海外生活はじめました #00
これから3年続く予定の海外生活のプロローグ的なもの、です。
月曜から日曜の1週間分の日記を1つの記事にまとめて1週間ごとに載せていこうと目論んでいるのだけれど、第1回である今回は水曜始まりになってしまうので5日分を。投稿日を月曜に固定したいと思っているもののあんまりリアルタイムでは載せたくないという思いが少々あるので、次の投稿は明日ではなくそのさらに次の月曜日かな。
今回(特に到着初日)はしっかり長めに書いたけど、来週以降はもう少しあっさりめに書いていきたい所存。
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2024/05/29~06/02 (渡航0〜4日目)
5月29日(水)
夕刻、空港へ。背中のリュックは制限ギリギリの7キロ、右手の大きめスーツケースは28キロ、左手の小さめスーツケースは13キロ、計41キロ。ちなみに預け入れ荷物の上限は40キロ。いや超えてるんかい!! というツッコミを入れられそうですか、大きい方にHEAVYのタグをつけられただけで特に何も言われず預け入れに成功したので、1キロは誤差です誤差。(本当はその場で重量調整しろとか言われたらどうしようかと内心ビクビクしてた。)
日本での最後の食事は空港内のフードコートのかけうどんでした。そばよりも断然うどんが好き。食べ終わった後まだ時間があったから、見送りに着いてきた母と弟1と共にスタバへ行った。カフェインを摂りたくなかったからゆずシトラスティーにした。けど、正直あんまり味は覚えていない。
手荷物検査ブースの手前にて、中高時代の同級生とばったり遭遇する。私は彼女が空港でバイトをしていることは知らなかったし、彼女も私が今日空港を利用することを知らなかったにも拘らず、です。びっくりしちゃうね。びっくりに任せてツーショを撮った。在学当時は全然関わりのなかった子だからおそらくこれが初ツーショ。卒業後2年以上が経過した今になって!!
母と弟とはさらりと別れた。はっきり言うと寂しいとかそういう感情は一切ない、ごめん。子どもの頃から宿泊学習で家に帰りたいと泣く同級生を心の中で見下しているような典型的な嫌な奴だった。留学を選択をしたことに対する罪悪感さえ手懐けることができれば、私はきっとやっていけるのだ。
搭乗開始時刻が予定よりなぜか少し遅れて、それに伴って離陸時刻も若干遅くなったものの、私の乗った飛行機は無事に関西を飛び立った。LCCの3人掛けシート、窓際に私、隣には何かしらの団体であろうスーツ姿のお姉さん方2人。どのタイミングでメイクを落とそうかと話していた。一方の私、すっぴん眼鏡、歯磨き済み。夜行便にスーツで乗るとはなかなかの気概だなあと思いつつ、離陸後しばらくしてシートベルトサインが消えたのを確認し、就寝態勢に入った。
が、早々に機内食の提供が始まった。い、今!? 23時過ぎの、今!? 航空券の予約時に軽食の選択をしていたからいずれ提供されることはわかってはいたが、完全に朝の着陸前の食事であるとばかり勝手に思い込んでいた。機内食とは言ってもLCCあるあるのパンやバナナケーキなどといったような軽食で、私が選択していたのはサンドイッチ。CAさんから受け取ったは良いものの、そのタイミングで食べようという気なんぞ1ミリもなかった。
仕方ないから膝の上に乗せたまま寝た。
5月30日(木)
午前3時
「乱気流入るよ〜〜!! 揺れるよ〜〜!!」のアナウンスで目を覚ます。案の定超揺れる。アナウンスさえなければ寝たままでいられた気がするのに……と少し思ってしまったけれど致し方なし。
午前5時過ぎ
日が昇り始める。この時は太陽、すごくピンクだった。

それが昇ってくるにつれなぜか青に。

午前6時
機内の照明が点く。どうやら外が度が過ぎた青色に見えていたのは機内が暗かったせいらしい。知らんけど。

機内サービスが回ってきてコーヒーを手に入れる。膝の上で8時間ほど温められたサンドイッチが傷んでいないことを願いつつ、食そうと試みる。

あとゴミは退けてから撮りましょうね
7時半頃
無事着陸。留学先、これまでnoteでは言及してきませんでしたが、日記を書くには都市くらいは公開していないと書きづらそうなので、オープンにします。オーストラリアのブリスベンです。大学名とか専攻とかは秘密で。

機内で記入した入国カードを持って入国審査の列に並ぶ。日本を出るのはほぼ5年ぶりだったのだけれど、ほぼ機械操作だけで完結して少し感動した。対人だったのは税関申告書の項目のチェックだけ。これ、処方薬と食品の持ち込みのためにYESにチェックを入れていた箇所があったのに、担当のお姉さんが「OK!! 通って良いよ!!」と言ってきて面食らった。本当に?? 荷物の中身、X線に通されるなり目視検査なりされるものだと構えていた。処方薬の種類が種類なだけに何かあったら大変だと思って英文の薬剤証明書まで発行してもらっていたけれど出番はこなかった。そんなことあるんだ……。
空港を出てから駅でGo Card というオーストラリア版ピタパのようなものを購入して、トラムとバスを乗り継いで寮へと向かう。バスの中の通路が狭くてスーツケースの置き場に困っていたら、おばさんに車椅子ブースは座席を畳めるからそこにいなよと教えてもらった。他に乗客が数人しかいなかったからありがたくお言葉に甘えることにした。ありがとうおばさん。
ところでオーストラリアのバス、新参者からすると非常に難易度が高い。その最大の理由が、日本とは違って停留所のアナウンスがないこと。ぼーっと乗っているだけでは次いつどこで停まるのかが全くわからない。しかもこのとき私が乗っていた路線が特にそうだっただけなのかもしれないけど、豪速。信じられないスピードで走る。Googleマップを睨みながら乗っていたのだけれど降車ボタンを押すタイミングが遅すぎたみたいで、ほぼほぼ急ブレーキを踏むような形で停車させてしまった。ごめん運転手さんと他の乗客の皆さん。停まってくれてありがとう。
これまたGoogleマップを頼りに寮へと向かう。道中、通りすがりのおじいちゃんに「大荷物だねえ!!」と声をかけられた。
「そうなんです〜空港から来たところで」
「空港から!! 大変だねえ、今からどこ行くの」
「Student accomodationに行きたくて」
「ああ〜あるね、ここをまっすぐ行って、最初の角で右だよ」
意図せず道案内をしてもらった。ありがとう良い1日を〜!と言って別れた。書き忘れていましたが今後英語による会話はすべて久方によるゆるゆる日本語訳でお送りいたします。
私がこれから住む場所は、括りで言えば学生寮。とは言え入学する大学が運営しているところというわけではなくて、正確に言えば大学が提携している学生専用寮。住んでいる人たち全員が同じ大学の学生であるというわけではなくて、いろいろな大学の学生たちが入居している。便宜上これからは学生寮もしくは寮と表記する。
寮へは道に迷うことなく辿り着くことができた。が、恐ろしいことに私はこの時点で入居当日の動きについて何も知らされていなかった。と言うのも、数日前に送った「入居日って何時頃に着けばいいの??」的な問合せメールへの返信が来ていなかったから……。まさか入居できないなんてことはないだろうな、という一抹の不安を抱えながらの到着。ロックのかかった門の横に管理オフィスの電話番号が載っていたから、とりあえずそこに電話することにした。
結論から言うと電話はちゃんと繋がって、数分後にはスタッフの方が門の外まで出てきてくれて、入居する部屋の状態の最終確認的なもののためにしばらく待たされはしたものの、無事に入居することができた。ちなみにこのとき対応してくれたスタッフは私とそれほど歳の離れていなさそうな背の高い人だった。どことなくハリーポッターのロンっぽかったので今後また登場することがあればロンと呼ぶことにする。ロンによると入居は本来午後14時からの受付らしい。私が到着したのは11時過ぎだった。知りませんでしたごめんなさい〜と謝った。でもそれ事前に知らせといてくれや……。
部屋は綺麗だった。2年前日本の国立大の学生寮に入ったときは前の入居人が本当に退去時に掃除をしたのか疑うレベルで汚くて、今回もそれ以上の惨状を覚悟していたのだけれど、良い方向に裏切られた。まあだって家賃バカ高いもんな。
それでも私は自分の部屋では土足ではなくスリッパで暮らしたかったので、とりあえず床は掃除せねばと掃除用具を調達すべく近くのショッピングモールへと出向いた。あとはベッドの初期装備がマットレスだけだったからシーツや枕も買わなきゃならなかった。以下、その道中の備忘録。
・スマホのシャッター音が鳴らない
・予期せぬ色合いの鳥がそこかしこから飛び出してきてびっくりする
多分これ↓ 鳴き声がかなりやかましい
・モール内にて、6年くらい前にタイムスリップしたのかと思うくらいみんなタピオカ飲んでる
・タピオカの店の数も半端じゃないしどこもちゃんと並んでる
・スーパーマーケット、極寒
買い物を終えて部屋へ戻ると、キッチンにルームメイトと思しき男がいた。書き忘れていたのだけれど私が入ったのは計4人が暮らすユニットで、各自にシャワーとトイレ付きの寝室が割り当てられていて、キッチンとリビングルームは共同になっている。
とりあえず、今日入居したことを伝えた。聞くと彼は私とは別の大学の修士課程の学生で、台湾出身だと言う。
「名前、聞いてもいい?」
「トラだよ」
「トラ、スペルは?」
「T-O-R-A、日本語で言うところのTigerなんでしょ?」
「すごい、そんなこと知ってるんだ」
※ニュアンスはこんな感じだけど名前は仮名です
キッチンやリビングの使い方、ゴミ捨てなんかのルールがあるかどうかを尋ねる。特にないよと言われる。共用スペースがとっ散らかっていたりしたらどうしよう……と思っていたものの割と小綺麗な感じで保たれている様子で(というかあまり使われている感じがしなかった)、まあ普通に生活は成り立っているっぽいな、などと思う。
「1つ訊いていい?」
ユニットがgender-mixということで、懸念していたことが1つあった。
「ルームメイト、私以外3人とも男だったり、する?」
Toraは若干申し訳なさそうな顔になった。
「Yeah」
ほうほうほうほうほうほうほう
まあ予期していたことではある。ルームメイトとして仲良くなれるのかどうかはさておき。それにしても1年半ほど女子寮で暮らしていた身からすると、急に男性陣の中に放り込まれるのはいささか刺激が強い。中高生時代の私は同級生男子と関わることなどほぼなく、それは大学に進学してからも同様であった。男友だちゼロ。まともに話したことがある男は小学校時代の同級生くらい。まあでも、同性同士よりも「ルームメイトとして仲良くならなきゃ」みたいな意識を抱かずに済むから良いかな……? 部屋に引きこもることができる正当な理由になるかもしれない。なるようになる……よな……??
Toraにお礼を言って部屋に戻ろうとすると、もう1人のルームメイトが部屋から出てきた。おそらくは彼女であろう女性を連れて。
「この子、今日から入ってきたんだよ」とToraが紹介してくれる。
Oh hi と男が言う。私もHi と返す。男、颯爽と玄関へ向かう。続いて彼女が Great to see you! と言いながら彼について歩いていく。2人が出て行って、ドアがガチャンと閉まった。
ほうほうほうほうほうほうほう
彼女を部屋に連れ込むタイプね。
面白いじゃないか、と思いつつ、今度こそ自分の部屋へと退散した。
まずは床掃除。終わったらスリッパに履き替える。棚や机なんかも念の為拭く。スーツケースを開く。拭く手間を省くために出発前にそれぞれの車輪に養生テープを巻いてきていたのだけれど、テープと車輪の材質の相性が悪かったのか全然綺麗に剥がすことができず、軽く15分はベタベタとの格闘を繰り広げた。却って手間!!
スーツケースを空っぽにしたところで、ベッドにシーツを掛ける作業に取り掛かった。ここで私、マットレスに被せるシーツ・枕・枕カバー・掛け布団用シーツ は買ったものの、掛け布団本体を買い忘れていることに気が付く。
中身の入っていないぺらっぺらのシーツを被って寝た。外は小雨。
5月31日(金)
目覚ましをセットせずに寝たら、8時過ぎに筋肉痛と共に目が覚めた。今日はまだ急ぎでこなすべきことはないためいくらでも寝てよしと自分で決めていたため、珍しく二度寝する。
10時過ぎ、けたたましいサイレンの音で飛び起きる。何事かと思ったが、すぐに火災報知器の点検であるというアナウンスが流れた。心臓に悪い。
掛け布団を買うために外へ出なければならないことを思い出し、もぞもぞと起き出す。だがなんやかんやとダラダラしているとあっという間に時間が過ぎ、時刻は夕方。昨日と同じショッピングモールへと向かう。徒歩圏内で近いのが救い。日が沈んでから嵩張る布団を抱えながら外に出ると、また小雨が降っていた。
折り畳み傘は持っていたがさすほどではないと判断し、軽く濡れて帰った。
6月1日(土)
目覚めたらまだ(また??)雨が降っていた。年間300日ほどは晴れと言われるブリスベン、到着以来3日続けて雨模様なのですが、これは一周回って私の運が良いと言えるのではないでしょうか。そんなことを思いつつ、雨の中わざわざ出かける必要があるほど差し迫った用はないと言い訳をし、1日引きこもる。
渡航3日目にして早速部屋から1歩も出なくなる、それがわたくし久方です。
6月2日(日)
学生寮の敷地には、それぞれ12ユニットくらいが入った建物が敷地内に5棟以上もバラバラに並んでいる。私の部屋の広い窓からは、向かい側にある別の棟の部屋が丸見えである。(つまり向こうからも私の部屋が丸見えであり、私は入居早々に極力カーテンを閉めて過ごす決意をした。) その向かいの部屋の窓の横には、シャワー室であろう場所の窓。私の部屋のシャワー室には窓がないが、棟によってはある部屋があるようだ。そして私は今日の夕方、ふとカーテンを開けたときに目撃してしまった。
シャワー室の窓に映る、確実にキスをしているであろう2つの人影を。
公共施設で人目を憚らずイチャつくカップルを目にすることなど日常茶飯事であるが、シャワー室の窓越しのそれとなると、話は別である。見てはいけないものを見てしまったような気がする。
おもしれーー世界!!!!!!
速攻でカーテンを閉めた。やっぱりカーテンはなるべく閉めたままで暮らそう。
