李承晩ライン Syngman Rhee Line 1952-1965
まだ朝鮮戦争が終わっていなかった1952年1月28日に、大韓民国初代大統領の李承晩(イ・スンマン 1875-1965 初代大統領1948-1960)が公海上に一方的に設定した排他的漁業水域。
背景に存在したのは、前年1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が日本と、中国、ソ連を除く連合国との間で締結されたこと。韓国政府は、韓国政府の連合国の一員として講和条約に参加することを求めたが、この要請は(韓国政府はなお存在していなかったとして)最終的に拒否された。またここで注目されるのは、条約に関する韓国政府の要求である。領土の問題では、竹島・波浪島(パランド)の韓国への編入、水域についてはマッカーサーラインの継続を主張した。竹島・波浪島に対する韓国政府の要求はここから始まる。マッカーサーラインの継続要求が実は李承晩ラインにつながる。
マッカーサーライン1945年9月に引かれたものが最初。何回か拡張されたが1946年6月22日発令のSCAPIN(連合最高軍指令)1033号がとくに有名(この指令で竹島及びその周辺の除外が明確化した)。日本に対する漁業水域指令であり、日本の漁民は、この水域外での漁業を事実上禁止された。問題はここで、竹島及び周辺から西が除外されたことで、竹島周辺での漁業が事実上禁止された。韓国政府は、このラインの継続を望んだのである(サムネイルの図版には、マッカーサーラインの変化が示される。「デジタル版 函館市史」より)。
しかし条約が発効後は、ラインが継続されないことが明らかになり、一方的実力行使として設定されたのが、李承晩ラインで、マッカーサーラインよりさらに韓国側水域を増やした設定(以下の図版を参照)。韓国による竹島に対する実効支配は、この李承晩ライン設定により排他的漁業水域に竹島を取りこむことで事実上始まったといえる。このラインの設定に日本政府は抗議したが、ラインを設定して、それにもとづき取り締まるという韓国側の行為を阻止できなかった。

なお1953年4月からは独島義勇守備隊という民間組織が、竹島(独島)に駐在するようになり、それが1956年12月30日には、警察組織のもとに編入されたとされている。
竹島については、韓国がなぜ1952年から実効支配することができたか、今日から見ると不思議に思えるが、日本が連合国軍による統治下にまだあり、竹島及びその周辺に日本漁船が立ち入ることがマッカーサーラインで禁止されている状況で、韓国政府がそれに重ねるように李承晩ラインを宣言したことにより、日本政府は結果として、竹島とその周辺海域を韓国政府が実効支配することに、有効な対策を打てなかった。日本人及び日本政府が行動できる海域が制限されていたことが、韓国に「悪用」されたようにも見える。
なおサンフランシスコ条約に関して、韓国が竹島とともに波浪島(パランド)という島の編入を要求したことを見たが、当時、韓国は波浪島を日本海上の小島としていたが、それを発見できなかった。その後、東シナ上に岩礁(蘇岩礁)を発見し、これこそ波浪島であると、波浪島の位置に関する主張を変更。1987年には灯台を設置。その後、海洋調査施設を建設して、中国と対立している。なお海洋調査施設が完成した2001年から、韓国は島の名称を離於島(イオド)に変更した。竹島、さらに離於島(蘇岩礁)と、ともかく自分の一方的な理屈を主張し、隣国との対立を恐れない、領土に関する韓国の貪欲さや必死さは、日本も少し学んでよいことかもしれない。

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