【ショートショート】世界一美味しいシュガードーナツ
「僕もここのシュガードーナツが大好きなんです」
カフェでアイスコーヒーと
シュガードーナツを頼んだアイに、
店員の彼はそう言って、
にっこり微笑んだ。
この店で彼を見かけるようになって半年ほど。
「いらっしゃいませ」
「大きさはどうしますか?」
くらいしか話したことがなかったのに、
ある日いきなりそう声をかけられて
アイは驚いた。
大きなくりんとした丸い目に、
人懐っこそうに笑う口元。
正直、ちょっといいな、と思っていた。
そんな彼から突然話しかけられたのだから、
動揺するなというほうが無理だった。
とはいえ、アイはドーナツならなんでも大好きだ。
スタバでも、ミスドでも、クリスピーでも。
穴が空いていようがいまいが、
砂糖がかかっていようがチョコまみれだろうが、
だいたい美味しくいただける。
だから「ここの」と言われても、いまひとつピンとこない。
でも、彼の屈託のない笑顔を見たら、
「私、違いの分からない女なんで」
なんて言えるはずもなかった。
「は、はい。おいしいですよね」
アイの言葉に、彼はまた笑った。
「ですよね。僕はここのシュガードーナツが
一番おいしいと思うんですよ」
そう言って、彼は紙袋に入れたドーナツをアイに差し出す。
「僕も食べたいくらいです」
あはは、と笑う彼につられて、アイも笑った。
そして。
「一緒に食べますか?」
自然に、そんな言葉が口をついて出た。
彼がきょとんとする。
その顔を見た瞬間、アイは自分が何を言ったのか理解した。
違う。
そうじゃない。
いや、一緒に食べてもいいけど。
そういう意味じゃなくて。
いや、どういう意味ならいいんだ。
「ち、違いますよ! そういう意味じゃなくて!
一緒に食べませんかっていうのは、
その……ドーナツを! ドーナツを一緒にって意味で!
ナンパとかじゃなくて!」
言えば言うほど、おかしくなっていく。
彼は目を丸くしたあと、吹き出した。
「ナンパ」
「そこ拾わないでください」
「すみません」
全然すみませんと思っていない顔で、彼は笑っている。
アイは恥ずかしさをごまかすように、紙袋を受け取った。

もう帰ろう。
一刻も早くここから立ち去ろう。
そして二度と、この店には――
「でも」
背中を向けかけたアイを、彼の声が止めた。
「休憩、あと十分くらいで入るんです」
「……はい?」
「もし、まだいらっしゃったら」
彼は少しだけ照れたように笑った。
「僕も一緒にいただいてもいいですか?」
今度はアイが、きょとんと彼を見返した。
すると、先ほどとは立場が逆になって、彼のほうが慌てだす。
「あ、いや、ナンパとかそういう意味じゃなくて!」
その言葉に一瞬の間があって、二人は同時に吹き出した。
「じゃあ、待ってます」
そう答えた自分の声は、ちょっとだけ震えていた。
十分後。
窓際のカウンター席には、シュガードーナツが二つ並んでいた。
「やっぱり、ここのシュガードーナツが一番おいしいですね」
彼が言う。
「そうですね」
今度は迷わず答えた。
スタバでも、ミスドでも、クリスピーでも。
ドーナツならなんでも好きだったはずなのに。
今日からたぶん、
アイにとってここのシュガードーナツが、
世界一おいしいドーナツに認定される。
「あ、そういえば」
ドーナツにかぶりつきながら、彼はアイを見る。
「お名前、なんていうんですか?」
「私ですか? 宮部アイです」
「アイさん、ですね。僕の名前は――」
そのとき初めて知った彼の名前も、
いつか世界一好きな名前に認定されてしまう。
そんな予感がして、
アイはさっきより少しだけ甘くなった気がするドーナツを、
一口かじった。

ちなみに。
舞台となったこのお店は、スタバならぬ「ヨツバ」です。
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