SNSは、近況報告ではなく思考のポートフォリオにもなる
SNSに投稿しているのに、なぜか仕事につながらない。
そんなことを、過去の自分の発信を見返して思うことがあります。
投稿はしている。
人柄も少しは伝わっている。
近況も知ってもらえている。
でも、「この人に相談してみたい」と思ってもらえるほど、自分の考え方は伝わっていただろうか。
そう考えると、少しもったいない使い方をしていたのかもしれません。
子どものこと。
食べたもの。
行った場所。
参加したイベント。
ちょっとした日常のひとコマ。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
親しい人の近況を知れるのは嬉しいですし、その人の知らなかった一面が見えることもあります。
「こんな休日を過ごしているんだ」
「こういうものが好きなんだ」
「意外と家庭的なんだな」
そんな接点が増えることで、距離が少し近づくこともあります。
クローズドな関係なら、近況報告で十分です。
家族や友人、もともと関係性のある人たちに向けた発信であれば、「元気そうでよかった」「楽しそう」「美味しそう」で成立します。
そこでは、情報そのものよりも、その人の今を知れることに価値があります。
でも、オープンなSNSで、さらにビジネスや仕事にもつなげたいと考えるなら、少しだけ発信の考え方を変えた方がよいのかもしれません。
見ている人の多くは、まだ自分との関係性が薄い。
場合によっては、初めて投稿を見た人かもしれません。
その人にとって、日常の断片だけを見せられても、受け取り方は難しい。
「楽しそうですね」
「いいですね」
で終わってしまう。
そこから先に、なかなか進まないのです。
ビジネスでもSNSでも、フォローされたい、共感されたい、仕事につなげたいと思うなら、ただ「ありのままの自分」を正面から出すだけでは足りないのだと思います。
大事なのは、自分を隠すことではありません。
自分を飾ることでもありません。
自分の中にあるものを、相手が受け取りやすい形に翻訳することです。
たとえば、子どもの話をするなら、単なる成長記録で終わらせない。
「人に教える難しさに気づいた話」
「期待値を勝手に置いてしまう自分に気づいた話」
「相手の理解度に合わせて伝え方を変える大切さを感じた話」
そんなふうに少し視点を変えるだけで、読み手は自分の仕事や人間関係に引き寄せて読むことができます。
食べたものの話も同じです。
「これを食べました」だけでは、近況報告です。
でもそこに、
「なぜこの店には人が集まるのか」
「価格以上に記憶に残る体験とは何か」
「接客のどこに安心感があったのか」
という視点が入ると、日常の出来事が、仕事にも通じる学びに変わります。
いつも完璧に意味づけできるわけではありません。
ただ美味しかったラーメンの写真を載せたい日もありますし、深いことを考えずに「今日は良い日だった」と書きたい日もあります。
それはそれで、あっていいと思います。
ただ、オープンな場で仕事にもつなげたいなら、日常をそのまま置くだけでなく、そこから少しだけ意味を取り出す意識が大切なのだと思います。
そして、この「日常から意味を取り出す発信」が一番効果を発揮するのは、実は組織に所属している人かもしれません。
会社員や組織人は、発信がふんわりしがちです。
会社名や肩書きを背負っている以上、具体的な案件や数字、社内の事情には触れにくい。
何かを書けば、それが会社の方針に見えてしまうかもしれない。
機密に触れてしまうかもしれない。
誰かを批判しているように受け取られるかもしれない。
そう考えると、無難な投稿に寄っていくのは自然なことです。
食事、風景、家族、イベント参加、読んだ本、抽象的な学び。
そうした発信が多くなるのは、ある意味では組織人としての防衛反応なのかもしれません。
でも、ここでもやはり、もったいないと思うのです。
具体的な案件名を出さなくても、仕事の考え方は出せます。
社内事情を書かなくても、物事の見方は表現できます。
実績を誇らなくても、判断軸は伝えられます。
「この人は、問題をどう捉える人なのか」
「何を大事にして判断する人なのか」
「複雑な話を、どう整理する人なのか」
「人や組織のすれ違いを、どう見ている人なのか」
「失敗や違和感から、何を学ぶ人なのか」
こうしたものは、個別の機密に触れなくても十分に発信できます。
むしろ、具体的な成果物を出せない人ほど、考え方を見せることに価値があるのではないでしょうか。
思考のポートフォリオとは、実績そのものを並べることではありません。
自分のものの見方や、判断の仕方が少しずつ蓄積されていくことです。
近況報告では、その人の生活が見えます。
でも、考え方の発信では、その人の仕事ぶりが想像できます。
ここには大きな違いがあります。
「楽しそうな人」
「感じのいい人」
「充実していそうな人」
で止まるのか。
それとも、
「この人は、こういう視点で物事を見る人なんだ」
「このテーマなら相談できそうだ」
「一緒に仕事をしたら、こういう整理をしてくれそうだ」
と思ってもらえるのか。
SNSを仕事に活かすうえで、この差はとても大きいと思います。
もちろん、すべての投稿を仕事っぽくする必要はありません。
日常の投稿があってもいい。
柔らかさや人柄が見えることも大切です。
むしろ、仕事の話ばかりでは、その人らしさが見えにくくなることもあります。
大切なのは、日常を消すことではありません。
日常に、自分の見方を少し添えることです。
「何をしたか」だけでなく、
「そこから何を感じたか」。
「どこに行ったか」だけでなく、
「なぜそれが印象に残ったのか」。
「誰と会ったか」だけでなく、
「その時間から何を考えたのか」。
そこまで書くと、投稿は単なる記録ではなくなります。
自分の思考の跡になります。
判断軸の蓄積になります。
そして、少しずつ信頼の材料になっていきます。
SNSは、近況報告にもなります。
でも、それだけで終わらせるには、少しもったいない。
日々の出来事を、自分の視点で言葉にする。
経験を、相手にも受け取れる形に変換する。
自分の考え方を、少しずつ積み重ねていく。
そう考えると、SNSは単なる発信の場ではなくなります。
自分が何を見て、何を感じ、どう考える人間なのかを静かに示していく場所になる。
近況報告を否定する必要はありません。
日常をきれいに飾る必要もありません。
ただ、その出来事の奥にある自分の視点を、少しだけ言葉にしてみる。
その積み重ねが、いつか誰かにとって、相談してみたい理由になる。
一緒に仕事をしてみたい理由になる。
もう少し話を聞いてみたい理由になる。
SNSは、近況報告ではなく、思考のポートフォリオになる。
そう考えると、毎日の小さな投稿にも、まだまだできることがありそうです。
