見出し画像

『戻れないからこそ進めた ― 40歳、無資格から海を渡ったキャリアの舵取り』

40歳、無資格、ブランク5年。普通ならもう終わりだ。
だが「戻れない」と悟った瞬間、人生の航路は始まった。




家業の青海苔養殖漁業が廃業になるとわかったとき、僕は40歳を目前にしていた。
「次は何をするのか」――選択を迫られた瞬間だった。


戻れる道は閉ざされた


大学を卒業してから十年以上、市場調査や経理といったデスクワークを経験してきた。いわゆる普通のサラリーマンだ。

その後、地元に戻り、青海苔養殖漁業に従事した。短い漁期で一年分を稼げる仕事だったが、自然相手の不安定さは常にあった。

そして廃業。気がつけば40歳。周囲からは「事務職に戻ればいい」とも言われた。だが、僕の心は冷静だった。

――戻れるわけがない。

求人票には「35歳以下歓迎」の文字が並ぶ。5年のブランク。40歳を越えた人材を必要とする会社など、現実には存在しなかった。


面接で突きつけられた問い



後に船会社の面接を受けたとき、必ず問われたことがある。
「なぜ事務職に戻らなかったのですか?」

僕は心の中でこう答えていた。
――戻れるわけがない。

ただ、それをそのまま口にすることはなかった。
「新しい挑戦がしたいからです」と答えた。でも、本当は切実な現実が背中を押していたのだ。

小型免許では海は越えられない


実は、以前に小型船舶免許を取っていた。だから最初は「小さな船に関わる仕事」を探していた。警戒船や作業船の求人を調べたり、漁業に近い形で海とつながる道を考えたりした。

だが調べていくうちに、もっと大きな世界があることを知った。「海技士」という資格だ。
東京タワーを横に倒したような巨大な船を動かす国家資格。40歳からでも挑戦できるのか? 本当に自分にできるのか?
それでも、心の奥で直感していた。
「これが最後のチャンスかもしれない」と。


10社の門は、8つ沈黙した


無資格・実務経験なし・40歳。
自分でも、この三拍子が船乗りの世界で致命的なことは理解していた。

それでも、心の奥で直感していた――これが最後のチャンスかもしれないと。
その直感にすがるように、船会社への問い合わせを始めた。

決心して船会社に問い合わせを始めた。だが現実は甘くなかった。


10社に問い合わせても、8社は無視。残りの2社が「とりあえず履歴書を送ってください」と返事をくれただけ。

その冷たさに打ちのめされながらも、悟った。このままでは船にすら乗れない。

だから決めた。船員養成機関に入り直し、資格を取るしかない。ここから挑戦が始まった。


黒板に並んだ呪文


入学して驚いたのは、40歳以上の学生が全体の3割を占めていたことだ。「若者ばかりで浮いてしまう」と覚悟していた僕にとって、同じように再出発をかける仲間がいたことは救いだった。

だが、授業は想像以上にハードだった。内容は高校の授業のように教科書を開き、先生の説明をひたすらノートに取る座学中心。


黒板に並ぶ専門用語をノートに必死で書き写した。
40歳の僕の手は震えていた。

「バラストポンプ」「FOサービスポンプ」。
書き写す手は動いても、意味は一行も頭に入らない。


その横で、若い学生たちは余裕の表情で教科書をめくり、ときに眠そうにあくびをしていた。



40歳、若者に混じり、ゼロから呪文を覚え直す。
その痛みこそが、僕の新しい航路だった。


実技は、実習船に乗ったとき。巨大なエンジンの前で初めて工具を握った瞬間、「これが自分の仕事になるのか」と腹の底から実感した。 



未知への賭け ― 機関士


面接の場では必ず聞かれた。
「なぜ航海士ではなく、機関士を選んだのですか?」

僕は迷わず答えた。
「就職に強いからです」

その瞬間、面接官は少し笑ってこう言った。
――さすが市場調査をしていただけあって、リサーチ力がありますね。

実際、以前の仕事では新規事業の参入可否調査をしていた。市場のニーズを分析し、勝てる領域を探すのが日常業務だった。

だからこそ、40歳で無資格という不利な状況でも、「機関士」という選択肢が最も勝算があると確信できたのだ。

工具も握ったことがない40歳の挑戦は、一見無謀に見える。
だが実際は、徹底的に調べた末の“勝算ある賭け”だった。



40代転職市場から見えた現実


国土交通省の統計では、船員全体の有効求人倍率は近年4〜5倍に達している。令和6年だと4.78倍。
陸上職業の1.2〜1.3倍や、自動車運転者の2〜3倍を大きく上回る数字だ。

しかもこれは船員全体の話であって、機関士に限れば航海士とは比較にならないほど人手不足だ。 


例えば「海のハローワーク」に海技免状持ちが登録すれば、100社以上からオファーが届くとまで言われている。


だからこそ、僕が「就職に強いから」と機関士を選んだ判断は、狂気ではなく徹底したリサーチの結果だった。


実際、僕自身が何度か転職を経験しているが、面接で落ちたことは一度もない。
むしろ秒速で仕事が決まるのが、機関士という職の現実だ。
 
面接の場では、ある機関長からこう言われたことがある。

「海技士(機関)を持っていれば、一生仕事には困らないからな」

その言葉は、統計や求人倍率の数字以上に、この業界の人材不足の現実を物語っていた。


数字で裏付けられた需要の高さに、自分の体験が重なり、改めて「就職に強いから」という選択が間違いではなかったと実感する。


轟音と油の匂いのなかで


今、僕は商船の機関士として働いている。油の匂いにまみれ、耳をつんざく轟音の中で、東京タワーを横に倒したほどの巨大な船の心臓を回している。

休暇と乗船のサイクルは独特だが、安定した収入がある。そして何より「自分で選んだ航路を生きている」という誇りがある。

初めての給料日。ワッチを終えてつなぎを脱ぎ、シャワーを浴びて普段着に着替えたあと、ようやく電波がつながったスマホで振込を確認した。

その夜、休暇前にしか飲まないハイボールを開けた。
苦いはずの一口が、不思議と甘かった。


もしあの時、事務職に戻ろうとしていたら――書類選考すら通らず、自分を責めていただろう。漁師廃業で立ちすくんでいた僕にとって、船乗りという選択は、唯一前に進める道だった。


分岐点は戻れない日から始まる



キャリアの分岐点は、選択肢が多いときよりも、むしろ「選択肢が閉ざされたとき」に訪れるのかもしれない。
40歳、ブランク、廃業――条件は最悪だった。でも「戻れない」と気づいたからこそ、「進む」しかなかった。

僕にとっては、それが船員養成機関に入り、船乗りになるという決断だった。

人生の航路は、年齢や経歴で決まるのではない。「戻れない」と悟ったその先に、「進める道」を選べるかどうかで決まるのだ。


あのとき『戻れない』と悟った瞬間こそ、僕の航海の始まりだった。

戻れる場所なんて、本当は誰にもない。
あるのは「進む」か「立ち尽くす」かだけだ。
船は、待ってはくれない。

そして、あの日の戻れないという気づきこそが、僕にとって最大のキャリアの分岐点だった。

あなたにとって、「戻れない」と悟った日はいつだろう。
その日こそが、新しい航路の始まりなのかもしれない。

無謀に見える挑戦も、徹底して調べた先にある勝算の航路だった。

僕の場合は、市場調査で培ったリサーチ力が思わぬ形で役に立った。キャリアの分岐点では、自分だけが持っている“思考の癖”が武器になるのだ。

40代転職の教訓は、「戻れる道を探すな、勝てる領域を見つけよ」。
その視点があれば、キャリアの舵は必ず切れる――僕はそう信じている。

いいなと思ったら応援しよう!

気ままな船乗り|分岐点にいる人の灯台 お問い合わせ、質問、応援などはこちらからもお気軽にどうぞ。