「両方とも正本です」という衝撃答弁ーー信頼は検証可能性から生まれる【第4回】
前回の記事では、二人の市民に対し、内容や様式の異なる「いじめ対策委員会記録」が開示されていた問題について整理しました。
同じ日付なのに内容が違う
第4回分だけ一方には存在しない
回数表記が存在しない
など、極めて不可解な差異が確認されました。
では、教育委員会はこの問題をどのように説明したのでしょうか。
今回は、生活文教委員会における実際の答弁内容について書きます。
「内部統制を強化しているから大丈夫」だったはずが
前回の記事では、個別外部監査制度導入を求める条例改正案が総務委員会で否決された際、市側が、
「内部統制を強化している」
ことなどを理由として挙げていたことを書きました。
しかし翌日の生活文教委員会では、その「内部統制」が本当に機能しているのか、根本から問われる状況が次々と明らかになりました。
伊藤は、この問題が単なる学校現場の事務ミスではなく、「行政は本当に内部だけで自己検証できているのか」という問題に直結していると考えています。
「どちらが正式な記録なのか」
伊藤は委員会で、まず最も基本的な点を確認しました。
「Aさんに開示された資料と、Bさんに公開された資料、どちらが正式な記録なのですか」
これに対する教育委員会の答弁は、
「両方とも正本です」
というものでした。
伊藤は耳を疑いました。
公文書管理において、通常「正本」は一つです。
しかし教育委員会は、内容や様式の異なる文書について、「両方とも正本」であると説明したのです。
「両方とも正本」が意味するもの
通常、公文書管理において「正本」は一つです。
内容や様式が異なる文書について、「両方とも正本」と説明するのであれば、
いつ
誰が
なぜ
どのように
文書が変化したのかを説明できなければなりません。
しかし委員会では、
修正履歴
作成者
差異が生じた理由
について、
「把握していない」
との答弁が繰り返されました。
つまり教育委員会は、
どちらが元なのか
いつ内容が変わったのか
なぜ差異が生じたのか
を説明できないまま、「両方とも正本」と説明していることになります。
その結果、請願者らが「改ざんが疑われる」と問題提起したことにも、一定の理由があるように伊藤には感じられました。
修正履歴も、作成者も「把握していない」
伊藤はさらに確認しました。
作成日
修正履歴
作成者
回数表記が存在しなかった理由
これらについて記録は残っているのか。
しかし返ってきた答弁は、
「把握していない」
でした。
つまり教育委員会自身が、
いつ作成されたのか
誰が作成したのか
なぜ差異が生じたのか
を説明できないということになります。
第4回分が存在しなかった理由
前回も書いた通り、Aさんへの開示資料には、第4回いじめ対策委員会記録が存在していませんでした。
しかし後に、別の請求者には第4回分が公開されています。
伊藤は、
「なぜAさんには第4回分が開示されなかったのか」
を確認しました。
これに対する答弁は、
「学校から出されたものを出した」
というものでした。
つまり教育委員会自身が、
開示対象の確認
内容の真正性確認
欠落の確認
を十分に行わないまま、情報公開が行われていたことになります。
「回数表記がない理由」も説明できない
さらに伊藤は、Aさんへの開示資料に「第〇回」という回数表記が存在しなかった理由についても確認しました。
しかし、これについても、
「把握していない」
との答弁でした。
回数表記がなければ、
「特定回だけ抜けていても分からない」
状態になります。
実際、第4回分はAさんには開示されていませんでした。
それにもかかわらず、なぜ回数表記が存在しなかったのか、教育委員会は説明できませんでした。
問題は「説明できないこと」
問題は、単に文書が違っていたことだけではありません。
どちらが正式な記録なのか。
なぜ違いが生じたのか。
いつ、誰が、どのように修正したのか。
それを行政自身が説明できないことです。
行政において、公文書とは、「後から検証するため」に存在します。
しかし今回の委員会では、その検証可能性そのものが崩れている実態が浮かび上がりました。
そして皮肉なことに、それは「内部統制を強化しているから大丈夫」という説明の直後に明らかになったのです。
「信頼は検証可能性から生まれる」
伊藤は、改めてその重要性を痛感しています。
