(創作童話)早く起きた春の日に
3,277文字
雪の女王が、ひと足早く起きてしまったチューリップの妖精と出会う冬の朝。
彼女が贈ろうとしたのは、春になっても溶けない“氷”――それは、ガラスに閉じ込めた小さな魔法の記憶でした。静かな冬を巡る、ひとつのやさしい旅の話。
1
雪の女王は、毎年冬になると目覚め、ねぼすけの春の女神を起こすまでのあいだ、冬の野原に静かに息を吹きかけます。
ある日。
いつものように、冷たい風をまとって野原を歩いていると、どこからか声がしました。
「さむいよー……さむいよぉ……」
声のする方を見ると、草葉の陰で、小さなお花の妖精が泣いています。
「あなた、春のお花ね。チューリップさんかしら。……かわいそうに。間違えて起きてきてしまったのね」
雪の女王は、その小さな妖精があまりにも愛らしかったので、思わず抱きしめたくなりました。でも、自分が触れれば凍らせてしまう。
それに、この野原は、まだ眠るには寒すぎます。
「そうだわ!」
女王は少し考えて、遠くに見える火山のふもとへ妖精を連れて行くことにしました。
火山は、雪の女王にとっては苦手な場所。けれど、春の土が残っているかもしれません。
「妖精さんが安心して眠れるくらいの場所なら……きっと、大丈夫よね」
そうして二人は、手を取り合って歩き出しました。
2
雪の女王とチューリップの妖精は、すぐに仲良くなりました。
お互いに、知らないことばかりだったのです。
妖精は一面の花畑の話を、女王は銀世界の話をしました。話しながら、火山のふもとを目指します。
やがて、あたたかな土が感じられる場所にたどり着きました。そこなら、妖精も安心して眠れそうです。
「女王さま、ありがとう!」
「ゆっくり眠って。春にはきっと、素敵なお花を咲かせてね」
そう言って、女王はそっと妖精を土に寝かせました。
3
けれど――
お礼をしたくなったのです。
あんなに小さく、けなげに泣いていた妖精に、目を覚ましたときの贈り物を。
でも、雪の女王がつくるものは、春には全部溶けてしまいます。
そのとき、遠くから火山の王の声が響きました。
「雪の女王。こんなところまで来るとは珍しい。……なにか、お困りごとですか?」
女王は、これまでのことを話しました。
火山の王はうなずき、言いました。
「ならば、もう少し近くに。春になっても溶けない“氷”をあげましょう――そう、“ガラス”をね」
4
女王は勇気を出して、火山に近づきました。
炎の熱で、肌が溶けそうなほどです。
それでも、ふもとにある溶けた石のそばに、小さな透明の石が転がっているのを見つけました。
そのとき、火山の王がさらに言いました。
「この山を少し下ると、小さな小屋がある。そこに住んでいるのはサラマンダー――火のトカゲだ。集めるのも作るのも好きなやつだよ。訪ねてごらん」
「ありがとう、火山の王さま。」
雪の女王は、礼を言って火の山の斜面を下りはじめました。
歩を進めるごとに、空気は熱を帯びていきます。岩肌は赤く、ぽつりぽつりと熱い火の川が流れていました。雪の女王にはつらい道のりでしたが、胸のなかには、眠る妖精への想いがあったのです。
ようやく見えてきた、小さな小屋。その扉の前に立つと、中から低く明るい声が響きました。
「おや、雪の女王さま。火山の王から聞いてるよ。さあ、中には入らなくていいよ、暑すぎるからね。」
顔を出したのは、全身がオレンジに輝くサラマンダー。火の魔法で生きる小さな職人でした。
「贈り物にできるような、素敵なガラスを分けていただけますか?」
雪の女王がそう頼むと、サラマンダーは、少し残念そうに言いました。
「ちょうど今、いい材料は使い切っちゃってね。作った分も配っちまった。でも、灰と砂はあるし……あとは、貝殻があれば。」
「貝殻?」
「うん。この山をまっすぐ降りると海がある。そこの海岸に、たくさん落ちてるはずさ。集めてきてくれたら、あんたのために特別なガラスを作るよ。」
「わかりました。行ってきます。」
そう言って振り返ろうとした雪の女王に、サラマンダーは声をかけました。
「そうだ、もし時間があったら……一つだけ、お願いがあるんだ。」
「お願い?」
「俺に、雪の花を見せてくれないか? 一瞬でいい。ずっと昔から、本物の雪の結晶を見てみたくて。」
雪の女王は、静かにうなずき、指先に力を込めます。冷たい風の道をつくり、氷の結晶をすーっと、サラマンダーの前に運びました。
「うわあ……! これが……雪の花……!」
サラマンダーの目がきらきらと輝きました。
その輝きに、雪の女王の頬もほんのり緩みます。
「じゃあ、海に行ってくるわ。」
5
海辺の風は、やさしく、あたたかでした。
雪の女王は、波打ち際で美しい貝殻をひとつ、またひとつと拾い集めます。
焼けた岩の熱にも、潮の香りにも、少しずつ慣れてきている気がしました。
やがて貝殻を小屋へ持ち帰ると、サラマンダーはすぐに作業を始めます。
溶けるガラスの中に、そっと雪の女王の魔法を重ねながら――。
「できたぞ!」
渡されたのは、小さなペンダント。
冬の氷のように透明で、なかには繊細な雪の結晶と、銀色のスノーフレークが浮かんでいました。
「なんて綺麗……」
雪の女王は、深く頭を下げ、サラマンダーにお礼を言いました。
6
そして、花の妖精の眠る場所へ戻ってきた雪の女王。
妖精はすっかり土に潜り、ぬくぬくと気持ちよさそうに眠っていました。
「おやすみなさい。春になったら、きっと素敵に咲いてね。」
そう囁くと、雪の女王はようやく自分の野原へと戻ってきました。
けれど、まだ大事な仕事がひとつ残っています。
それは――春の女神を起こすこと。
「女神ちゃん、起きて!」
「んー……まだ、早くない? もうちょっと寝かせてよ……」
「そんなことないない! ほら、早く! 私はもう眠くて仕方ないの。」
「……ふわぁ。はいはい、じゃあバトンタッチね」
春の女神がゆっくりと体を伸ばし、草花を起こしはじめます。
その声に合わせて、野原は少しずつ春の色に変わっていきました。
7
ぽかぽかした陽ざしのもとで、チューリップの妖精がゆっくりと目を覚まします。
「ふあぁ……よく眠った……あれ?」
すぐそばに、小さなペンダントがそっと置かれていました。光にかざすと、ガラスのなかで雪の結晶が静かにきらめきます。
チューリップの妖精は、目をぱちくりさせながらペンダントを拾い上げました。
氷のように澄んだガラスの中には、雪の結晶と、小さな花の模様。それはまるで、春と冬が一緒に手をつないだような、美しい輝きでした。
「こんなに素敵なもの、どうして私のところに…」
そこへ、春の女神がひょっこり顔を出します。
「それはね、冬の女王からのプレゼントだよ。あなたが、早く目を覚ましてしまったから。」
「わたし…寝坊しちゃったんじゃなくて、早起きだったね」
春の女神はくすっと笑いながら、花畑に魔法をかけていきます。
チューリップのまわりに、スイセン、クロッカス、レンギョウ――
ぽん、ぽん、と音を立てるように、花々が目を覚ましていきます。
「きっと、また冬が来たら、会えるね。雪の女王さま。」
チューリップの妖精は、ペンダントを胸にそっと抱きしめました。そこには、冬の冷たさではなく、あたたかな思い出が宿っている気がしたのです。
8
それからというもの、春の野原には、毎年一輪、ちょっと早く咲くチューリップが現れるようになりました。そのそばには、キラリと光るガラスのかけらが、春の朝日に照らされて輝いています。
誰もその正体は知りません。けれど、ある年の冬、子どもたちが雪遊びをしているとき、雪の上に透明な結晶のかけらを見つけて、こう言いました。
「ねぇ、これ、女王さまの涙みたいだね。」
雪の中に宿るやさしい贈り物は、春の花たちと、遊ぶ子どもたちの心に、そっと残り続けているのです。
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