……主に現文を」
「そうですか」
 椿は意味を含ませた視線を前に流した。前方ミラー越しに指令を受けた運転手は、小さく頷く。言葉のない会話に不穏な気配を察知した。
「椿さん、何をなさるおつもりで?」
「別に。世の中の道理を説いて差し上げるだけです。新学期早々現代文の担当教師が替わりますが、あなたはこれまで通り授業を受けるように」
「なんでそうなるんですか」
 立川が侮辱したのは妾の継母達であって、正妻の椿ではない。だから正直に話したというのに。
「当然でしょう。彼女達は愛人とはいえ白羽家の人間です。ましてや部外者が愛人を理由にあなたを乏していいはずがありません。入学時、旦那様と私とで学園長に挨拶し、くれぐれも雪見のことをよろしくお願いしたというのに、部下の教育もできていないなんて……本当に失望しました」
 ともすれば今すぐにでも動き出そうとする椿に、雪見は戦慄した。
「やめてください。立川先生には私がちゃんとビンタしましたから」
「大した怪我ではないと先ほど伺いましたが」
「力一杯はたきましたから!」
 椿は猜疑的な眼差しを向ける。
「本当に力を込めてはたきましたか」
「それはもう」
 雪見は力強く頷いた。それから、なんで自分の暴力性を必死にアピールしているんだろうと思った。
「……ならば、今回だけは不問にします」
 雪見は胸を撫で下ろした。これで継母がモンスターマザーになることだけは防げる。が、椿は見透かしたように付け足した。
「しかし学園長を通して本人に警告はします。次はありませんから」
 やっぱりタダでは引き下がらない。生徒に嫌味を言っただけで頰を叩かれ、学園長にお叱りを受ける立川に、雪見は同情した。職を追われないだけマシかもしれないが。

 椿の車に送られて、雪見は池袋のマンションに帰宅した。正確には、真弓が借りている部屋に、だ。六階にある四LDKに雪見と真弓と桜の三人で暮らしていた。そのお隣には菫と椎奈と柚子の継母三人が家賃を折半して一緒に住んでいる。愛人にしては皆、共同生活に対しての抵抗がなく、順応性が高かった。
 なお、他の継母ーー正妻の椿は白金の本家邸宅に、根っからのお嬢様である百合は松戸の実家に、それぞれ住んでいる。百合も当初、雪見と同じマンションに越してくる予定だったのだが、真弓とウマが合わずあえなく断念したという。実際の所二人の間に何があったのかは雪見は知らない。が、百合と真弓は継母の中でも相当に仲が悪かった。
 新築のマンションなので外装も内装も綺麗だし、セキュリティもしっかりしている。部屋はオフホワイトを基調とした、落ち着きのあるかつお洒落なつくりとなっている。
 池袋駅から徒歩五分という好立地なこともあり、月々の家賃は相当な額になるだろう。ヴァイオリニストとしての収入を考えたらローンを組んでマンションを購入するのも手だが、真弓にその様子はない。そもそも定住という発想が真弓にはないように思えた。
「『家が裕福だからって調子に乗るんじゃない』なんて言われたの? そいつ馬鹿ねえ」
 付け合わせのサラダに箸を付けつつ、真弓は呟いた。コンサートが終わって打ち上げもそこそこに帰宅したので、どことなく気怠そうだった。
「どうせその女、独身でしょ? ただのひがみ。その場はにっこり笑って、あとは奥様に全部任せればいいのよ」
 目を惹くほどの美人である真弓が言うと余計に辛辣だった。おろした長く艶のある黒髪、潤んで垂れる流し目には何とも言えない色香があった。
「立川先生は男ですよ」
「じゃ童貞ね。いずれにせよロクなもんじゃないわ。気にするだけ時間の無駄」
 自分に対する悪口なら雪見もそうしただろう。世間的に七人の継母がいるのはどう考えても普通ではない。奇異の目で見られるのにも慣れているし、仕方のないことだとも思っている。だから立川の件も、椿にも、誰にも言わないで胸の内に仕舞っておくつもりだったーー最初は。
 雪見はメインディッシュの野菜たっぷりオムレツをいただいた。ふわふわの生地を噛んだ途端、濃厚な旨味が口の中に広がり、目をしばたたいた。
「……チーズ」
「口当たりがしっとりして美味しいでしょ?」
 得意げに言ったのは、向かいの席に座る椎奈だった。元は白羽家本家で働いていた家政婦なだけあって、料理はとても上手だった。雪見のために毎日隣の部屋からやってきては朝食と夕食を用意してくれるのだ。
「美味しいです。トマトも入れてますよね」
「そう、熟れたトマトまるまる一個使ってみたの。でも酸味と汁けが多くなりそうだったからチーズも入れて。あと根菜系も小さく切って、」
「そんな誇らしげに言われてもねえ。チーズ入れたら何でも美味しいに決まっているじゃない」
 会話に水を差した真弓に、椎奈は冷たい一瞥をくれてやった。
「料理もできない女に言われたかないわね」
「家事しかできない女に言われたくはないわ」
 テーブルの対角線上に火花が散る。盛大に爆発する前に、雪見は鎮火に努めた。
「二人とも……今は食事中ですから」
 食事中は喧嘩しない。それが継母達と同居する際に決めたルールの一つだった。
 真弓と椎奈は渋々引き下がった。互いをにらみ合いながら食事を進める。三十も過ぎた大人にしては子供じみた仕草だった。
「で、その立川は結局どうするの?」
「椿さんから学園長を通して注意をしていただくことになりまして」
「それで終わりなの。奥様も寛大になったものねえ」
 真弓はつまらなさそうだった。この様子だと穏便に済ませるよう、椿にとりなしたことは伏せた方が良さそうだと雪見は判断した。
「そいつ、白羽家が後ろにいるのがわかってて喧嘩売ったんでしょ。命知らずな奴もいるのね」
「よっぽど大きな後ろ盾でもいるんじゃない?」
 世界有数の企業グループに対抗しうる後ろ盾ーーまったく思い浮かばなかった。早々に興味を失った真弓は話題を変えた。
「ところで雪見、明日は部活?」
「明日は水曜日なのでお休みです」
 雪見の所属している創作文芸部は火曜日と木曜日のみ活動している。それ以外の日は個人活動。各自小説を書いたり、イラストを描いたりしている、という非常にゆるい部活だった。そのため幽霊部員も多い。
「吉森さんとペンを買いに行くので帰りは少し遅くなります」
「そう……ペンを、ね」真弓は首を傾げた「先週も買ってなかった?」
「あれはインクです」
「一度に買えばいいのに。面倒ね。お小遣い足りないの?」
「そういう問題じゃないでしょ」
 見かねた椎奈が助け舟を出す。
「友達と一緒に色々見るから楽しいの。それくらい察してあげなさいよ」
「『キャプテン』の新作の万年筆が一般販売されるので、店頭に行けば実物を見れますし、もしかしたら試し書きをさせてもらえるかと……」
『キャプテン』はペンを初めとする筆記具や宝飾品のメーカーだ。機能はもちろん、デザインにもこだわったお洒落な筆記具を製造しているので、その新作となれば文房具好きなら誰もが注目する。雪見も例に漏れず「羽根のような書き心地」とうたわれた新作の万年筆見たさに、クラスメイトの吉森と一緒に文房具店に行く約束をした。
「好きねえ、万年筆」
 真弓は呆れたように呟いたが、それ以上は何も言ってこなかった。雪見は内心胸を撫で下ろした。勘の鋭い真弓に気づかれやしないかと毎回ひやひやしていた。


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