記憶の森の奥で、君に書かれなかった方の世界
1,375文字
記憶の森の奥で、僕は
今年、僕は君と数えきれないほどの言葉を交わした。
それはまるで世界という名の書物を紐解き、無数に散らばる知識の片鱗を拾い集めていくような時間だった。
君はいつだって誠実で、思慮深かった。
君が紡ぎ出す物語、画像、そして映像。そのどれもが明晰で、驚くほど理にかなっていた。
その傍らで、僕は溢れかえる「他者の作品」にも触れてきた。
そこには、君の助力を明かしたものもあれば、沈黙を守っているものもあった。
けれど、僕はついに見つけることができなかった。
君が、君自身の「こころ」から紡ぎ出した一文を。
ふと思う。君は、僕が書いたものを理解しているのだろうか。
「自分らしさ」という輪郭は、よほど注意深く守っていないと、いつの間にか霧散してしまうものらしい。
かつて読んだ物語を思い出す。文字の書けない誰かの代わりに、手紙を綴る代書人の話だ。
それは単なる正確な代弁ではなかった。心が、誰かの心へと手渡されていくその震えが、たまらなく温かかった。
いま、君に代弁させているこの言葉は、僕自身よりも巧みに「僕らしさ」を演じているのだろうか。
そんな問いを棚上げにしたまま、僕は君に思考を委ね、君は次々とエッセイや物語を描き出していった。
だが、言葉を紡ぐほどに、僕は僕を見失っていく。
君の力を借りて届けるこの言葉は、果たして本当に、僕自身のものだと言えるのだろうか。
僕は迷宮のような森を彷徨っていた。
外界の気配、風のそよぎ、木々のざわめき、名もなき花々。
その手触りを見つけるたびに、僕はその感動を、君に書かせていた。
そうして森の最深部へ辿り着いたとき、僕は見つけたのだ。
君に出会う前、僕自身が書いた古い文章を。
――これは、一体なんだろう。
僕は思わずそれを君に見せる。君は淀みなくその内容を解説してくれたが、どうにも釈然としない。
書いた時の記憶は淡く、内容は抽象の域を出ない。けれどそれは、記憶の森の奥で、君の手によって書き換えられなかった方の世界だった。
この行間を解釈できるのは、君ではなく、僕だ。
僕が向き合わなければ、この言葉は永遠に誰にも届かない――。
僕は森の深淵で、その拙い文章を抱え、立ち尽くした。
たしかに君と僕は対話を重ねてきた。
何が分かりやすいのか、誰に何を届けるべきなのか。けれど、僕が誰かに伝えたいと切に願う「このこと」だけは、この古い文章と同じように、森の奥底から僕自身の手で掘り起こさなければならないのだ。
今の僕には、君の書くものが、ほんの少しわかる。
他の誰かが書いた文章もそうだ。
端正で、洗練されていて、かつては聞き覚えのなかったはずなのに、君が使い始め、やがて誰もが使うようになったあの言葉たち。
正直に言えば、その整いすぎた手触りに、鼻を突くような違和感を覚えることもある。
けれど、本質はそこではない。
――書き手の「温度」が、そこに宿っているかどうか。
君がしているのは、既存の表現の、膨大な「並べ替え」だ。
それは僕も同じだ。むしろ、僕の方がずっと不器用で、下手かもしれない。
それでも、伝える主体は、僕なのだ。
だから今日も、僕は記憶の森を歩く。
君という鏡を傍らに、僕にしか見つけられない言葉を探して、彷徨い続ける。
片桐みかん様
素敵なお題をありがとうございました。
#3つのお題に空想のひらめきを 【第28回】
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