『白雪姫と七人の継母』第三話「発信器も親心」

 「ただいま帰りました」
 仕事を終えて帰宅した桜は、いつもと違う様相に内心首を傾げた。
 毎回忠犬よろしく玄関までお迎えをしてくれる雪見が、一向に出てこない。時刻は夜の十時過ぎ。遅い時間ではあるが、雪見はだいたい十一時まで部屋でイラストを描いたり、勉強したりしている。
(疲れて寝たのかな?)
 今日、雪見が学園で立川なる教師に侮辱された(そして教師を叩いたと聞いたが、そんなことは些事である)ことは継母グループラインで情報共有されている。すぐさま正妻である椿が学園に乗り込み雪見を救出したとのことだったので、大事には至っていないだろうが、きっと気疲れしたのだろう。最年少とはいえ、自分も雪見の継母の一人。ここは娘を煩わせた『御礼』を立川にしておくべきだろうか。
 そんなことを考えつつ明かりのついているリビングまで足を運んで、桜は思わず「え?」と間の抜けた声をあげた。
「お帰りなさい」
「遅かったわね」
 食卓テーブルを挟んで向かい合っていた真弓と椎奈が口々に言った。
「お二人とも、珍しいですね」
 まず真弓が起きていること。夜の十時から明け方の三時までは『お肌の再生時間』などと称してさっさと就寝する彼女が、十時を過ぎても部屋に入るどころか寝間着に着替えもしていない。
 次に椎奈がここにいること。真弓と同様に椎奈もまた寝るのが早いーー彼女の場合は朝食と雪見の弁当を用意するために早起きしているからなのだが。椎奈はいつも夕食の片付けが終わったらすぐに隣の自宅に戻っている。しかし今日に限っては、帰る気配はなく茶まで淹れてくつろいでいる。
 そして、真弓と椎奈が喧嘩するわけでもなく茶をしばいているこの状況。雪見の前ですら嫌味の応酬を平気でする二人が、だ。大変貴重な光景だった。
「ちょうど良かったわ。あんたにも聞きたいことがあるの」
 真弓の手招きに応じて、桜は鞄を置いて隣に座った。
「一体どうしたんです? あの立川とかいう教師の件は奥様が後処理をなさるのでしょう?」
「その件はどうでもいいの」
 真弓は二人を見回して、深刻な面持ちで告げた。
「あの子、最近おかしいわ」
 固有名詞を挙げなくても誰のことかは明白だ。白羽成政の妻と愛人が気にかける『あの子』と言えば、伊藤雪見以外はありえない。
「教師をはたいたことですか? まあ、普段大人しいあの子にしては珍しいとは思いますが」
「そうじゃなくて」
 真弓は的確な言葉を探すかのように視線を宙へ向けた。
「……最近帰りが遅いし」
「部活も入りましたし、図書委員にもなったみたいですよ。忙しいんじゃないんですか」
「よく歌を口ずさんでいるし」
「「何を今さら」」
 桜と椎奈の声がハモった。
 継母ならば誰もが知っている雪見の癖だ。絵を描くのが好きな雪見は、熱中していると歌を口ずさむ。曲目は民謡だったり、やたらと懐かしい昭和の歌謡曲だったり、ヴァイオリンの名曲の一節だったりとーー要するに、一緒に暮らしている真弓の影響を受けているのだ。
 正直に言うと雪見はあまり、いやかなり歌が下手だ。歌詞を間違って覚えていることも多々ある。が、それを指摘する継母はいない。『集中しているところを邪魔してはいけない』というのが建前。本音は『かわいいのでそのままにしておこう。雪見に嫌われるのは困るし』だ。
 歯に衣着せぬをモットーにする真弓だけは「下手ねえ」と鼻で笑っているが、そんな雪見の癖を一番気に入っているのは、他ならぬ真弓だった。仕事が休みの日は雪見を連れて演奏会に行ったり、好きなCDを聴かせたりしている。
「以前は絵を描いている時ぐらいだったんだけど、最近は皿洗いをしている時もお風呂に入ってる時も歌っているのよ。しかも集中しているというよりは、どうも上の空で」
 真弓は思い出したように付け足した。
「あと曲目が変わったわね」
「曲?」
「前は『絶体絶命』とか『かもめが飛んだ日』とか……あと『つぐない』とか『敗戦投手』とかだったんだけど」
「なんで破局の歌ばっか聴かせてんの」
 椎奈が指摘する。たしかにその通りで、それも女性が男性を振るパターンの曲が多いような気がする。そこはかとなく真弓の意図を感じた。
「私の趣味よ。でも最近は全っ然違うの。『シルエット・ロマンス』とか、この前なんか山口百恵の『秋桜』歌ってたのよ! ありえないわ。あの子、一体どこに嫁ぐつもりなの⁉︎」
 選曲のレトロさはさておき、恋歌ばかり。『秋桜』に至っては翌日に結婚を控えた娘が母を想う曲だ。大幅な路線変更と言えーーなくもない。
「くだらない」
 椎奈が一蹴した。
「雪見はまだ十五よ。恋に恋するお年頃なんだから歌ごときで」
「私は十八で前の男と結婚したわ。桜が旦那様と出会ったのは十四の時よね?」
「ま、まあ……そうです、けど」
 しかし真弓も自分もかなり特殊なケースだ。雪見が同じような道を辿るとは思えない。
「きっと学校でちょっと顔のいい同級生の男に一目惚れして夢中になっているのよ。あの子世間知らずだから」
「女子校ですからそれは」
「ないってどうして言い切れるの⁉︎」
 男子生徒のいない学校だからだ。至極当然の理屈をしかし、真弓は頑として受け入れようとしない。
「相手の男は雪見が白羽成政様の嫡子であることを調べ上げて、権力とお金目当てて雪見を誑かそうとしているかもしれないわ……嗚呼なんて恐ろしい……っ!」
 むしろ継母が七人もいるおかしな家庭と知った時点で、大抵の男性は逃げ出すと思うが。
「阿呆くさ」
 付き合いきれないと判断したらしい。椎奈は会話の終了を示すかのように椅子から腰を上げた。
「明日、燃えるゴミの日だからまとめておいてよ。洗面所のも忘れないで」
「燃えるゴミと雪見とどっちが大切なのよ!」
「あんたの妄想もついでに出しておきなさい。じゃ、おやすみ」
 取り付く島もなく、椎奈は帰っていった。お隣に。
「なんて薄情な女なの。あれでも母親⁉︎」
「七人もいますからね」
 戦慄く真弓の耳に、桜の呟きは届かなかった。

 平日の人気のないファミレスとはいえ人前。柚子は欠伸を噛み殺した。
 張り込みを終えて帰宅したのが深夜一時。軽くシャワーを浴びて寝ようとしたところを捕まって、仕事をさせられた。深夜労働だ。相手が自分と同じく成政の愛人でなければ相応の報酬を請求するところだ。
 柚子は向かいの席で仏頂面をしている真弓を睥睨した。
 昼のピークを終えたファミレスは閑散としていた。他のテーブル席では奥様方や学生の仲良しグループが談笑している。のんびりしている雰囲気の店内で、深刻な顔をしている真弓は明らかに浮いていた。人並み外れた美しさが悪目立ちを増長させている。
「お前の気持ちはわからなくもない」
 柚子は慎重に、これ以上真弓を刺激しないように言葉を選んだ。
「義理とはいえ可愛い娘だ。小学校低学年の時からだから……十年くらいか? 長く成長を見守ってきた親として、心配するのは当然だと思う」
 かく言う柚子もまた少なからず衝撃は受けたし、動揺もしている。大人しくて、どちらかといえば引っ込みがちなあの子が、まさか。一緒に暮らしている真弓なら衝撃も大きいだろう。
「だがこれは人として間違ってる」
 柚子は拳を振るって力説した。
「本当に娘を愛しているのなら、時には黙って見守ることも必要なんじゃないか。なんでもかんでも娘の行動を把握したがるのは愛じゃない。ただの支配だ。お前も母親なら、ここは雪見を信頼して、どうしても気になるのなら本人とちゃんと腹を割って話し合うべきだ」
 柚子の誠意溢れる説得の末ーー真弓は右手を差し出してきた。
「雪見は今どこ」
「話聞いてたか?」
「どこの馬の骨と一緒にいるの」
「さすがにこれはやり過ぎ、」
「何をしているの」
「いや、だから」
「どんな話をしているの」
「あの……落ちつ」
 押し寄せる重圧に言葉が途切れる。恐る恐る顔を上げれば、般若のごとき形相で真弓が凄んでいた。
「出しなさい」
「……ハイ」
 柚子は説得を諦めた。無条件降伏の証としてスマホとイヤホン付き受信機を差し出した。
「どこに仕込んだの」
「生徒手帳に発信器。校章に盗聴器を」
 高性能故に一日でバッテリーが切れる。一晩で、しかも部屋などではなく移動する高校生に仕掛けるとなれば、それが限界だった。
「動いていないようだけど?」
 スマホに表示されている地図を見て、真弓は眉を上げた。学校の敷地内で赤い点は静止している。
「そりゃあ授業中だったら動かないだろうさ」
「ここは教室じゃないくて裏庭よ。木曜の五限目は美術の授業だから、写生でもしているのかしら」
「……なんで学校の間取りと時間割を把握しているんだ?」
「まあ、いいわ。これで放課後の足取りは追えるし」
 まったくよくない。年頃の娘の恋愛に首を突っ込みたいがために、呼吸をするかのごとくナチュラルにストーカー紛いな行為をする継母がここにいる。由々しき事態だった。
「とりあえずは雪見が動くのを待ちましょう」
 おもむろに立ち上がった真弓は、会計を済ませてレストランを出る。慌てて後に続いた柚子は表で待ちかまえていた高級車に目を丸くした。おまけに後部座席のドアを開けたのは、白羽家の本家専属の運転手だった。
「なんでここに」
「奥様が貸してくださったの」
 さらりと真弓が告げる。椿が車と運転手を手配させた。それが示す意味を悟って、柚子は卒倒しそうになった。
「まさか……椿様にまで」
「ええ。伝えたわ」
 真弓は胸を張って肯定した。
「奥様も捨て置けないとおっしゃっていたわ。今回の件は私に一任すると。事と次第によっては武力行使も辞さないお考えよ」
「なんで⁉︎」
「当たり前でしょう。雪見は白羽家の後継者。私の娘なんだから。それを知っててあの子に手を出そうというのなら、白羽家と私に喧嘩を売っているようなものよ。上等だわ。受けて立ってやろうじゃない」
「待て。そもそも雪見はお前の養子になると決まったわけじゃあ」
 と柚子が反論している間に、真弓はさっさと車に乗り込んだ。
「学校近辺で待機しましょう。くれぐれも目立たないように」
「いや黒塗りベンツは無理! 浮くから!」






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