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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第四章~ (6)

(6)


 今日は雨が降っているせいか、目が覚めたときから頭痛がひどかった。
天気の悪い日は体調がすぐれないことが多い。昨晩は早く床についたが、眠りにつくことができず、何度も寝返りをうっては身体を起こしてデジタル時計を見た。ようやく眠ったのは、朝の6時ごろだった。
 寝不足は美容の敵とはよく言ったもので、肌荒れや化粧のノリが悪い日が続いていた。とてもではないが、会社で社員に見せられるような顔ではなかった。
 ベッドから降りて、ガウンを羽織った。
 眉間に力を込め、こめかみを押さえながら自室を出る瞬間に、姿見が視界の隅に映った。
 部屋を出ようとする足を止めて、鏡に顔を近づけた。鏡に映る自分の顔を震える指でなぞる。艶のなくなった髪。深く刻まれたほうれい線。そして、パンダのような隈。これはいったい、誰なのだろうか。


 レディースファッションブランド「ラ・リベルテ」の女社長で、毎日が活力にみなぎっていた日々は、遥か遠い昔のようだった。理想の自分をつねに追い求め、苦労を積み重ねて、長い期間を経てようやく3号店を出店したばかりだった。軌道に乗って、やっとこれからという時だった。3号店の出店準備を終えて、オープン前のささやかなパーティをスタッフと事務所で開いていたときのことだった。
 デスクに置いたままにしていたスマートフォンが、着信を知らせていることをスタッフが教えてくれた。ディスプレイを確認すると、見たことがない番号に首を傾げながらも通話ボタンをタップした。


 ――こちら、阿久津華永さんの携帯電話でよろしかったでしょうか。


 ――はい、そうですが。あの、どちら様でしょうか。


 ――突然のお電話申し訳ございません。わたくし、Y警察署捜査第一課の木島祐一と申します。


 警察? しかも捜査一課? なぜ、刑事が私に電話を……。
 まったく身に覚えがなかった。スマホを握ったまま、会話に華を咲かせるフタッフを見まわした。まさか、スタッフの誰かが事件を起こしたのではと不安に思った。それとも娘が何かトラブルに巻き込まれたのだろうか。娘の初華が何か事件を起こしたとは考えにくい。あと考えられるのは、現夫だった。まさか、夫が何か事件を……?


 ――もしもし?


 わずかに耳を離していたスマホから漏れ聞こえる刑事の声で我に返った。


 ――あ、はい。すみません。それで、警察の方が私にどのような御用でしょうか。


 警察からの電話に内心動揺しながらも、つとめて冷静な声で返した。


 ――本日、娘の阿久津初華さんを現住建造物等放火罪の容疑で逮捕しました。ですので、現在、彼女の身柄をY警察署で預からせていただいております。


 ――は?


 何を言っているのかわからなかった。
 娘の初華が放火で逮捕? 娘が人の家に火をつけるなどと、そんなことがあり得るはずがない。なにかの間違いではないのか?
 幼いころから厳しく教育し、育ててきた。つねに努力をして上を目指すように、そして、困っている人を助け、絶対に他人に迷惑をかけないようにとも。その言い付けを守ってきた初華が、人様の家を放火? 馬鹿馬鹿しい。悪い冗談にもほどがある。この電話は詐欺だとすぐにわかった。こんなくだらない電話に付き合っている暇はない。


 ――すみません、詐欺なら警察に通報しますよ?


 ――いえいえ! 詐欺ではないです。ですが、突然の電話で疑わしいとお思いになられるのも、無理はありません。ですので、本日ご都合が宜しければY警察署までお越しいただくことは、できますでしょうか?


 ――今は仕事がありますので、いつ頃になるかわかりませんけど。
 ――いえいえ、何時でも結構です。お越しいただきましたら、窓口で捜査一課の木島に会いにきたとお伝えください。すぐにお伺いしますので。


 そして、通話を切った。当然だが、信じることはできなかった。詐欺でないのなら、警察が勘違いをしているのだろう。誤認逮捕というやつだ。
 ともかく、警察に行けばはっきりとわかることだった。もし間違いだったら木島とかいう刑事を訴えてやろうと考えていた。しかし、刑事が話していたことは、紛れもない事実だった。そして、初華の犯した罪はそれだけではなかった。まさか、私の娘が人を5人も殺害したなんて、信じられなかった。質の悪い夢だと思いたかった。

 一階のリビングからテレビの音が聞こえてくる。起きたときに時間を確認していなかったが、テレビのワイドショーの音で、昼近くだということがわかった。
 階段を一歩ずつゆっくり降りると、わずかな振動も痛みとなってこめかみに伝わった。
 リビングで夫の孝彦がワイドショーを見ていた。幸い、娘の初華の話題ではなく、イケメン俳優が17歳の女子高生と肉体関係をもったという話題で盛り上がっているようだった。いま人気の俳優だ。確か、塩崎優輝という名前の。
 階段をおりてリビングに入ろうとした瞬間、わずかな段差に躓いてフローリングに手をついた。その音に孝彦が振り返ると、テレビを消して慌てて駆け寄ってきた。


「大丈夫か? 華永。いたのなら声をかけてくれればよかったのに」


「ごめんなさい、大丈夫よ」


 差し伸べられた手をそっと押し返して、キッチンの椅子に手をかけて立ち上がった。またもこめかみに鋭い痛みが走った。


「頭が痛いのか。ちょっと待ってろ」


 孝彦はキッチンボードの抽斗の中にある頭痛薬をコップに注いだ水と一緒に渡してくれた。


「ありがとう」


 錠剤を口に含み、コップを傾けて水を飲み干した。


「ほら」


 差し出された夫の手にコップを渡すと、椅子に腰を下ろした。痛みが引くまでに少し時間がかかる。


「今日は、仕事は大丈夫なのか」


 隣に腰かけた夫に、薄い笑顔をにじませながらうなずいた。


「別の子に任せてあるから。社長、顔色悪すぎるから休んでくださいって。スタッフの子全員に言われちゃってね。今日はお休み」


「そうか」とだけ言って、孝彦は視線をテーブルに落とした。


「あなたこそ、今日、仕事は? 夜勤?」


 そう尋ねると、孝彦は仕事を「辞めた」と言った。


「あんな事件があって初華が逮捕されて、それなのにこれまで俺を雇ってくれた会社に感謝してる。感謝してるから、もうこれ以上あそこで働けないと思った。同情してくれた人もいたけど、それに甘え続けるのもな」


 夫が言っていることは、半分本当で半分嘘だと思った。
 初華があんなことになってから一年半近く雇ってくれたのは確かだけれど、周りからどんな扱いや、どんな目を向けられていたのか想像に難くなかった。
 娘が殺人事件をおこしたのに、よくも平然と働けるものだと陰口を言われていたのではないだろうか。もしかしたら、実際に言われていたのかもしれない。会社はいまごろ、孝彦がいなくなって胸を撫で下ろしているに違いないと思った。


「きみは、どうするんだ」


 私も、もう駄目だろう。娘の一件でブランドが汚れてしまい、一気に売り上げが落ち込んだ。数々の誹謗中傷も被った。店に花火を投げ込まれ、警察沙汰になることもあった。マスコミまでが店に押しかける始末で、スタッフにまで娘の起こした事件について取材をしようとしていた。スタッフのみんなには、本当に申し訳ないことをしたと思っている。
 残ってくれるスタッフのために何とか資金繰りをして「ラ・リベルテ」を存続させようとしたが、連続殺人犯の母親が作ったブランドなどに資金提供をしてくれる物好きはどこにもいなかった。孝彦のことを考えたら、私の方こそよくここまで持ったと思う。


「もう、会社を畳むしかないわね。これ以上続けても負担が増えるだけだし、それにスタッフの子たちの時間を無駄にすることはできないから」


「そうか。そうだよな……」


「あなたには感謝してるのよ? 経営のノウハウやマーケティングについて色々教えてくれたから」


 夫に礼を述べると、彼は苦笑いをした。それもそうだろう。私が夫にちゃんと礼を言うようになったのは、つい最近のことだ。


「人に偉そうに講釈しておきながら、自分の事業に失敗してるんだから世話ないよな。調子に乗りすぎだったんだよ。俺は」


 むしろ、調子に乗っていたのは私のほうだった。
 夫の孝彦は私に新しい世界をみせてくれた。会社という「内」の枠組みでしか物事を考えることしかできなかった私の手を引いて「外」の世界へと連れていってくれた。それなのに、ビジネスの才能があると勘違いをした私は、事業に失敗した孝彦を情けない夫と見下していた。彼よりも私の方が「上だ」と思い込んでいた。あの頃を振り返ると自分自身が本当に恥ずかしい。
 それに、孝彦は血の繋がっていない初華の面倒もよく見てくれていた。私以上に、本当の意味での「親」であったと感謝の言葉しかない。


 どうしてこうなってしまったのだろうか。
 時間が経つにつれ、答えが見つからない自問自答を繰り返すようになった。
 いや、答えはすでに見つかっていた。見つかっていたにもかかわらず、現実に目を背けた私は同じあやまちを繰り返した。頭の片隅で「時間が巻き戻ってくれたら」などと、意味もないことを真剣に願っている自分がいた。


 娘の起こした事件が事実だと知って、まず娘に対して「怒り」が湧いた。
あれほど人に迷惑をかけるなと、厳しく言いつけてきたのに裏切られた気持ちで一杯だった。警察署にいって、すぐに娘に会うことができないとわかり、さらには木島とかいう刑事の飄々とした態度が火に油を注いだ。今すぐ娘に会って、何故こんな馬鹿な真似をしたのかと怒鳴りつけてやりたかった。いったん激しく燃え上がった怒りの火はなかなか収まらず、その場は収まっても心の中ではつねに火種が燻っていた。
 取り調べでは、娘の教育に何も問題はなかったと話した。事実として、初華は誰よりも勉強ができた。誰よりもスポーツができた。私の勧めで始めた新体操では、中学生の大会で総合一位にもなった。容姿端麗、品行方正、どこに出しても恥ずかしくない、私の自慢の娘だった。
「もしかして、その教育方針が問題なのかも」と、木島が言ったときには、烈火の如く怒り狂った。結婚もしていない青二才に何がわかるものかと罵った。
 取り調べで娘が放火をした以外にどのような事件を起こしたのか詳細を知らされることはなかった。初華が普段どんな生活をしていたのか、どのような親子関係だったなのかと訊かれるだけで、事件についてはニュースで知ることが多かった。初華が人を殺したことを知ったのも、テレビのニュースだった。
 仕事のこともあって、夫の孝彦に取り調べを任せることが多かったが、私も何度か取り調べに応じた。相変わらず腹に火種を抱えたままだったが、その火種も時間が経つにつれ少しづつ小さくなっていった。
 ある日の取り調べで木島が言った言葉が今でも忘れられなかった。その時の私は、親になったこともない男の取るに足らない言葉だと嘲笑った。
 私の娘は強い子だ。私と同じように。だから将来は成功する子だ。私は小さな成功だったけど、あの子はきっと大成する。そう思っていた。そう願っていたつもりだった。

 その日の取り調べが終わって、帰宅したのは午後十時過ぎだった。
 シャワーを浴びて自室に戻ると、姿見に映った自分の姿を横目で見てなんとなしに足を止めた。部屋を入ってすぐ横の壁に姿見を立てかけてあるから、嫌でも自分の姿が目に映る。つねに身だしなみをチェックするためにあえてそうしていた。


 私は鏡に近づいて自分の顔をじっと見つめた。
 取り調べで木島が話した言葉を思い出していた。


『初華さんをかなり厳しく教育されていたようですね。いえ、それが悪いとは申しません。ただ、娘の初華さんはお母様の期待に応えるために頑張っていらっしゃったようですし、お母様に認めて欲しかったのではないでしょうか。もしかすると、もっとお母様に甘えたかったのかも知れません』


 娘の初華が私に甘える?
 果たしてあの子がそんな事を本当に考えていたのだろうか。
 褒めて欲しかった? 褒める必要などない。
 そんなことをしなくとも私はあの子を信用していたし、認めてもいた。よくやったわね、エライわね、そんなことを言って何になるというのか。つけ上がるだけではないのか。そして、慢心し、いずれは堕落する。私の母がそうだったように。
 母は私に厳しくするだけで自分にはだらしのない、口先だけの人だった。出来の良い娘に嫉妬ばかりしていた。なんでもソツなくこなす娘を見て、母はいつもつまらなそうな顔をしていた。私を褒めるということは絶対にしなかった。
 そんな母を見て、私は「くだらない」と思った。自分より出来の良く、美しい娘に嫉妬する母親を心底「くだらない」と思った。こんな母親のようにはなるまいと、私は幼い自分に言い聞かせた。絶対に、こうはなるまいと。心に誓いを立てた。


「こんな、母親のようには……」


 鏡に映る自分にそうつぶやくと、心の中で何かが音を立てたような気がした。ふと、鏡に額がつきそうなくらいに近づいていたことに気がついた私は、弾かれるように鏡から離れた。
 そして次の瞬間にはノートパソコンを開いていた。
 今、私は何をしようとしていた? 
 そうだ。私は調べようとしていたのだった。
 何を? 自分自身がどういう人間なのかを。
 そんなことをしてなんの意味があるのか? わからない。わからないが、そうしなくてはならない気がした。
 誰のため? 自分のため? それとも、娘の初華のため?
 私のことは私自身が一番よくわかっていたはずだ。そのはずなのに、今は「人から見た私はどういう人間なのか」が気になって仕方がなかった。
「人」から見た私はどうなのだろうか? 他人の眼を借りることはできないから、「人」が私をどう見ているのかわからない。誰かに私のことをどう思う? と尋ねたこともない。スタッフの眼に、私はどう映っていたのだろうか。
 違う、そうじゃない。他人が私のことをどう思っているかなど、大した問題ではない。
 あの子は、初華の目に私は、どう映っていたのだろうか。娘は私のことをどう思っていたのだろうか。私は娘のことをどう思っていたのだろうか。最後にまともに会話をしたのは、いつだった?


 もともと自分がどういう人間なのかすでにわかっていたはずだった。それなのにわからないフリをしていた。わからないフリというより、認めたくなかった。
 まるでいまからエゴサーチをする気分だった。自分のことを調べて、もし、理想としていた自分ではなかったと知ったとき、私がもっとも嫌悪し、絶対にこうはなるまいと誓いを立てた母親と「同じ母親」だと知ったとき、どうなってしまうのか、それが怖かった。「答え合わせ」をして、それが正解だと思いたくなかった。
 私は自分について考えてみた。私がいつも考えていることはなんだった? 
 完璧。そう、完璧だ。
 私はいわゆる完璧主義者だった。
 母を反面教師にしてなんでもソツなく、完璧にこなすように心がけた。そして何事にも妥協は許せなかった。失敗するのは以てのほかだった。失敗すると母が「見下す」からだ。それみたことか、調子に乗るからだと。だから、結婚に失敗したときは自分が心底許せなかった。しかし、結婚をしなければ初華が生まれることはなかった。
 離婚は、私の人生で初めての大きな「失敗」と「妥協」だった。


初華 死刑を求刑された少女 ~第四章~ (7)に続く


~第四章~ (6)の登場人物


阿久津華永(あくつはなえ)
初華の実母。プライドが高く、自信家。自分にも、他人にも厳しい。

阿久津孝彦(あくつたかひこ)
初華の義理の父親。華永の再婚相手。元はと言えば自分のせいで初華が殺人を犯してしまったのではないかと苦悩している。


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