私はそれでいい #秋ピリカ応募
昨日、偶然に娘を見つけた。
喫茶店でひとり、紅茶を飲みながら本を読んでいた。
声をかけたかったが、私にはその資格がない。
彼女が二歳の時に私は父親をやめてしまったから。
美しく成長した娘をただ眺めることしかできない。
◇
私には父がいない。
寂しいと思ったことはない。
父の記憶が全くないから。
優しい母は事あるごとに私に謝った。
「お父さんいなくてごめんね」
「全然平気だよ。お母さんいるから」
そんなふうに応えれば良かったのに、なんで最期までできなかったんだろう。
この店で母が好きだった紅茶を飲みながら、母が好きだった本を読む。時間を気にせず、心が落ち着くまでゆっくり過ごすのが最近の唯一の楽しみ。
バサッ。
寝落ちして本を落としてしまった。疲れが溜まっていたのかもしれない。
床に目を向けると、本とブックカバーの間から紙片がするりと飛び出して、近くの席の老人男性の前まで滑っていった。
何の紙だろう。たぶん、栞かな。
男性は親切にも立ち上がって、その紙を拾ってくれた。
私もすぐに立ち上がり、男性の席に向かった。
男性に声をかけようとした時、男性は紙を一瞥して身を震わせたかと思うと、紙を折り畳んで口の中に放り込んでしまった。
突然の出来事に頭が真っ白になる。
次の瞬間、猛烈な怒りが湧いてきた。
「ちょっとあなた!何をするんですか!」
男は意に介さず、「おいちい、おいちい」と繰り返すばかり。
ひどい。
何の権利があってこんなひどいことをするの。
「返して!返してよ!この、クソジジイ!」
「あー、おいちかった!」
男は紙を完食してしまった。
なぜか涙を流している。
泣くほどおいしかったの?
許せない!
私は男の向こう脛をつま先で思いっきり蹴った後、そそくさと荷物をまとめて店を出た。
最悪だ。もうこの店には来れない。
◇
ひと目見て分かった。
久美の特徴的な丸っこい文字。
懐かしく幸せな日々が次々と思い出される。
久美と出会い、美那が生まれて、私はこの世の誰よりも幸せだった。
あの日が来るまでは。
この紙に久美は何を書いているのか。
私は拾った紙に目を落とした。
美那へ
私はあなたにどうしても言っておかなきゃいけないことがあるの。
私が癌になって「バチが当たったんだわ」と言ったら、あなたは怒ったわよね。
でも、バチが当たって当然なの。
私は人を殺して、お父さんに罪を……
そこまで読んで身体が震えた。
考えるまでもない。
私はこの紙を処分することにした。
しかし、どうやって。
我ながら良いアイデアが浮かんで嬉しくなる。
久美と再び巡り合ってひとつになれることに喜びを感じた。
久美は憎むべき加害者ではなく、むしろ被害者だった。久美は「自首したい」と言ったが、私が止めたのだ。私には久美と美那を守ることしか頭になかった。
あの日、心に決めたことはただひとつ。
美那から母親を奪うようなことはさせない。
決して誰にも。
たとえそれが紙に書かれた文字であっても。
(1183文字)
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