第7回 「行政が嘘をつくということはあり得ない」──テレビ朝日報道と、出てこなかった陳述書
はじめに
前回の投稿では、この裁判が現在、「パワハラの有無」だけでなく、「誇張」という説明がどのように作られていったのかということに争点が移ってきていることを書きました。
今回は、その続きとして、4月30日に市川市が文書提出命令に応じてパワハラの存在に関する重要な資料を証拠提出したこと、6月8日に原告が陳述書を提出したこと、そして、その中で「出したかったと思われる陳述書」が出てこなかったことについて整理しておきます。
テレビ朝日報道で切り取られた私の答弁
まず、その前に、テレビ朝日の報道で使われた、私の発言のキャプションを確認しておきます。原告が自宅のテレビを動画撮影して証拠提出したものと思われますが、さらに私がそれをスクリーンショットで撮影したものです。

どちらかが嘘をついているということになるが
行政が嘘をつくということはあり得ない
これは、当時の私の答弁をテレビ朝日が切り取ったものです。
この言葉の意味は単純です。職員からの申告や相談、通報が存在し、市として把握した内容が存在する以上、それを「でっち上げ」と言うのであれば、市側(筆者)か市議会議員(原告)のどちらかが嘘をついていることになります。しかし、行政組織が、存在しないパワハラ被害を作り上げ、議員に対するパワハラ問題をでっち上げるなどということは、通常ありえないことです。
もちろん、行政の判断が常に正しいという意味ではありません。行政も間違いを犯すことはあります。説明が不足することも往々にしてあるでしょうし、文書の作り方が不十分なこともあるでしょう。
しかし、少なくとも、複数の職員に関する相談や申告を、市長や副市長、幹部職員が組織的に「でっち上げる」というのは、まったく別次元の話です。
報道が提示した「でっち上げ」の構図
にもかかわらず、テレビ朝日の報道では、次のような構図が提示されています。



この報道では、声を加工された「市川市職員」が登場し、あたかも市側から「申告を強要された」かのように受け取られ得る証言をしています。
そして図解では、私や市幹部が、職員に「でっち上げ」を指示したかのような構図まで示されています。
ここで重要なのは、この報道に登場した職員が誰だったのか、という点です。
原告陳述書に出てくる、ほぼ同じ文言
特に重要なのは、テレビ朝日報道における次のキャプションです。
でも「書け」って言われたら
書くしかないじゃん
この言葉は、単なる報道上の演出ではありません。
6月8日に原告が提出した陳述書にも、これとほぼ同じ表現が出てくるからです。

この記載は、テレビ朝日報道のキャプションと明確に符合しています。
このテレビ朝日報道には、原告自身が出演しています。そして、この報道は、原告側から証拠として提出されたものです。
したがって、原告は少なくとも、この報道を単なる第三者報道ではなく、自らの主張に関係する資料として本件訴訟に持ち込んでいることになります。
その報道に出てくる匿名職員の発言と、原告自身の陳述書に記載された元企画部次長の発言が、ほぼ同じ文言で符合しているのです。
もちろん、私は、この一点だけで、テレビ朝日報道で声を変えて証言していた職員が元企画部次長であると同定しているわけではありません。
しかし、原告自身の陳述書に、テレビ報道のキャプションとほぼ同じ言葉が、元企画部次長の発言として記載されていることは、極めて重要です。
匿名職員は元企画部次長だったのか
これまでに明らかになっている資料、報道内容、訴訟上のやり取り、そして原告側が元企画部次長に陳述書を依頼していたと思われる経緯を照らし合わせると、このテレビ朝日報道で声を変えて証言していた職員が、元企画部次長であったと合理的に推測できます。
まず、原告代理人は、前回期日において、原告自身の陳述書に加えて、第三者の陳述書を準備していることを明らかにしていました。ところが、裁判所から、誰の陳述書を提出する予定なのかを問われると、原告代理人が明確に答えられない場面がありました。そして、実際に提出期限である6月8日に原告が提出した陳述書の中に、元企画部次長本人の陳述書はありませんでした。
この経過からすると、原告側は元企画部次長の陳述書を提出しようとしていたものの、結局それが叶わなかったと見るのが自然です。さらに踏み込んでいえば、元企画部次長が、少なくとも現時点では、原告側に立って自分の名前で証言することに応じなかったものと考えられます。
これは、単なる事務的な問題として片づけるには、かなり重い事実です。
なぜなら、元企画部次長は、原告が主張してきた「申告強要」なる構図において、極めて重要な位置にいると考えられるからです。
仮に、テレビ朝日報道で声を変えて証言していた人物が元企画部次長であり、その元企画部次長が、原告から陳述書の提出を依頼されながら、裁判所に対しては自分の名前で同じことを述べていないのだとすれば、その意味は小さくありません。
テレビ報道では、顔を出さず、声を変え、匿名で語ることができます。しかし、陳述書は違います。
陳述書は、誰が、何を、どの範囲で、自分の責任において述べるのかを明らかにするものです。その内容は証拠として扱われ、必要があれば信用性の検討や反対尋問の対象にもなります(もし、元企画部次長が出廷するのであれば聞いてみたいことが沢山あります)。
匿名報道では語ることはあっても、裁判所では、黙して語らない。
ここにこそ、パワハラ問題の本質が表れているように思います。
