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第3回 なぜ私は本人訴訟を選んだのか──弁護士に頼らず自分で法廷に立つ理由




当初は弁護士に依頼するつもりだった

2024年9月6日に訴状を受け取った際は、弁護士に対応を依頼するつもりでいました。市長在任中には、市として訴訟を起こすことも、逆に訴えられることもあり、さまざまな判断を行った経験はありますが、私自身が法律の実務家ではありませんし、個人として訴訟にかかわるのは初めての経験だったからです。

「SLAPP訴訟」を確信した瞬間

重要な問題について、折に触れて相談に乗っていただいてきた方を通じて、実績のある弁護士を紹介していただきました。訴状を事前にお送りしたうえで、他の被告2名とともに法律事務所を訪ねたところ、400万円の着手金が必要との説明を受けました。それに加えて、勝訴した場合にも成功報酬の支払いが必要とのことでした。

そのとき、私は気づきました。──原告の目的は、私たちに精神的・経済的負担を与えることにあるのではないか。これは、典型的なSLAPP訴訟(Strategic Lawsuit Against Public Participation)で、言論を封じ、嫌がらせを目的とした裁判だ──と確信したのです。

裁判に負けることはないとしても、勝ったところで経済的な利益が得られるわけではありません。しかし、「捏造した」「でっちあげた」といった汚名を着せられている以上、それを晴らす必要があります。

原告である市議会議員が、自身のパワハラ行為について「まったく身に覚えがない」などということはあり得ません。訴訟を起こせば、被告側は有効な証拠を持っていないから十分な反論ができないだろう。さらに、市川市は一度謝罪しているから、裁判でも「パワハラは捏造だった」と言わざるをえない、よって賠償金を払わせることができる──原告とその代理人弁護士は、そう計算したのでしょう。

いずれにせよ、ここで弁護士に依頼してしまえば、原告の思惑どおりになる。そう感じた私は、この裁判には他人に頼らず自分自身で向き合うべきだと考えるようになりました。

証拠をめぐる葛藤

本人訴訟を決断するにあたっては、証拠の取り扱いに関する現実的な問題がありました。

本件パワハラに関する記録(公文書)は、その後誰かが廃棄していなければ、市川市が保管しているはずです。しかし、市が原告である市議会議員におもねって、証拠を提出しない可能性を危惧していました。実際に、その心配は後に現実のものとなります。

民事訴訟では、裁判所自らが真実を探究してくれるわけではなく、被告が有効な証拠を添えて反論しなければ、原告の主張がそのまま認定されてしまいます。したがって、パワハラが実際に行われていたことを立証するには、市川市が保管している公文書の写しを証拠として提出する必要があるのです。

私の手元には資料が残っていましたが、それらを証拠として裁判所に提出することには躊躇がありました。前市長という立場上、過去の書類を持ち出すことに倫理的な問題を感じていましたし、秘密保持義務の観点から法的な問題が生じるのではないかという懸念もありました。また私は、過去には関心が向かない性格であり、「済んだ話」を蒸し返すことへの抵抗感もありました。それでも、原告によるパワハラ行為を証明するためにはそれらを証拠提出せざるをえません。でないと、裁判に負けてしまいます。

弁護士は常に答えを持っているわけではない

ご相談に伺った弁護士に、秘密保持義務に関する懸念を伝えると、「証拠の出し方は慎重にならざるを得ない」との返答がありました。しかし、その場で具体的な解決策は提示されず、裁判に臨むうえでの全体戦略を明確に描くことができませんでした。

しかし、後日、図書館に出向いて調べたところ、市長には「地方公務員法の一般職を対象とした秘密保持義務規定も、その違反に対する罰則規定も適用されな」い(宇賀克也『行政法概説III』558頁[有斐閣,2004])ことを知りました。つまり、証拠提出そのものに法的リスクはなく杞憂だったのです。

当初、こうした助言をすぐにでも得たいと考えて弁護士に相談したのですが、答えが得られなかったため、自分で答えを見つけるしかないという結論に至りました。

学生時代のささやかな記憶

本人訴訟を後押ししたもう一つの理由は、学生時代に得た知識がかすかに残っていたことです。

大学院生だった当時、表現の自由の研究で有名な奥平康弘先生の自主ゼミに何度か参加したことがあります。原書を順番に翻訳してきて、その報告内容を検討するというものでしたが、毎回、赤いコーラの缶を片手に教室に現れる奥平先生の姿が今も印象に残っています。

表現の自由をめぐる基本的な考え方や裁判例──「現実の悪意」(公人への言論は、よほど悪質でない限り違法とされるべきではない)や、「危険の引き受け」(政治家は職業上、ある程度の批判や誹謗を甘受すべきである)──が頭をかすめました。

こうした知識が、訴訟実務に直ちに役立つものではないことは理解していましたが、それらを下敷きに、自分の手で調べ、主張を構成していくことで、きちんとした反論を行い、パワハラ行為の真実性や真実相当性を証明することができるのではないか、と思ったのです。

政治家が安易に裁判所に駆け込むことへの違和感

そもそも、政治家が名誉毀損をめぐって安易に訴訟を起こすことには、強い違和感をもっていました。テレビ朝日や日本テレビなど、私に対する名誉毀損が成立しうる報道が多々ありましたが、裁判を起こそうと考えたことは一度もありません。

奥平先生の本に出てくる「危険の引き受け」という考え方は、まさしく政治家の職責に通ずるものだと思います。政治家は、公人として、ある程度の誹謗中傷にさらされることを受け入れる覚悟が必要です。そして、名誉を守るためには裁判ではなく、あくまで言論で応じるべきだと、私は考えています。私の場合は、第1回の投稿で触れた通り、あえて自ら反論しなかっただけのことです。

ですから、この裁判を通じて、政治家が安易に裁判所に駆け込み、訴訟合戦を行う風潮に対して、静かな疑問を投げかけることができれば、とも思っています。

この記録が、本人訴訟を検討している方や、法律を勉強している学生にとって、少しでも参考になれば幸いです。

次回予告

なお、次回は、この裁判における「誇張」という論点──すなわち、原告によるパワハラによって退職した職員や薬を服用するに至った職員は実際にはいなかった、という主張──に焦点を当て、事実関係を整理しようと思います。

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