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スランプは、あたらしい道のはじまり

スランプ〔slump〕
一時的に調子がくずれ、いつもの時の技能(能力)が発揮できない状態。

新明解国語辞典【第八版】

一時的に調子が崩れるなんて、よくあることだ。仕事でミスを連発するときとか、なにを作っても美味しく作れないときとか。だけどそれを『スランプ』とは思わない。ただ、調子わるいなぁ、とぼんやり頭をよぎるだけ。

では、なにが『スランプ』なんだろう?

わたしはかつて、小説家を目指していた。朝食を食べながら登場人物を想い、洗濯を干しながらプロットを練り、仕事の合間に昨日書いたシーンを読み返し、お風呂でぼんやりエンディングを思い描いていた。朝も夜も休みもなく、ただひたすらに物語と向かい続けていた。そんな日が、何年も続いた。そしてついに、賞をもらった。大賞ではなかったけれど、やっと一歩進んだと思った。でも、違った。

受賞後の3年間で、どのくらいの本を読み学び、書いて書いて、書いては捨てたかわからない。「わからない」と気づいた瞬間、物語を創るおもしろさもわからなくなっていることに気づいた。結局わたしは、一冊も出版することなく、小説が書けなくなった。『スランプ』だと思った。

仕事のミスも家事のつまずきも、わたしにとっては『スランプ』じゃない。でも、小説が書けない現実は、完全に『スランプ』だった。小説を書けないわたしに、生きる意味なんてないと信じていたから。

わたしは『スランプ』の正体を、スランプになって初めて知った。『スランプ』とは、人生を支える柱が折れる現象だったのだ。だから必ず、乗り越えなければならない。柱を失ったままでは、人生は立ち行かないからだ。スランプの正体がわかって初めて寒気がした。こんな人生ではダメだ。

わたしはわたしを取り戻すために、がんばって頑張って、がんばり続けた。読書量を増やして、セミナーにも参加して、写本をして、いつもは手にしない本もたくさん読んだ。新しい物語を考えて考えて考えて、書いて書いて書きまくった。……その結果、もっとひどい現実が待っていた。わたしはスランプを乗り越えるどころか、小説を読むことすらできなくなってしまった。ページをめくるわずかな力すら失ったのだ。

「ああ、もうダメだ」

腹の底から実感した。わたしはもう、終わったのだと。だから、すべてを手放した。物語を考えること、小説を書くこと、本を読むこと、学ぶこと。何もかもやめた。そのせいで、わたしは今も『スランプ』の真っ只中にいる。乗り越えられなかったのだから当然だ。でも、ふしぎと悪くない。むしろ今は、体も心も軽いとまで感じる。

「もうダメだ」で終わったスランプとの戦いは、完全敗北だった。でも、敗走するわたしは、意外と奈落へは落ちず、新しい道を見つけた。日本語の小説が読めないならばと、英語の本を読むようになったのだ。わたしの英語力なんて中学生以下だけど、それでもなんとか読めている。辞書を引かなければわからない言葉ばかりで、スラスラ読めないにも関わらず、なんだかとてもたのしい。英語の本を読んだところで、現状が変わるわけではないけれど、少なくとも「もうダメだ」とは思わなくなった。小説が書けなくても、新しい物語を読めなくても「わたしはまだ終わりじゃない」。敗走中の今、ただの強がりだとしても、胸を張ってそう言える。

なぜ「終わりじゃない」と思えるようになったんだろう?人生の大黒柱を失った完全なる負け犬なのに。

たぶん、わたしを支える柱が一本じゃないと気づけたからだ。「小説を書く」という、何よりも太く強く中心だと思っていた柱が折れても、わたしが長らく生きた時間の分だけ、わたしを支える柱が増えていた。たとえば、多言語をたのしむ柱、異文化を味わう柱、コツコツ調べ物ができる柱とか。わたしの人生は案外豊かで、思いの外、耐久性の高い構造になっていたようだ。きっとだれもが、たくさんの柱に支えられて今日を生きている。

とはいえ、敗走中の負け犬であることに変わりはない。小説を書けなくなった人生は悔しいし、叶わなかった夢はいつまでも胸に重い。でも、スランプのまったくない人生よりは、よっぽどおもしろい。人生の大黒柱に気づくことなく生きるより、柱を折ってまで挑んだ時間を生き抜いた方が鮮烈で沁みる。

わたしはスランプに負けた。でも、いつかまた挑む日は来る。だからその日まで、力づくでは乗り越えない。ジタバタぜずに受け入れる。スランプを否定も肯定もしない。ただ「書けない」という事実だけを抱えて今日を生きる。そして、今日できることだけをする。そんな毎日を、飽きず焦らず進んでいこうと思う。


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