『白雪姫と七人の継母』第十五話「まずはお友達から」

 学年総合順位三位。
 惜しくも五点差でトップにはなれなかったものの、期末試験の結果は我ながら及第点だった。
 雪見は学校帰りに本家邸宅に訪れて報告した。白羽家のお偉い方々は一位でないことがご不満なようで渋面を作ったが、正妻の椿は「さすがは成政様の子」と褒めてくれた。そしてこっそりお小遣いをくれた。
 雪見は満足してマンションに戻った。十位以内に入れなかった場合、部活は辞めてその分の時間に家庭教師を雇う約束になっている。とりあえずは秋の中間試験までは創作文芸部にいられることが確定した。文化祭に参加できる。それが嬉しかった。
 結果は褒められても努力は認められないことを、雪見は幼い頃から理解していた。
 優秀な人間でなければ、白羽成政の後継者として認められない。
 しかし、たとえ今後も雪見がこの成績を維持したとしても、自分以上に優秀かつ成政達に認められた者が現れたら、雪見は後継者から外されてしまう。成政と継母達の間に子どもができた場合も然りだ。
 いくら努力したと訴えても無意味。成果がなければ塵と同じだ。
 もっとも相応しい者を後継者に、と掲げて徹底している以上、結果主義なのは仕方のないことーー雪見が生まれた白羽家は、そういう家だった。

 マンション前で車を降りて運転手に頭を下げる。お互い慣れたもので「次は十月ですね」と挨拶された。雪見は苦笑した。年始の挨拶か成績を報告する時しか本邸に行かない。正確には呼ばれない。運転手の言うことはもっともだった。
 お気に入りの歌を口ずさみつつ階段をのぼる。エントランスにさしかかったところで、雪見は立ち止まった。
「秋本さん?」
 先々週以来だが、見間違えるはずもない。秋本千歳が壁に背中を預けて立っていた。来客用の椅子にヴァイオリンケースと鞄を置いて、つまらなさそうに英語の単語帳をめくっている。
 千歳は雪見の姿を認めると単語帳を鞄に押し込んだ。黎陵高校の制服姿なので、学校帰りなのだろう。雪見は血の気がひいていくのを感じた。千歳がわざわざ雪見の家にやってくるとは考えられない。継母が誘拐でもしない限りは。
 雪見は慌てて自動ドアをくぐった。
「あの、まさか、母がまた何か」
 質問には答えず、千歳は万年筆を突きつけるように差し出した。黒く艶やかな漆の光沢が綺麗な万年筆だった。
「念のため訊くけど、おめーの?」
「いえ、素敵な万年筆ですけど、私のでは……」
「あっそ」
 千歳はさっさと万年筆を鞄にしまい「綾瀬の奴」と小さくぼやいた。
「もしかして忘れ物をわざわざ届けに来てくださったのですか?」
「綾瀬と響がウッセーから来ただけだ」
 千歳は舌打ちした。すこぶる機嫌が悪いご様子。早くも雪見は腰が引けてきた。もともと異性と関わる機会が少ないのもあるが、千歳のようなタイプは初めてだった。
「あの、経緯はどうであれ……私に会いに来てくださった、ということで?」
「それ以外何があんだよ」
 千歳は吐き捨てるように言った。苛立たしげに頭をかいて「あー」だの「ホントめんどくせー」だのぶつぶつ言ったかと思えば、突然、雪見の方を見据えた。
「母親もそーだけど、まずはおめーだ。山ほど言いてェことがあんだよ」
 雪見が了承する前に切り出した。
「最初からしておかしいんだよ。なんで継母が七人もいんだ。他所の家庭のことをとやかく言うのもどうかとは思うけど、明らかに変だろ。ただ、まあ、変なだけなら俺だって文句は言わねェよ? 関係ねーし。けどバイト帰りにエアガン突きつけられてガムテでぐるぐる巻きにされて拉致られたり、いつの間にか個人情報身ぐるみ剥がされてたり、学校出た途端に黒塗りのベンツに問答無用で押し込められて頭お花畑なババアのお茶会に付き合わされたら文句の一つや二つや三つぐらいは言ってもバチは当たらねェと思うんだが」
 一方的に捲し立てて、千歳は三白眼を眇めた。何が文句でもあるかと言わんばかりの眼差しに、雪見は顔を引きつらせた。
「あ、はい。ごもっとも……だと」
「ん」
 千歳は満足げに頷いた。
「で、次はおめーだ。俺の手が描きたいと。課題だかなんだか知らねェけど野郎の手を好き好んで描こうとする悪趣味さはさておいてだ、俺断ったよな? いや、時給の話とかして交渉の余地アリみたいな感じに一時期なったけど、でも俺断ったよな? 邪魔で迷惑だっつったよな? ストーカーとも言ったな。普通さ、そこまで言われたらあきらめるだろ。むしろ二度と関わろうとは思わねェんじゃねーの? なんで五秒も経たねェ内にモデルの話に戻んの? おめー鈍いの? 図太いの? 俺もセッティング一人でしろとか無茶振りして大人げねェとは思うけど、モデルやる気はさらさらねーってことぐらいわかんだろ。エイジョのくせに空気読まねェのな」
 栄光女子学院に通っていることと察知能力の如何は関係ないはずだが、それを指摘できるような雰囲気ではないことぐらい雪見でもわかった。結果として口を閉ざしたまま固まった雪見に、千歳は半眼になった。
「で、なんでぱったり来なくなったんだ。新しいモデルでも見つかったんか」
「まさか。そもそも秋本さんをあきらめていません」
「そう、まだあきらめてねェわけだ。性懲りもなく」
 千歳はため息を吐いた。
「だったらなんで急に来なくなった」
「テスト期間に入ったので……お邪魔でしょうし、私も勉強しようかと」
「あっそう、少しは俺のことも考えてくれたわけだあんがとねェ。ついでに売り言葉に買い言葉とはいえ『二度と来んな』っつった翌日からぱったりおめーが来なくなった場合、俺がどー思うかも考えてくれたら完璧だったんだけどなー」
「秋本さんが?」
「気になんに決まってんだろーが!」
 突然の大喝に雪見の肩が跳ねた。
「おめーは知ってるかもしんねェけど、俺はおめーの都合なんて全然知らねェんだよ。部活にまで押しかけてきた奴が、最低でも週二で顔を出してたバイト先にすら急に来なくなったら不安になってくるだろ! 綾瀬はウッセーしウゼェし、細かく詮索してくるし、どーいうことなのか俺が知りてェくらいだっつーのに、すっげえだんだん俺が悪ィみたいな感じになるし」
「ご心配を掛けてしまったのですね、すみま」
「いや心配じゃねェから! 断じてそーいう仲のイイ感じのもんじゃねェから、そこ間違えんな。ただ気になるっつーだけだから」
 雪見は内心首をかしげた。誰かの様子が気になって不安になったりすることを『心配』と言うのではないだろうか。
「とにかくだ。おめーは相変わらず手フェチで先々週の一件でも全く懲りてねェ。試験も終わったから平常運転に戻るって認識でいいんだよな?」
 気圧された雪見が頷くと、千歳は「よし」と呟いた。
「あ、でも来週は文化祭の準備があるので文具店に伺えるのは一度だけかと」
「いつ」
「たしか木曜……少々お待ちください」
 雪見は鞄から手帳を取り出した。
「失礼しました。いつもの水曜が難しいので、金曜日に伺おうかと」
「あーその日、俺補講だからシフト入ってねェ。土曜日の午後、部活の後なら普通にいるけど」
「そうですか。私も午前中は用事があるのでちょうどよかったです」
 雪見は土曜日に赤ペンで「PM文具店」と書き記した。
「では来週の土曜日に」
「ハイハイよろしくーーってなんでおめーがストーキングしやすいように俺が協力してやってンだよ!」
 自分で教えておきながら千歳は「来んな!」と厳命した。髪をかきあげてぼやく。
「あークソ、ホントなんなのおめー。調子狂うしめんどくせーしわけわかんねェ」
「す、すみません」
「謝るくらいならあきらめろ。大体さ、俺が何時間も他人のために割いてやるほどお人好しに見えるわけ? もっと脈がありそうな奴に頼むだろフツー」
 千歳の言うことには一理あった。自分が妥協すれば継母達が暴走することも千歳に迷惑を掛けることもなかっただろう。
「でも私が描きたいのは秋本さんですから」
 他人のバイト先に週二で通う非常識さも学校に乗り込む迷惑も雪見は理解していた。それでも躊躇いはなかった。
「一枚の油絵を完成させるにはどんなに早くても二ヶ月はかかります。日がな一日というわけではありませんが、かなり長い間同じキャンバスと被写体と向き合うことになります」
 妥協はできない。他ならいざ知らず、絵を描くことに関してだけは。
 美術に限らず音楽や書道などの芸術は、自分の思想や魂を表現するものと雪見は考えている。だから誤魔化せない。手は抜けない。だってそれはーー自分を偽るということだ。
「描きたくないものと二ヶ月向き合う時間は、私にはありません」
 千歳は胡乱な目でこちらを見た。値踏みするような眼差しだが不快感はわかなかった。見定めているように雪見には思えた。
「スッゲェ迷惑」
「すみません」
「てめーの都合を押し付けやがって。俺、これでも受験生なんだけど」
「極力ご迷惑をお掛けしないよう配慮します」
「もうすでに大迷惑掛けられてるわ。親子揃ってなんなんだよ」
 千歳は深々とため息をついた。やがて観念したように肩を竦め、スマホを差し出した。
「連絡先、教えろ」
「え、れんらく……?」
「そーだよ。さっさと出せ」
 雪見は慌ててポケットからスマホを取り出した。千歳に言われるがままトークアプリのアドレスを交換する。
「なんで画像が大福?」
「連想しやすいかと」
 せめて「美」を当ててくれれば意識せずに済んだものを。何故よりにもよって「雪見」にしたのだろう。亡くなった母の七不思議の一つだ。
「秋本さんは飛行ーー空港ですか? どこで」
 すか、と訊ねようとした言葉が途切れた。北海道だろう。写真だけで空港が判別できるほど詳しくはないが『千歳』とくればそこしかない。
「お互い苦労するな」
「…………はい」
 それ以上名前に触れることはやめた。とはいえ、めでたく連絡先交換。友だち一覧に登録された「秋本千歳」の文字に、雪見の心が踊った。
「私、男性の方と連絡先を交換したの初めてです」
「母親に教えんじゃねェぞ。やったら即ブロックすっからな」
 念押しする千歳に雪見は何度も頷いた。
「用がある時以外は連絡すんなよ? あと俺、返信あんましねェし、遅ェから」
「承知しました。ありがとうございます」
 スマホを両手でしっかりと握って、雪見は頭を下げた。
「では遅くとも文具店に伺う前日までには事前連絡を」
「ん。じゃあそゆことーーじゃねェだろーが! 来んなっつってんだろーが。なんで俺のバイト先に押し掛けんの前提になってんの? この流れでなんでそーなんの?」
「え、で、でも、課題が」
 千歳は「だーかーらァ!」と焦れたように声を荒げた。
「ホンット鈍い奴だな。モデル引き受けるっつってんだよ!」

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