【ゆる~く、テキトーに綴る随想録📜】~私の忘れ得ぬ人✖️忘れ得ぬ思い出🎞️アナログ感溢れるド直球の<愛の話>です💓
🌐プロローグ
今回は【ゆる~く、テキトーに綴る随想録】です。
私の思い出話、身辺雑記、ふと感じたこと、ふと思いついたことなどを
🔵ほぼすべてを主観によって
🔵<ええことかどうか>にこだわらない
🔵<役に立つかどうか>を一切考慮しない
スタンスで書き綴っていきます。
<通常運転>の記事では書ききれない<臨時増発便>的な内容となります。
あらかじめ、おことわりしておきます。
これから私の思い出話を書き記していきます。
<オッサンの自分語り>が中心となります。
しかも、今回は<禁じ手>の恋愛話です。
さらに、7000字を優に超える長編です。
ですから
「そんなアホみたいなもん、読みたないわ!」
と思われる方は、この頁から離れてください。
私はあなたの心がざわつくことを望んでいません。
また、いつかお会いする機会が巡って来ることを切に願っています。
〝~という話やけど・・・誰が興味あんねん‼️〟
~©️ヤナギブソン〔ザ・プラン9〕~
🟪実は昔、文学青年&詩を書く人でした‼️
今回は<愛の話>を書き進めていきます。
〈ええ歳したオッサンが、なんちゅー話をすんねん❗〉
と<もう一人の私>がツッコミを入れています。
誰にも伝えずに、墓場まで持っていくだろうと思っていました。
しかしながら、『note』との出会いが私を変えました。
私が大学に入ったばかりの頃に時は遡ります。
私は中学生の時から、密やかに詩を書いていました。
誰かに見せるわけでもなく、言葉を紡ぎ続けていました。
ある日、大学生協の書店で『MY詩集』という雑誌を見つけて手に取りました。
😋〈へぇ~、投稿できるんや・・・ナンボほどかかるんやろ❓〉
私はページをめくって投稿の決まりを書いた箇所を確認しました。
😄〈意外と安いんやな~このくらいやったらいけるやん❗〉
すぐさま『MY詩集』を購入しました。
そして、それまでに書き溜めていた中の2,3編の詩をチョイスして初めての投稿をしました。
🟪偶然の出会い❓🙅運命の出会いでした‼️
初投稿の約2か月後に、私の作品が1編だけ掲載されました。
『MY詩集』では、作品掲載時に希望者は自分の住所と本名を載せることができました。
読者は気に入った詩の作者に、手紙などで直接アクセスできたのです。
今ではとても考えられないシステムです。
私の初めての作品にも十通ほどのリアクションがありました。
これらの<ファンレター>を書いてくれた相手とは、大抵は1回限りでのやり取りで終わります。
私は4年間投稿活動を続けましたが、手紙のやり取りが2回以上続いた人はわずか数人でした。
それも1年以内の短期間です。
優に総数100通を超えるリアクションがあったのにも関わらずです。
ただ一人、<その人>をのぞいては・・・
<その人>は私と同学年の女の子でした。
長崎県のとある市で一人暮らしをしていました。
働きながら定時制高校に通っていました。
自宅へ帰る途中に立ち寄った書店でふと『MY詩集』が目に留まり、何気なくページをめくっていたら私が投稿した詩が目に飛び込んできたとのこと。
初めて『MY詩集』を購入し、自宅でじっくりと読み返し、やはり私の詩が心に残ったので思わずペンを取った・・・という経緯でした。
<その人>の手紙には、詩の感想にはじまり自己紹介と家族の話、日々感じていることなどが書き綴られていました。
他の人の手紙とは異なり、少しヘビーな内容でした。
かと言って感情が爆発している、抑えきれないといった感じではありません。
幾つかのエピソードが淡々と書かれていて、理知的な人という印象を抱きました。
私はできる限りの知恵を絞り、誠意を込めて返事を認めました。
私の人生に多大な影響を与える出会いになるとは、思いもよりませんでした。
🟪<心便り>がはじまる ➡️ えっ、写真‼️
ほどなくして、<その人>からの返信が届きました。
そして、文通・・・私が<心便り>と名付けた手紙のやり取りが始まりました。
19歳の夏の出来事でした。
<心便り>のお相手の呼び名が<その人>では味も素っ気もありません。
私の大のお気に入りの地、神戸の海岸沿いの町や駅にちなんだ名前にします。
私に所縁が深い地、垂水の傍にある『舞子』の名を拝借することにします。
ここからは『舞子さん』と表記します。
舞子さんとの心便りは月に1~2通の頻度でのやり取りでした。
毎回、お互いに便箋に3~5枚の長文でした。
内容は近況報告とその時に感じていることで大半が占められていました。
細かい内容は記憶に残っていません。
当時、舞子さんのご家族は大きなトラブルを抱えていました。
舞子さんの身の周りで様々な出来事が起こっていました。
その時々に彼女が感じた喜び、悲しみ、希望、不安が淡々と書き綴られていました。
しかし、そこには愚痴や泣き言などのネガティブなことは殆ど書かれていません。
いつも明るく、未来を信じて、毎日を懸命に生きている・・・とひしひしと伝わってくる<心便り>でした。
私は出来得る限りの丹精を込めて返事を書き続けました。
舞子さんとの心便りのやり取りが、私の日々の生活にさらに潤いを与えてくれました。
舞子さんへの手紙を投函すると、返信が待ち遠しくて仕方がないという心持ちでした。
<昭和レトロ色>が濃厚でアナログ極まりないコミュニケーションです。
心便りのやり取りをはじめて半年ほど経った時のことです。
「次の手紙に私の写真を同封します」
との文言が目に飛び込んできました。
😅〈う~ん、嬉しいし見てみたいけど・・・見とうもないな~・・・〉
複雑な心境でした。
今ならば、<ルッキズム云々かんぬん>とややこしい話になりますけど。
舞子さんからの次の便りが届きました。
私は恐る恐る封を開けました。
😍〈え~っ、ウソ~!むっちゃ可愛いやん❗〉
当時大人気のアイドル歌手によく似ていました。
田舎の風景を背景にして、子犬を抱いてにっこりと微笑む少女・・・
私はしばらくの間、目がクギ付けになりました。
そして、肝心のその手紙の本文を読んでみると
「もし宜しければ、漂泊民さんの写真が欲しいです」
私にとっての<悪魔のささやき>がしっかりと書かれていました。
それまでは舞子さんを異性として意識はしていなかったのに、急に
😖〈嫌われたらどないしよ~嫌われと~ない~〉
との思いが湧き出てきたのです。
私は友人数人とじゃれ合っている笑顔満開の写真を送りました。
舞子さんからの返信では
「とても良い写真をありがとう。温かそうな人だと感じました」
とあり、ホッと胸をなでおろしました。
その便りには、この4月から滋賀県のゴルフ場に就職することになったことが書かれていました。
🟪神戸で、初めて会うことに‼️
舞子さんは、そのゴルフ場で楽しそうに働いていました。
彼女の便りには、仕事内容が多岐にわたり覚えることが多いものの、毎日が充実していると書かれていました。
ところが、勤務開始後3カ月ほどで、舞子さんの家族に大きなトラブルが発生し、長崎に帰らなければならなくなりました。
その旨が書かれた手紙に
「私が長崎に戻る前に、一度お会いしませんか?」
と、悪魔の天使のささやきが・・・
舞子さんのお姉さんが西宮市の病院に看護師として勤めていて、退職後の数日間は、お姉さんの家に滞在する予定とのことです。
私が通う大学とは近距離の所です。
😵〈エラいこっちゃ❗今度はゴマカスことでけへん‼️〉
初対面の場として、舞子さんは遊園地を希望しました。
当時、神戸にあったポートピアランドをチョイスしました。
待ち合わせ場所は阪急三宮駅です。
一目見て、すぐに舞子さんを認めることができました。
😍〈写真のまんまやん・・・というか、実物の方が可愛いやん‼️〉
当日、どのようなアトラクションに乘り、その後どのようなデートコースを巡ったかの記憶は定かではありません。
私が緊張していたこともあって、それほど会話は弾まなかったことだけは覚えています。
この直後の便りで、舞子さんは
「退屈しませんでしたか?普段はもっと喋るのですけど・・・
なんだかホッとして安心してしまいました
それでリラックスし過ぎたみたいです」
と、会った当日の心境を述べていました。
私に対しては悪い印象を持たなかった・・・それだけでも十分でした。
🟪恋に発展‼️・・・なんてことはなく
初めての、この出会いによって恋に落ちる・・・
なんてことはなく、それまでと同じように便りのやり取りを続けました。
舞子さんに好意を抱いたことは間違いがありません。
手紙の文面から滲み出ている理知的な雰囲気・頑張り屋さんでしっかり者の一面と、実際の<ほんわか>した雰囲気とのギャップ萌えでした。
🙂↕️〈あんなええルックスやし、あの雰囲気やもんな~
そら、モテはるやろ~・・・〉
私なんかには<高嶺の花>、とても相応しくない・・・
なんて殊勝な気持ちは、昔も今も持ち合わせていません。
😌〈むっちゃ距離離れとるし、あっちでええ人がすぐに見つかるで〉
インターネットも携帯電話も全く普及していない時代のことです。
しかも、私は自前の固定電話を自室に引いていません。
下宿に備え付けの共同公衆電話を利用していました。
手紙だけがコミュニケーションの手段でした。
現在よりも<距離の壁>がはるかに高かったのです。
舞子さんからの便りの中でも
🟣長崎を出て滋賀へ就職する時、お付き合いしている人とかなり揉めて
結局はお別れすることになった
🟣中学3年生の時に、中学1年生の後輩からいきなり告白されたことがある
👉冷たい態度で断ったが、今もその時のことが心にひっかかっている
といった恋愛エピソードが盛り込んであったことも関係しています。
🌟中1年生の後輩からの告白エピソードは、後に<伏線回収>します
🟪再会の時来る‼️夜景が綺麗やったわ‼️
2年余りの月日が流れました。
舞子さんは長崎で建築設計事務所のアシスタントとして働いています。
私は大学3回生となりキャンパスライフを謳歌しています。
当時は就活の開始時期が今よりも遅かったのです。
再会の機会は唐突に訪れました。
ある日の心便りに
「姉が結婚することになりました。
結婚式に出席するためにそちらに行きます。
またお会いできますか?」
とありました。
私は二つ返事でOKしました。
デートの場所に選んだのは、昼間は私が通っていた大学のキャンパスと周辺、夜は大阪の梅田界隈でした。
私の母校のウリの一つはキャンパスの美しさです。
二人とも人混みが苦手なので、静かなキャンバスと周辺の散策をするというコースをチョイスしました。
二回目となるとさすがにお互いに慣れもあり、前回よりは会話が弾みました。
晩ご飯を食べ終わり、夜景を見に行く運びとなりました。
梅田の『グランドビル』だったと思います。
どちらが「夜景が見たい」と言い出したのかは記憶にありません。
そのビルの最上階のあたりの展望スペースで夜景を眺めました。
閉館の時間まで留まっていたので、一時間は超えていたと思います。
🥰〈時間が止まってくれたら、ええのにな~〉
と感じるほどに、満ち足りた時間でした。
「たくさんお家があって、たくさんの人たちがそこで暮らしている・・・
その数だけ笑顔があって、幸せがあるんだ・・・」
ふいに舞子さんが呟きました。
その囁きは、私のハートを一撃で打ち抜きました。
🤩〈あかん・・・惚れてまうかもしれん‼️〉
🟪そして、長崎へと・・・
半年後、私は春休み期間を利用して長崎に行くことにしました。
大学4回生になると、就活と公務員試験の受験勉強で忙しくなります。
どうしても、長崎の地で舞子さんと会っておきたかったのです。
実は、この時の記憶はほとんど残っていません。
普通の長崎への観光旅行と大差ありません。
もちろん、告白なんてしていませんし、好意を持っている素振りも全く見せていません。
二人で共に行動したのは一日だけでした。
「漂泊民さんとは、安易に恋愛関係にしてしまわなかったことが
本当に良かったと思っています
私にとって、とても大切な人なのです」
―前回に会った後の舞子さんからの便りに書かれていた一節です。
私の気持ちにブレーキをかけていました。
🟪謎の空白・・・そして別れの時
大学4回生となり、私は公務員試験に本腰を入れました。
そして、合格&内定。
無事に大学を卒業し、神戸市での役人生活が始まります。
舞子さんからの心便りが数カ月途絶えました。
非常手段である電話も繋がりません。
本格的な夏を迎える前、久しぶりに舞子さんからの便りが届きました。
「近々、そちらに行く予定があるのでお会いできませんか?」
他の内容は全く覚えていません。
関西へ来る用事が何だったのかも記憶にありません。
神戸で再会しました。
2時間程度の短い再会でした。
音信が途絶えた理由については
「いずれ、伝えられる時が来たら絶対に手紙に書きます」
と言われ、それ以上の深入りはしませんでした。
夏も終わりに近づいてきた頃、舞子さんからの便りが届きました。
いつもの何倍もの厚さがある膨れた封筒・・・
🫢〈これは・・・只事やないな・・・〉
この手紙の内容については書くことができません。
舞子さんの人生が壊れかねない、命にも関わるような出来事でした。
私は何度も何度も読み返しました。
🥹〈こんなことがあったんや・・むっちゃしんどい思いをしてたんや・・・
俺にはどうすることもできへん・・何の力にもなれんかった・・・〉
私は、数日後に別れの手紙を認めました。
保管していた舞子さんからの手紙はすべて自分の手で焼きました。
ただ、写真だけは捨てることができませんでした。
🥲〈もう、二度と会うこともないやろな・・・〉
私は舞子さんのすべてを受け入れる<器>を持ち合わせていませんでした。
🟪奇跡の再会‼️
この後、舞子さんからの手紙が数通届きました。
結婚をされたこと、お子さんが生まれたことを知りました。
これらの手紙は取って置くことにしました。
特別な感情を抱くことはありませんでした。
1995年1月17日・・私は神戸市内で阪神淡路大震災に被災しました。
この震災を機に大阪市内に転居しました。
震災後、1年近くが経った時に
🤔〈舞子さんに、無事だったことだけは伝えといた方がええな・・・〉
との思いが湧いてきて、久しぶりに手紙を書きました。
しばらくして、舞子さんからの返事が届きました。
懐かしい筆致で綴られた文字が便箋に並んでいます。
「今、奈良市に住んでいます。是非とも、わが家にお越しください
漂泊民さんに今の私の幸せな姿を見て欲しいのです」
ご主人は震災関連の仕事で、神戸に単身で長期出張中のことでした。
ご主人は私のことはご存知で、余計な心配はいらないとのことでした。
再会の日は、1996年1月17日でした。
奇しくも大震災から1年後の全く同じ日でした。
元気一杯の2人の女の子に囲まれてとても幸せそうでした。
お子さん二人とも人見知り傾向があるのに、すぐに私に懐いてきたことに驚かれていました。
私はお土産に名作絵本の『100万回生きたねこ』とお菓子を持参しました。
積もる話が山ほどあり、あっという間にお暇する時間になりました。
記憶に残っている話は⤵️になります。
⚪ご主人さんは<中学生の時に告白された>あの後輩だった
👉ずっと舞子さんを慕い続けて、初恋を実らせた
👉「舞子さんと子どもたちのためなら命は惜しくない」と公言している
⚪舞子さんのお母さんは長崎で被爆していて、ご自身は被爆二世である
👉「私はどうなってもいいから、子どもたちだけには遺伝して欲しくないと
いつも祈っている」
・・と、舞子さんは心境を吐露された
⚪私のことが夫婦間で度々話題になっていた
私の帰宅の間際、舞子さんは数冊のアルバムを見せてくれました。
私が長崎に行った時に撮ったツーショット写真、グラバー園の半券、ポートピアランドの半券、大学オリジナルの絵葉書・・・
そのアルバムには思い出の品々が収められていました。
私が『MY詩集』に投稿する前に送った自筆の詩、舞子さんの印象に残った私が送った手紙もびっしりと収められています。
🥹〈ほんまに、俺のことを大切に思ってくれてたんや・・・〉
私の胸は熱くなりっ放しでした。
この再会の後、年に1、2通の近況報告の手紙と年賀状のやり取りが続きました。
🟪私は<ほんまもんのアホ>でした‼️
忘れえぬ人との再会を果たし、その後は家族ぐるみの付き合いを続けて現在に・・・
なんてハッピーエンドにはなりません。
丁度、この頃に私は社労士として独立自営を始めました。
演劇にものめり込みました。
どちらも、私の思い描いた通りにはなりませんでした。
仕事がうまくいかない、プライベートも全然ダメと私の心は荒み切っていました。
<最も大切にしなければならないものは何か>
ということを完全に見失っていたのです。
私は、ほんまもんのアホでした。
舞子さんとは再度疎遠になりました。
転居を重ねていくうちに、大切な手紙などは行方知れずとなりました。
現在の住所は分かりません。
携帯電話は繋がりません。
ネットで検索しても引っかかりません。
今も、この世界のどこかで幸せに暮らしているはずです。
🟪ほんまもんの忘れえぬ人、忘れえぬ思い出に‼️
私に下心や見返りを求める気持ちがなかったと言えば噓になります。
😁〈舞子さんともっともっと仲良うなりたいな~
恋人になってもらえたら、ええのにな~〉
との思いを抱いたことは数え知れずです。
😇〈たとえ俺が傍におらんかったとしても・・・
この人だけは、絶対に幸せになって欲しい〉
<無償の愛ムーヴ>が強くはたらいていたことも、これまたほんまのことです。
舞子さんと出会えたことで
私の心のどこかに、愛と光が宿っていると感じ取ることができました。
その愛と光はたとえ小さくて不安定なものであってもー
たとえ滅多に表に出ないものであってもー
もしも、奇跡が起きて再会の時が訪れたとしたら
〝舞子さんのおかげで、俺はマシな人間になれそうや
ほんまにありがとう
舞子さんと出会えて、ほんまに良かったわ
舞子さんが幸せでいてくれて、ほんまに良かったわ〟
と伝えたいと思っています。
これより今回の【ゆる~く、テキトーに綴る随想録】のフィナーレを迎えます。
長い話にお付き合い下さり感謝しています。
この話は、私の記憶が定かな場面だけを基にして書いています。
しかし、<思い出補正>や<記憶の美化>は避けられません。
特に舞子さんの<ええとこ>が際立っています。
☝️でふれた舞子さんのご主人のエピソードで
「舞子さんや子どもたちのためなら命は惜しくない」
のくだりを語った時に
「私は・・・子供たちのためなら命も、と思うけど
ダンナさんのためには・・・ムリムリ!
漂泊民さんだけに言うね、内緒ですよ」
と茶目っ気たっぷりに言われました。
😅〈やっぱり女の人っておっそろし~❗したたかやわ~‼️〉
現実は、こんなもんです😁
今回私が書き綴った話を読まれても
🟤あなたに<ええこと>が起こること
🟤あなたにとっての<ええ手本>になること
は一切ございません。
《こんなええかげんでテキトーな奴でも、なんとかなっとるやん‼️》
と感じられたら、それだけで無茶苦茶ハッピーです🥰
これからも、私は私が主人公の物語を紡ぎ続けます。
あなたに、この物語の見届け人になっていただければ、
私にとってこの上ない歓びとなります💝
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝してます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。
🍀あなたに⦅少食招福メソッド⦆をお伝えします‼️
🔖ご興味を持たれたあなたに一読していただければ幸いです✨
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