資料の完成度と、理解度が一致しなくなった
「かなりしっかりした提案依頼書ですね」
営業担当から共有された資料を開いたとき、最初にそんな言葉が出た。
プロジェクトの背景、現状の課題、サイトリニューアルの目的、ターゲット、必要な機能、セキュリティ、分析環境、スケジュール、予算、提案時に求める内容まで、一通り整理されている。
数十ページに及ぶ資料は体裁も整い、必要そうな論点も網羅されていた。
「ここまで要件がまとまっているなら、すぐに提案準備へ入れそうですね」
社内の空気も、自然とそうなった。
戦略担当は市場と競合の分析を始め、デザイナーはコンセプトを考え、エンジニアはシステム要件を確認する。
営業は各担当者にページを割り振り、提案日から逆算してスケジュールを引いていく。
回答期限は短い。
資料に書かれている内容を前提として、提案を組み上げるしかない。
けれども、読み進めているうちに、少しずつ違和感が出てきた。
あるページでは、現場で起きている問題が非常に具体的に書かれている。
カテゴリが細かく分かれすぎて、ユーザーがどこから探せばよいかわからない。
ジャンルごとにサイトが分断され、企業全体の強みが伝わっていない。
更新作業が属人化し、担当者が変わるたびに運用が止まる。
その言葉には、実際に困ってきた人の感触がある。
何度も同じ問い合わせを受けたこと。
目的のページへたどり着けないユーザーを見てきたこと。
更新したくても、社内の誰に頼めばよいかわからなかったこと。
現場で積み重なった痛みが、文章の奥に見える。
一方で、別のページになると、急に言葉が抽象的になる。
パーソナライズされた顧客体験を実現する。
データドリブンなマーケティング基盤を構築する。
拡張性と柔軟性を備えたシステムを採用する。
最新のセキュリティ水準を担保する。
書かれていること自体は、どれも間違っていない。
むしろ、正しいことばかりである。
ただ、「なぜ必要なのか」「どこまで必要なのか」「何をもって成功とするのか」が見えてこない。
似た表現が、少し言葉を変えながら何度も繰り返されている。
異なるテーマを扱っているはずなのに、文章の構造や言い回しが不思議なほど似ている。
具体的な困りごとから生まれた言葉と、まだ自分たちの言葉になりきっていない言葉。
同じ資料の中で、情報の濃さに大きな差があった。
そこで、ふと思った。
この資料は完成しているように見える。
しかし、ここに書かれていることは、本当にすべて理解され、社内で合意されているのだろうか。
AIは、人の力量を超えた資料を作れる
AIを使えば、自分が詳しくない領域についても、一定水準の文章を作れるようになった。
サイト開発に必要な観点を聞けば、戦略、マーケティング、情報設計、デザイン、システム、セキュリティ、データ分析、運用体制、スケジュール、予算まで、必要そうな項目を並べてくれる。
それらしい要件定義書も、提案依頼書も作れる。
これは、本来とても便利なことだと思う。
これまで専門家に依頼しなければ整理できなかったことを、自分たちで考え始められる。
抜け漏れを減らし、社内で議論するためのたたき台も作れる。
すべてを理解してから、専門家に相談する必要はない。
わからないからこそAIを使い、考えるための材料をそろえることには、大きな価値がある。
発注側も、できる限りよい情報を渡したいと思っている。
受注側に丸投げせず、自分たちなりに課題を整理し、必要な要件を漏れなく伝えたい。
その真面目さや熱意によって、資料は以前よりもはるかに整うようになった。
ただし、ここに一つ、見落としやすい問題がある。
AIを使うことで、資料の完成度と、作成者の理解度が一致しなくなった。
以前は、資料の粗さを見れば、発注側の整理状況をある程度推測できた。
目的が曖昧なら、まず目的を一緒に考える必要がある。
要件が不足しているなら、提案前にヒアリングを重ねる必要がある。
資料の未完成さは、対話が必要であることを教えてくれていた。
ところが今は、まだ十分に理解していないことも、整った文章として表現できる。
専門用語が並び、論点が網羅され、文章も読みやすい。
受け取った営業担当は、「しっかりした依頼書をいただいた」と判断する。
制作側も、「ここまで書かれているなら、社内で議論され、合意されているのだろう」と考える。
そして、書かれている項目を実現するための提案づくりを始める。
しかし、資料に書かれていることと、社内で決まっていることは、同じとは限らない。
正しいことが、優先順位なく並んでいる
AIによって一見完璧に整えられた依頼書には、もう一つ特徴がある。
書かれていることは、一つひとつ見ると正しい。
ユーザー体験は改善した方がよい。
検索性も高めた方がよい。
データ活用も進めた方がよい。
セキュリティも強化した方がよい。
運用負荷も下げた方がよい。
将来の拡張性も確保した方がよい。
どれも否定しにくい。
AIに相談すれば、必要な観点を漏らさないために、できるだけ広く項目を挙げてくれる。
発注側も、後から「重要な要件が抜けていました」と言われたくないため、できる限り資料へ盛り込もうとする。
けれども、すべてを同時に実現できるとは限らない。
予算には上限があり、スケジュールにも期限がある。
社内の意思決定や運用体制にも制約がある。
本来、要件を決めるということは、必要なものを並べることではない。
限られた条件の中で、何を優先し、何を後回しにし、今回は何を見送るのかを決めることである。
AIは、必要そうなものを網羅するのは得意だ。
しかし、「自社にとって何が最も重要か」という判断までは、自動的には決めてくれない。
その結果、必須要件と希望要件が混ざったまま、すべてが同じ重さで並ぶ。
受注側は、依頼された以上、できるだけ誠実に応えようとする。
依頼書に書かれた内容を取りこぼさず、専門家として可能な限りよい提案を返そうとする。
提案書のページ数は増え、見積金額も上がり、スケジュールも長くなる。
するとクライアントから、
「ここまで大掛かりなものは想定していませんでした」
と言われる。
受注側としては、依頼書に書かれていることへ真面目に回答しただけである。
発注側としては、すべてを実現したいのではなく、「検討すべき項目」として挙げただけかもしれない。
発注側は、できるだけ完璧な情報を届けようとした。
受注側は、示された要件へできるだけ完璧に応えようとした。
誰かが嘘をついたわけでもない。
誰かが手を抜いたわけでもない。
むしろ、双方が真面目に取り組んでいる。
それでも、完成度の高い資料を間に置くことで、静かにボタンの掛け違いが始まる。
提案時よりも、プロジェクト開始後に問題が起きる
提案段階では、このずれが表面化しないことも多い。
提出された提案書もAIで整理され、依頼書の各項目に漏れなく回答している。
発注側も、AIを使って提案書を比較し、採点するかもしれない。
要件に答えているか。
必要な機能が盛り込まれているか。
スケジュールに無理がないか。
評価項目に沿って比較すれば、一見、合理的に選定できる。
しかし、本当の問題はプロジェクトが始まってから起きる。
たとえば、依頼書に「ユーザーごとに最適化された情報提供を行う」と書かれていたとする。
受注側は、会員データや閲覧履歴を使ったパーソナライズ機能を想定し、システム構成や運用方法を設計する。
ところが、実際に確認すると、ログイン利用者はごく一部だった。
活用できるデータも整理されていない。
出し分けるためのコンテンツを誰が作るのかも決まっていない。
「パーソナライズ」という言葉は資料にある。
けれども、それによって誰に何を届け、どの成果を改善したいのかは決まっていなかった。
「この機能は、なぜ必要なのでしょうか」
「依頼書に書いてあるので、当然含まれていると思っていました」
「そこまでの予算は想定していません」
「では、どこまでを優先しますか」
「それはこちらでは判断できません」
要件として書かれていたのに、必要性を説明できる人がいない。
全社的なデータ活用を求めているのに、どのデータを誰が使うのか決まっていない。
将来の拡張性を重視しているのに、将来どのような事業展開を想定しているのか共有されていない。
やがて、発注側は「こちらの意図を理解してくれない」と感じ始める。
受注側は「要件が途中で変わった」と感じる。
AIがプロジェクトを壊すのではない。
AIが埋めた空白を、人間同士の理解や合意だと勘違いしたときに、プロジェクトが苦しくなる。
資料の内容ではなく、理解の濃淡を読む
だからこれからは、依頼書に何が書かれているかだけでなく、その文章の向こう側を読む力が必要になる。
どの部分は、実際の経験から書かれているのか。
どの部分は、現場で本当に困っていることなのか。
どの部分は、経営として実現したいことなのか。
どの部分は、他社事例やAIの回答から入ったものなのか。
どの部分は、まだ社内で議論されていないのか。
現場の痛みから生まれた言葉には、具体性がある。
「問い合わせ先が多すぎて、ユーザーが迷っている」
「更新のたびに、特定の担当者へ依頼しなければならない」
「複数の事業を行っているのに、会社全体の価値が伝わっていない」
そこには、解決したい理由がある。
一方で、まだ自分たちの言葉になっていない領域は、どうしても概念的になる。
「顧客体験を最適化したい」
「データを活用したい」
「拡張性を高めたい」
決して間違っているわけではない。
ただ、その言葉に、まだ具体的な場面や判断基準が結びついていない。
その状態で受注側がどれだけ細かく分析し、優れた提案を組み上げても、発注側が価値を判断できないことがある。
そこでは、答えを磨く前に、問いを共有する必要がある。
「この中で、絶対に実現したいことは何ですか」
「今回、最も解決したい問題は何ですか」
「この要件が必要だと考えた背景を教えてください」
「予算や納期との兼ね合いで、優先順位を下げられるものはありますか」
「プロジェクトが成功したとき、社内では何が変わっていますか」
これらは、相手の準備状況を検証するための質問ではない。
資料の行間にある、本当の困りごとや期待を一緒に紐解くための質問である。
クライアント自身が、まだうまく言葉にできていないこともある。
現場では明確に困っているが、経営課題として整理できていないこともある。
理想はあるが、実現方法まではわからないこともある。
資料に書かれた言葉を一つずつ対話の中で自分たちの言葉に変えていく。
その過程にこそ、専門家が関わる意味があるのだと思う。
AI時代の提案は、正解を返すことではない
これまで提案力とは、依頼された内容に対して、より良い答えを返す力だと思われてきた。
しかし、AI時代にはそれだけでは足りなくなる。
依頼書に書かれた項目をすべて満たすだけなら、提案する側もAIを使えば、一定水準までは作れる。
差が生まれるのは、その前だ。
相手が何に困っているのか。
何を実現できれば、本当に前へ進めるのか。
書かれている要件のうち、何が目的で、何が手段なのか。
今決めるべきことと、プロジェクトを進めながら決めることを、どう分けるのか。
資料の内容に回答するだけでなく、資料が作られた背景まで理解しようとする。
それが、これからの提案に求められる役割なのだと思う。
AIは、人間の力量を超えた文章を作れる。
これまで言葉にできなかった理想を表現し、専門外の領域にも目を向けるきっかけをつくってくれる。
発注側は、以前よりも多くの可能性を検討できる。
受注側も、調査や整理に使っていた時間を減らし、より本質的な議論へ時間を使えるようになる。
資料の体裁を整えることが、特別な能力ではなくなっていく。
だからこそ、その資料を挟んで、何を話すかが重要になる。
完成された資料を、完成された意思決定だと思わないこと。
AIが作った答えを終点にせず、そこから人間同士の対話を始めること。
資料の完成度と、理解度が一致しなくなった時代。
だからこそ、資料を読む力以上に、その向こうにいる人を理解する力が大切になる。
依頼書に正しく答えるだけではなく、まだ言葉になっていない目的を一緒に見つける。
資料が人の理解を追い越した今、最後にプロジェクトを前へ進めるのは、やはり人と人との対話なのだと思う。
