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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第三章~ (3)


(3)

 今朝は冷え込みが厳しかったが、空はすっきりと晴れ渡っていた。その寒さも昼頃になると幾分か和らぎ、日の当たる縁側はこのまま眠ってしまいたくなるほど心地良かった。もし猫だったら、この縁側で丸くなっていたに違いない。
 仕事の都合でこの街に引っ越してきたが、元々それほどの貯えもなく、家族を伴って住めそうな住居は、市営の古い平屋しかなかった。だが、不便はなかった。近くにスーパーもコンビニもあったし、娘が通っていた聖フィリア女学院からもさほど遠くはなかった。それでも自転車で通わなくてはいけない距離ではあったのだが。


 娘の一桜が名門校と呼ばれる聖フィリア女学院に受験すると食事中に聞いた時にはさすがに驚いた。他県に住んでいる時から聖フィリア女学院が有名な学校であることは知っていたが、まさか娘が受験したいと言うとは思わなかったからだ。驚いた妻の春子も目を丸くしていた。
 一桜の成績は悪いというほどではないが、かといって良くもない。少なくとも、今のままでは聖フィリア女学院を受けるのは無謀とも思えた。親としては身分相応の高校へ進学してもらえれば十分だったのだが、初華ちゃん立っての願いもあって、聖フィリア女学院を受験することを決意したようだった。
 正直、なにも友達のためにそこまでせずともと思ったが、せっかく娘がやる気になっているのに親があれこれと口出しをするのも気が引けた。やるからには合格を目指して頑張れと応援した。
 一桜は初華ちゃんの自宅で勉強をしていることが多く、彼女が娘の勉強をみてくれているようだった。同級生が同級生の勉強をみるというのも変わった関係だなと思ったが、初華ちゃんは頭がよく勉強ができた子だ。一桜と随分仲良くしてくれているようだったし、一桜の良き家庭教師にもなってくれているようだった。


 ある日、聖フィリア女学院の学費について調べてみたら目玉が飛び出そうになった。とてもじゃないが、今の稼ぎでは支払っていくのは到底無理だった。しかし、必死に勉強をしている娘を目の当たりにしながら、金がないから受験は諦めてくれと頭を下げるのは親として格好がつかないと思った。娘が必死に頑張っているのだから、その娘を支えるのは親として当然の務めだと思っていた。それに妻の春子もパートで働くと言ってくれた。


『どうせ家にいても暇なだけだし、いろんな経験をしてみたいしね』


 妻の笑顔に感謝しかなかった。なるべく妻の春子には苦労をかけたくはなかったが、稼ぐのは男の仕事だとちっぽけなプライドを掲げたところで、俺はしがないただの派遣労働者だ。家族は大黒柱である俺が守ると格好をつけていただけだった。いつかは売れる作家になってみせると誓った決意は現実を前にあっさりと打ち砕かれ、学も技術もない男がすぐに働ける場所は、派遣労働かアルバイトしかなかった。このときばかりは、春子の言葉に救われた思いだった。
 そして、一桜は見事に合格した。あの一桜が自分の力で初めて大きな成功を収めたと知ったときは、俺も春子も喜びに沸いて初華ちゃんに感謝の気持ちしかなかった。合格発表の日は家族でお祭り騒ぎだった。学費のことを考えると気が重くなったが、そのときだけはそんな不安は消し飛んだ。
 娘が頑張ったのだから、今度は親が必死に働く番だと腹を決めた。これからは、もう晩酌できないなと春子に話すと、春子は苦笑いを返した。


「今日は天気が良くて気持ちがいいわね」


 春子の声がして顔を上げると、コーヒーの芳醇な香りが漂ってきた。


「緑茶じゃないのか。和風の縁側なのに」


「あなた、コーヒーの方がお好きでしょう?」


 くすくすと笑う春子に俺もつられて笑顔を返した。


「静かだな……」


 娘の一桜もよくこうして縁側に座って絵を描いていた。俺が縁側に座ることができるようになったのもつい最近のことだった。この縁側が一桜の居場所のような気がして、見ることさえ辛くて、以前は雨戸を開けることさえできなかった。


「あの子もよくこうして天気のいい日は絵を描いていたわね」


 娘の一桜は昔から絵を描くのが好きで、よく動物の絵を描いていた。しかも描いている道具は青のボールペンだった。どういう意図で青色のボールペンを使って絵を描いていたのかはわからないが、青色が好きだと娘は話していた。
 スケッチブックを見せてもらったが、描かれている絵は、どれもとても上手だった。モデルを見ながら描くスケッチではなく、頭に浮かんだイメージだけでここまでリアルに再現できるとは大したものだし、将来はそういう道に進むのも悪くないのではないかとも思った。一桜自身は、どう考えていたのかわからないが。
 ひんやりとした風に乗って線香の香りがした。仏壇に目を向けると、線香が細い煙をくゆらせていた。春子が供えたのだろう。その春子は俺の隣に座って澄んだ空を見上げていた。


 娘の一桜が亡くなってから一年半になる。一桜が生きていたことがまるで昨日のことのように記憶が鮮明に蘇った。一桜は朝が苦手で、起きてもまだ夢の中にいるようなぼーっとした顔でトーストをかじっていた。どこか少し抜けているというか、おっちょこちょいなところもあったが、それも娘の魅力だった。伸ばし続けていた黒い黒髪も、あの子の自慢のひとつだった。
 隣で微かに鼻を啜る音がした。春子も、一桜のことを思い出していたのだろうか。今にも寝ぼけ眼をこすりながら、襖を開けて娘が起きてくるような気がした。


 ――おはよう。随分お寝坊さんだな。もう昼も近いぞ?


 ――うん、ごめんね。昨日も夜更かしして勉強しちゃった。


 ――そんなに学校の授業は大変なのか。


 ――うん。ちょっと。


 合格当初は喜びに沸いていたが、すぐに現実の壁にぶち当たった。娘は学校の授業についていけなくなっていた。よくよく考えれば、偏差値の高い学校にギリギリの成績で合格したのだ。地頭が良いわけでもない一桜が授業に遅れをとるのは当然のことだった。やはり、自分のレベルにあった高校に行くべきだったのではないだろうか。学年での一桜の成績は、後ろから数えてすぐだった。


 ある日、一桜が友達を家に連れてきた。てっきり初華ちゃんかと思っていたのだが、曇りガラスの引き戸から姿を現したのは初めて見る女の子だった。


 ――はじめまして、櫻木さんのクラスメイトの楠田心尊といいます。


 娘が連れてきたのは楠田心尊というクラスメイトだった。吊り上がり気味の目は細く、一見きつそうな印象を受けたが、年相応の可愛らしい女の子だった。肩にかかりそうなくらいのミディアムショートで、頭の左右には長いツインテールという変わった髪型をしていた。エクステかと思ったのだが、地毛だという。聖フィリア女学院は髪型に関して厳しい規則はないようだった。


 ――へぇ、ここが一桜のおうちなんだね。


 ――がっかりしたでしょ。みっちゃんみたいに綺麗なおうちじゃないから。


 ――え? いやいや! 全然!


 慌てて両手をぶんぶん振る心尊ちゃんに俺は笑った。


 ――実際、この家はオンボロだしなぁ。この間もキッチンの天井から雨もれしてたし。心尊ちゃんの家は、やっぱり平屋じゃなくて二階建てなのかい?


 ――ちょっとやめてよ、お父さん。そんなこと聞いたら、まるでうちが貧乏みたいじゃない。


 ――うちが貧乏なのは本当のことだからなあ。


 ――ごめんなさいね、心尊さん。主人のくだらないジョークだから気にしないでね。


 春子は紅茶とクッキーをテーブルに置いて腰を下ろした。小さなちゃぶ台を4人で囲んでいると、娘がもうひとり増えたような気分だった。そのくらい、一桜は心尊ちゃんと仲が良さそうに見えた。


 ――なんか、いいですね。こういうのって。家族だんらんって感じがして。


 そう言った心尊ちゃんは、照れくさそうに頬を染めた。


 ――あら、心尊さんのご両親はお忙しいの?


 ――みっちゃんのお父さんとお母さんは、お弁当屋さんをやってるんだって。しかもすごく美味しくて大人気なんだよ。このあいだ遊びにいったときにご馳走になっちゃった。


 ――へえ、お弁当屋さん。それはぜひ今度買って食べてみたいな。


 ――いえ、そんな大したモンじゃないですよ。それに両親は忙しくてなかなか全員が揃うことがないだけで仲が悪いということもありませんし。だから、ちょっと懐かしい感じがしたというか。


 それぞれの家庭には、それぞれの事情があるのだなと思った。そういえば、最近は初華ちゃんを見ていないのを思い出して一桜に尋ねてみた。


 ――最近は初華ちゃんを見ないけど、仲良くやってるのか。一桜。


 紅茶に手を伸ばそうとした一桜の手が止まった。


 ――うん、仲良くしてるよ。だから心配しないで。


 一瞬の間を置いてから瞬きをすると、カップをとってひとくち飲んだ。一桜のぎこちない反応が少し気になった。


 ――別に心配をしているわけじゃないが、どうした? 初華ちゃんと何かあったのか?


 一桜は紅茶に映る自分の顔を見つめながら逡巡している様子だったが、やがてしどろもどろに口を開いた。


 ――その、いっちゃんはみっちゃんとライバル同士でその、あんまり仲が良くないというか。だから、なんというか……。
そこまで言うと一桜は暗い顔で俯いた。歯切が悪く、どうにも要領を得ない。


 ――おじさん、おばさん、ごめんなさい。一桜もごめん、気を使わせちゃって。


 唐突に心尊ちゃんが謝ったことに驚いた俺は、細かく瞬きをした。


 ――初華とは中学校から新体操のライバルだったんです。それでまあ、ライバル同士って、結構バチバチしちゃうというか、犬猿の仲というか、そんなだから、一桜にも気をつかわせちゃって。


 なるほどな、そういうことか。しかしまあ、ライバルってのは本当に漫画みたいな関係なんだな。それなら一桜が気まずい気持ちになるのも、無理はないのかもしれない。しかしなぁ。


 ――でも、ライバルって切磋琢磨してお互いを高めあうものだろう? そりゃあ、優劣を競うわけだから相手に対して妬みのような感情は抱くのかもしれないけど、何も険悪な仲であり続ける必要はないんじゃないのかい? しかも、同じ学校、同じ部活仲間で。


 ――あなた、よしなさいよ。人には人の事情があるんだから。無関係の大人がとやかく言うもんじゃありませんよ。


 それはまあ、確かに春子のいうとおりだ。


 新体操のことなんて俺は詳しく知らないし、本人たちの関係にあれこれ口出しするものではなかった。反省した俺は心尊ちゃんに謝ろうとしたが、彼女は手を振って「大丈夫です」と笑顔で返してから、事情を話してくれた。


 ――わたし、彼女に憧れていたんです。その、初華に。それで中学校の大会でわたしが演技しているところを彼女がじっとこっちを見ていて。見られてると思って必死に演技をしたんです。すごく緊張したんですけど、わたしの中では一番の演技ができたと自信を持っていたんです。結果は、18位でしたけど……。


 萎んで消えてしまいそうな声で「18位」と彼女は言った。18位がどれほどのものなかわからないが、仮に100人の参加者がいて、その中での18位は素晴らしいことなんじゃないだろうか。82人の「上」をいったということなのだから。50人だとしても、32人の上だ。胸を張ってもいい成績だと思うのだが。
 心尊ちゃんは会場の廊下で初華ちゃんとすれ違いざまにこう言われたのだという。


 ――あなた、新体操に向いてないよ。やめた方がいい。時間の無駄だし、新体操が「かわいそう」だから。


 まるでなぜその程度のレベルで新体操をやっているのか心底不思議でしょうがないというふうに彼女は心尊ちゃんにそう告げたのだという。さすがにこれはちょっと酷い気がした。一桜と接している初華ちゃんの姿しか知らないせいもあって、彼女が心尊ちゃんにそんなことを言ったのが信じられなかった。
 そんなことを言われては心尊ちゃんも黙っていられなかったのだろう。憧れだった気持ちは憎しみに変わり、いつか馬鹿にしたことを後悔させてやろうと必死に努力してきたようだった。しかし、初華ちゃんは心尊ちゃんに言い放った内容のことすら忘れてしまっているようで、その事がさらに心尊ちゃんの心に火をつけたようだった。


 ――だからさ、一桜、やめなよ。新体操部に入部するなんて。


 心尊ちゃんの言葉に俺は耳を疑った。会話の内容がいつの間にか「一桜が新体操に入部するかどうか」に変わっていた。一桜が新体操に入部?


初華 死刑を求刑された少女 ~第三章~ (4)に続く

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