Random Access Memories
[町田駅、朝8時、小田原方面へ出発する電車の先頭車両の、先頭からふたつめの扉を入ってください]
それだけ言われて従った。どこに連れて行かれるのか、どんなプランなのかまったく知らされていない。誘ってくれた友達を仮に田中としよう。
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友人知人のなかに、「田中」は少なくないが、そのすべての人をなぜか「田中」で呼んでいる。せいぜい「田中さん」「田中くん」とか、その程度の差しかない。だから、「田中くん」がふたりいたりもする。
言葉でのやりとりの困難な患者をケアする看護師のインタビューを読んだとき、看護師の1人が、
「あだ名というのは自然にやってくる。こちらで名付けたり、決め事をするのでなく、「あ、この人はずーさんだな、この人はナッチだな」と「わかる」タイミングがある。そのタイミングは、その患者さんと仲良くなったな、少なくとも自分の心のなかに、その患者さんと人同士としてむきあう準備がしっかり整ったんだな、というサインなんです」
なんて話をしていた。ぼくはそれを読んでとても驚いた。あだ名って、「あだ名で呼び合う関係性」のなかに入り込むために、最初は意識的に、わざわざ使いはじめるものだと思っていたからだ。小学生の頃、放課後の公園で、尾崎くんをクスノキの陰に呼んで、
「あ、あのさ、あの、ぼくも、ぼくも尾崎くんのこと、オザ、って呼んでいい?」
と許可をとっていた自分にとって、この看護師の発言はたじろがざるを得ない。
唯一例外的な「田中」がいる。
ほとんどすべての「田中」は、出会いのときからいままでずっと「田中」であり、仮にそいつが周囲から別の言葉で呼ばれていようと、なめらかにそちらに移行できず、何年もの関係であれいつまでも「田中」なのだけど、ひとりだけ、当初は「田中くん」だったのが、いつのまにか「田中」と呼び捨てにしている「田中」がいる。なにが変わったのだろう。
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で、そうそう、町田発の電車内での待ち合わせを提案してきたほうの田中の話。
あ、そうそう、そもそも私の住んでいる場所は町田ではない。だからわざわざ、1時間ほどかけて町田にいかなければならない。だからわざわざ、1時間ほどかけて町田に行った。
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昔は町田にそれなりに近いところに住んでいた。もうずっと子供のころ、「町田には、行ってはいけないよ」と、先生や大人の人たちに教わっていた。ひどいひどい、こわいこわいお兄さんお姉さんがいる町だからだ。
何年か経て、こちらは中学生になる。それから高校生になる。
高校のときは、「おこづかい」というものはなくて、かわりといってはなんだけど、1日500円の「昼食代」を貰っていた。ほとんど毎日お昼を抜いて、だから調子がいいと週に3,000円貯まる。月に10,000円くらい。
月に一度、日曜日、父親の定期を拝借して、神保町まで向かった。そこから御茶ノ水駅まで歩く。その道すがら、古本屋とレコード屋に寄る。物色しまくり、手持ちのお金と相談して、買い物プランをたてる。御茶ノ水駅前で整理して、整理したプラン通りのお買い物をしながら神保町駅へと戻る。志賀直哉も泉鏡花も澁澤龍彦も中上健次も、ゴールズワージーも東陽片岡も、マーク・ライデンも戸川純も、エルモア・ジェイムスもゴブリンも、ソルマニアもピーター・アイヴァーズも灰野敬二もピンク・フロイドも、なんもかんも、あのあたりで知った。
お金が貯まってきたにもかかわらず、父親に用があり、定期券を拝借できない不運な日曜日もある。そんなときに町田に行った。しかしこれも楽しいものだ。
町田で寄るのは2ヶ所だけ。ひとつは古レコード屋のディスク・ユニオンで、いまはどうか知らないが、当時の町田のディスクユニオンは、ドゥームやストーナーといったマニアックなジャンルに強かった。そのほか、ハウスミュージックとパンクロック、フォークにも町田で出会った。ダフトパンクにヴィタリック、オウテカもフォー・テットも、ウルリッヒ・シュナウツからMC5、ブルー・チアーにトーキング・ヘッズ、ストレイ・キャッツもディスチャージも。友部正人や森田童子、前野健太も。
そしてなにより、町田といえば高原書店である。これは非常に有名な古本屋だから、知っている人は知っていると思う。おおきなおおきな、まったく窓のない建物に、これでもかと本が敷き詰められ、坂口安吾に種村季弘、開高健や大江健三郎、あるいは廉価画集シリーズ「ファブリ」にグレコやレンブラントを教わり、昔なつかしい「こどものとも」などの月刊誌絵本と再会する。佐々木マキ、片山健、スズキコージ、古川タク。
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そんなたくさんのわくわくを(あるいは孤独な思春期を)閉じ込めた「イケナイ町」町田に(JRから小田急への乗り換えの数分とはいえ)久しぶりに降りて、少しく胸は苦しくなる。ぐっとくる。
ひどいラッシュをかきわけて小田急のホームで電車をまつ。平日朝とはいえ下り列車だからとたかをくくっていたが、電車はなかなか混んでいる。
だから車内に田中の顔は見つけられるが、声をかけられる距離まで近づけない。LINEでやりとりする。
「おい田中、おまえのとなりに座ってる中学生の手首についてる自転車の鍵のキーチェーンに、かなりおっきい、リアルな造形のイカのフィギュアがついてるぞ」
などの情報を伝える。電車は海老名、厚木、伊勢原へ。伊勢原あたりには東海大学がある。おそらくその学生なんだろう。このあたりで乗客はだんだん減りはじめる。一方僕らはどこで降りるんだろう、どこまで連れてかれるんだろう。問いただすのは野暮だし、知らないままでもいたい。
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何度か行った海外ひとり旅のことを書いて残しておきたいと、幾度となく思い、試みて、しかしうまくいかなかった。
「旅行記」を書こうと思うと同時に、半ば自動的に、≪タイムスケジュールどおりに律儀に書き連ねていかねばならない≫と思い込んでしまうらしくて、それでうまくいかなかった。
なぜなら心の動きは、そんなふうにはなっていない。心はいつも、常になにかを連想したり、推察したり、だけじゃなく、目の前でくりひろげられる出来事とは無関係な想像や回想だってしている。思い出としてパッケージされているものについても同様だ。印象の強さ弱さにも波があるし、アレとコレをあとになって結びつけて、セットにして覚えていることもある。だから年月日時刻の進行表にあわせて書こうとしてもうまくいかない。それはあくまで外部のものさしであって、これを使っては、心に即した文章を編めない。
それであらためてスタイルを考えて、ようやく書けそうな気になったんでこのnoteに書きはじめたのがちょうど1年前、それに続く10週間でした。
簡単にいうならば、ぼくは、あるいはぼくらは、いまを生きているように見えて、実際は他の時空間あちこちに立ち寄りまくっている。なんなら多くは過去にいる。特に大人になるにつれてそうなるんだろう。
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田中とは仲良くしてるのだけど、前会ったのが、これまでにないほどかなり久々のことだった。「超久しぶりじゃん」そう話していた流れで、「じゃあもう今日、次遊ぶ日を決めようよ。ねえ次いつ会えるの?」と、不倫をたのしむ2人のように、なかば冗談で約束をした。
約束をした日は、エジプト料理を食べに行った日だ。
平日の昼、ひろいレストランに客はいなくて、唯一8人くらいの団体客があった。
楽しそうな声は高いが、馴染みの仲ではなさそうで、ひとりずつ順繰りに自己紹介をやっている。「人脈づくり」の、接待と営業が半々の「食事会」なのだろうとすかさず断定した。というのも、なかのひとりになんとなく見覚えがあったのだ。ひとめ見て、「ああ、芸能人ってこうやって努力してるんだなあ」と早合点したのだ。
その人は4、50代くらいの体のでかい、ピンク色のオカッパ髪のおじさんで、ついつい気づいてしまった。気づいちゃったわい、気づいちゃったわい。

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伏線というほどでもないのだが、前段がある。
去年の夏、「いわゆる夏フェスと呼ばれるイベントに行ったことがないが、このままでよいのか。見識をひろめるべきではないのか。今後、年々、さらに歳を重ね、体力が減じてゆくことを思うと、今のうちにイッパツ参加して、様子を見学すべきではないか」というだけの理由でサマソニに行った。目当てのアーティストは、いない。
でも興奮はした。一番はGLAYだった。GLAYがGLAYを背負っている様に感激した。だって五十代半ばにもなった人が真剣に歌うにはしんどい詞をまっすぐ全身で歌い上げている。みんなそれに酔いしれている。TERUこと小橋照彦さんの心を歌い上げているのではなくて、人々がGLAYに求めているイメージをしっかりやり遂げているショーマンであること。自己表現や自己顕示ではなく、まずはみんなを楽しませる存在をやりきること。観客のほとんどは、労働や生活の維持にあくせくして暮らすなかの、ほんの束の間に幕張くんだりまでやってきたのだ。一分の隙ない夢の世界をみせる。
しかもGLAYは全世代がなんとなく知っているバンドだから、特別にファンでなくても盛り上がるし、夏フェスって朝から晩まであちこちで演奏があるんで、「一曲目のときはまだ観客がかたい」ということもない。にしてもGLAYは会場を高揚させていて、「人のためになることをちゃんとやってるひとだ。それがすごくうまくいってるひとだ。えらいなあ、すごいなあ」と感動した。
B'zにも同じ感動を味わったことがある。
2020年、いわゆるコロナ禍のなかで、ライブパフォーマンスをやれなくなったミュージシャンたちが、Youtube上に、過去のライブ映像を放出しはじめた。そのなかにB'zがいて、みてみるとびっくりした。というのは、
「毎日毎日働いて、それはすごく大変だし、簡単なことじゃないのに、芯からねぎらってもらえるシーンも少なくて、そんなタフな日々の中の貴重な休日に、お金もそうだけど、いろんなエネルギーを注いで、このコンサートまできてくれて、ほんとうにありがとうございます。みなさんの日々を、少しでも元気づけることができるように、僕らは僕らの役割を果たします。つまり、大衆娯楽としてのミュージックをまっすぐ鳴らすことで、ねぎらったり、はげましたり、気分転換の助けになったり、そういう役割をしっかり果たそうと思います!」
っていう態度がめちゃくちゃハッキリしていたからだ。なんならMCとしてそんなことをしっかり言葉にして発言する。マス・ミュージシャンとしての役割をしっかり自覚し、堂々と行っている。誰だと指定しきれない誰かのために、自分らの振る舞いをパフォーマンスしている。すごい。
そう思ってB'zに感じ入った2020年を、GLAYをみながら思い出し、しかし暑くて苦しくて、会場を出て小休憩。それからもう一度会場にはいる。
屋内ステージがずらりと並んでいる、広大で、全体には細長い形の幕張メッセには、会場フロアに降りるエスカレーターが何ヶ所もあって、そのうちのひとつ、まだ乗っていなかったエスカレーターで会場に降りていく。
するとエスカレーターをおりたさきのステージで、ピンク髪でおかっぱ頭の、タッパのある中年男性が、ノリノリのビートにあわせて童謡を流している。「どんぐりころころ」をイケイケなテンポで流し、次の曲への切り替えの「ツナギ」のとこではきっと、声をかけ自分から歌う。「気づいちゃった気づいちゃったわ~いわい!」
キッズ・スペースに設られたDJブースでの童謡DJをDJデッカチャンがやっている。彼の仕事に盛り上がっているのは、むしろ保護者のほうだった。
思いがけないタイミングで現れたデッカちゃんがおもしろくて、そのままその印象が胸に残って一年後、夏、エジプト料理屋にデッカちゃんがいる。
デッカチャンがいる?
ほんとうにデッカチャンだろうか。
たしかに髪は赤く、おかっぱではある。しかし、気になってちらちら見るうちに、デッカちゃんではないということがよくわかってくる。顔が全然違う。なら誰なのか。何者なのか。疑問は残るが、みればみるほど、デッカチャンではない。確かに髪は赤い。オカッパである。恰幅よく、デッカちゃんくらいの年齢層だが、デッカチャンの顔ではない。デッカチャン? デッカちゃん? どっち?
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小田原にむかう小田急線のなか、少し空いた車内で、田中と隣に座って話す。ひさしぶりだね、元気してた? 最近なに食べてるの。
すると田中は「はんぺん、ちくわ、ささかま」と、練り物ばかりを挙げるから、小田原のカマボコミュージアムにでも行くのかと思うが、町田からの電車の終点、小田原駅で「こっちだよ」と示されたのは別のホーム。さらに遠くへ行くらしい。
ひとの悪口をいいながら熱海についた。終点の熱海駅、熱海につれてこられたのか? と思うもそうではない。熱海駅でも同様に、「いや、こっちだから」と別のホームに誘われる。
最後の路線では、僕も田中も熟睡していた。たまに目が覚め、眠る田中をみながら、どこで降りるのが正しいのか知らないからどきどきする。
「じゃあ、またね」
田中は電車が伊豆高原駅に着くと立ち上がり、降りたすぐ先にあるパーキングに向かう。寝ぼけまなこでついていく。田中はカーシェアの予約をしていた。助手席に乗る。

うそみたいにつるんとした、木の生えていない山だった。上り下りのリフト以外にはただ、草の緑に覆われた、おわんがたのなだらかな独立峰。離れてみると、まるでリフトの線路が、山についているファスナーにみえる。山ごと浅間神社であるらしくて、リフト乗り場やふもとの売店の全部を、おおきな鳥居が見下ろしている。
「リフトの列にならぶには、あのでっかい鳥居をくぐらなきゃなんないから、これは創価学会の人はのぼれない山だねえ」
「あの人たちが鳥居をくぐると、なにが起こるんだろうねえ。光って消えるのかなあ」

ふもとに飲食店がひとつだけ。落ち着きのないうるせえ店で、出入り口のすぐそばに通される。店外の用紙に名前を書くシステムがわからない観光客たちがしょっちゅう店に入ってきては、店員に追い出される。そのやりとりがすぐ横で繰り返され、また食事もやけにしきたりが多く複雑だった。まずこれをこう食べてください、次にこれをかけて、もしこうならこれも、あとお好みでこちらもありますので、云々、アナウンスがとても多い。
サボテンソフトと塩ミルクソフトを舐める。夏の月曜日。リフト乗り場に並ぶ列はあんなに長かったのに、正午近くにはもうがらがらだった。
シェアカーに乗り込むと、今度はいかにも伊豆・熱海エリアらしい、いわゆるB級スポットに連れ込まれる。



「これもひとつの経験ですから」
言葉少なに車にぞろ乗り込んで、それから最後に城ヶ崎海岸に行った。ほとんど東尋坊である。中国人観光客だらけで、中国にきたみたいだった。中国の名所を観光しにいったら、こんな感じなんだろうな、という体験だった。


【展示開催中】

●地上から行く場合
KITTE丸の内から三菱ビルへ、東京駅側の信号を渡り、地下通路へ降りる
●地下から行く場合
東京駅丸の内地下南口からM3出口へ進み、丸二ビルと三菱ビルの共通入り口に突き当たったら、そこを右に曲がる
この夏じゅう展示させていただいておりますので、よかったらどうぞご覧になってください。
