ただいま無料公開中「娘が毎朝、三つのお弁当を作る理由」—料理を愛する、すべてのお母さんへ—
「上手に育てたね」
私が娘のお手製弁当を広げるたびに
同僚は羨ましそうな声をあげる。
高校生になって給食がなくなった娘は
「みんなの分も作るよ」
と言ってくれ、私と夫の分を含め、
毎朝3つのお弁当を作り続けてくれている。
気が向くと晩御飯まで作ってくれたりする。
「どうやって料理好きにしたの?」
そう理由を聞かれるたびに、私は少し困ってしまう。
特別な英才教育をしたわけでもないし、
料理教室に通わせていたわけでもない。
SNSで見かけるような、
きれいに型抜きされたキャラ弁を毎日作っていたわけでもない。
むしろ私は、夕方になると「今日のご飯どうしよう」と頭を抱え、
スーパーで値引きシールを探し、
時間との戦いみたいに台所に立っていた普通の母親だ。
それでも、気づけば娘は料理が好きになっていた。
休日になると「今日、ご飯作ろうか?」と言い、
冷蔵庫を覗いては何が作れるか考えている。
外食に行けば、食べるだけではなく
「これ、どうやって味付けしてるんだろう」
と興味津々で、お店の人の動きまで見ている。
たぶん、料理を好きになった理由は、ひとつではない。
でも振り返ると、私が意識していたことが3つだけある。
ひとつ目は、「料理は楽しく」作るってこと。
私の料理はムラがある。
手でちぎっただけのレタスに
これまたちぎった海苔を
手で適当につぶした豆腐にばっとかけただけのサラダと、
薄切り肉を焼き肉のたれで焼いただけのメニューを
「カフェ風焼き肉プレート」
と立派な名前だけ付けてごまかす日もあれば、
作っているうちにあれもこれもと思いついて、
スープ、前菜、肉料理、魚料理、蒸し物、
酒のつまみまでジャンジャン作り続ける日もある。
ただ、手抜き料理と魂を込めた料理、
どちらも「楽しく作る」をモットーにしている。
楽しく作れないなぁって思う疲れMAXな時は、
そもそも作らない。
食べる方も、不機嫌に雑に作られた料理は
食べていてもおいしくないだろうし、
栄養にもならない気がしてしまう。
だから、料理をするときは楽しく、おいしく作る。
すると、楽しく料理をしている私を見て、
娘は「料理って楽しそう」と思ったらしい。
「ママ、今日なに作ってるの?」
まだ包丁も持てない年齢なのに、
椅子を引きずってきては隣によじ登り、
味見係みたいな顔をして鍋の中を覗いていた。
「危ないよ」
そう言いながらも、私はなるべく追い払わなかった。
正直、余裕がない日は一人でやった方が早い。
こどもがいると作業は止まるし、キッチンは散らかるし、
「あーもう!」と思うことだって何度もあった。
それでも、一緒に台所に立つ時間は嬉しかったし、大事にしたかった。
料理って、不思議だ。
勉強みたいに「さあ覚えましょう」と机に向かっても、
たぶん好きにはならない。
でも、楽しそうな匂いや音や会話の中にいると、自然と興味が湧いてくる。
ジュウッと焼ける音。
湯気。
「おいしい!」って言葉。
味見して「ちょっと薄いかな?」なんて言い合う時間。
そういうもの全部が、娘にとっては遊びだったんだと思う。
だから私は、あまり細かく口を出さなかった。
「猫の手、猫の手」
だけを呪文のように繰り返し、野菜を切ってもらった。
そのうち小学生になったころには
夫が釣ってきたアオリイカを一人で捌くようにまでなっていた。
たぶんこどもは、“できた”より、“楽しかった”の方が
より濃く体に染み込むのだろうと思う。
大人だってこどもって、味だけじゃなく、空気までちゃんと見ているのだ。
だから私は、料理を“作業”だけにはしたくなかった。
うまく作ることより、「また作りたい」と思えたこと。
それが、料理好きになった理由なのかもしれない。
2つ目に意識していたのは、
「外食に連れ出すこと」だった。
小さいこどもとの外食は、本当に大変だ。
食べこぼしを気にして、周りに頭を下げて、
途中で飽きないように必死になる。
帰るころには、親の方がぐったりしている。
それでも私は、なるべくいろんなお店に行った。
ラーメン屋さん、昔ながらの定食屋さん、
ちょっとおしゃれなカフェ、旅行先の小さな洋食屋さん。
ただ「おいしいね」で終わらせるのではなく、
「これ、家でも作れるかな?」
「何が入ってると思う?」
そんな会話をたくさんした。
娘は、料理を“家事”というより、“欲望”として見ていた気がする。
「食べたい」
「もう一回作りたい」
「この味を自分のものにしたい」
そんな気持ちが、娘を台所へ向かわせていた。
ある日、娘がサイゼリヤのキャロットラペを
家で再現したいと言い出したことがある。
ニンジンの千切りは、スライサーの選択を間違えたせいで
驚くほど太かった。
でも、味は「ほぼサイゼ」だった。
「もうサイゼ行かなくてもよくなったね」
娘は得意げに笑っていた。
考えてみれば、私自身も、新しいレシピに挑戦するときは
「また食べたい」と思った料理がほとんどだ。
会社の先輩の家でご馳走になった料理から、
いったい何品レシピを盗んだか分からない。
テレビや雑誌の料理は、
「冷蔵庫に材料があるし、作れそうだな」
くらいには参考にする。
でも、「絶対これを自分のものにしたい!」と心を動かされるのは、
実際に食べて感動した料理だ。
料理って、結局は“憧れ”なんだと思う。
最後に、私が一番大事にしていたのは、「褒めること」だった。
でもそれは、「すごいね、上手だね」だけではない。
「作ってくれてありがとう」
「助かった」
「一緒に食べるとおいしいね」
そういう言葉を、ちゃんと口にすること。
そして
「私はとてもおいしくいただいています」
と、私の感想を絶対言うことを決めていた。
料理って、ものすごく手間がかかる。
献立を考えて、買い物をして、作って、片付ける。
毎日やっていると、つい当たり前になってしまう。
でも、本当は誰かのために時間を使う、愛情の作業なんだと思う。
だから私は、娘が作ってくれた料理をなるべくちゃんと味わった。
たとえ少し味が濃くても、「頑張って作った」が伝わる料理は、おいしい。
今、高校生になった娘は、
毎朝眠そうな顔をしながらお弁当を三つ並べている。
たまご焼きの味も、炒め物の手際も、いつの間にか私より上手になった。
「今日は唐揚げ入れたよ」
そう言いながら蓋を閉める横顔を見ていると、
なんだか少し不思議な気持ちになる。
子育てって、“教えたこと”より、
“一緒に積み重ねた時間”の方が残るのかもしれない。
特別なことはしていない。
ただ、台所で笑っていただけだ。
でもその時間が、娘の中で「料理は楽しい」に変わっていったのなら、
あの日々も悪くなかったなと思う。
今でも娘の料理はたまに大胆だ。
調味料を入れすぎたり、
冷蔵庫の食材を勝手に組み合わせて謎のメニューを作ったりする。
冷蔵庫を開けて、黄色のぶよぶよの物体を見たときは
夢にまでその黄色いぶよぶよが出てきて嫌な気持ちになった。
でも、娘本人は楽しそうなのだ。
私はその姿を見るたびに、料理を好きになってくれてよかったと思う。
料理ができることは、生きる力になる。
誰かを喜ばせる力になる。
そして、自分自身を大切にする力にもなる。
疲れた日に、自分のために温かいスープを作れる人は、
きっと人生のどこかで自分を救える。
だから私は、娘が料理を好きになったことを、
テストの点数より少し誇らしく思っている。
特別なことはしていない。
楽しそうに作って、
一緒に食べて、
たくさん褒めただけ。
でも、子育てって、案外そういう小さな積み重ねなのかもしれない。
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