2031年、持っているものでは自分を語れなくなる
2031年。
久しぶりに会った友人と話していて、ふと思った。
車はリース。
家は賃貸。
家具の一部はサブスク。
服は必要なときだけレンタルする。
映画も音楽も本も、ほとんどデータで利用している。
毎日使っているものはたくさんある。
けれど、その中で本当に「自分のもの」と言えるものが、どれくらいあるのかはよく分からない。
昔なら、持ち物を見ると、その人のことが少し分かった。
どんな車に乗っているか。
どんな家に住んでいるか。
どんな服を着ているか。
家にどんな本やCDが並んでいるか。
持ち物には、その人の趣味や価値観、生活水準まで映っていた。
けれど2031年には、その境界がずいぶん曖昧になっている。
所有していなくても、使える。
必要な期間だけ借りることもできる。
気に入らなければ交換できる。
「持つこと」と「使うこと」は、以前ほど同じ意味ではなくなった。
振り返れば、2026年にもその兆しはすでにあった。
動画や音楽はサブスクが当たり前になりつつあり、車にはカーシェアやリースがあり、服や家具にもレンタルサービスが広がっていた。
所有から利用へ。
この変化は、よく語られていた。
ただ、本当に変わるのは、モノの持ち方だけではないのかもしれない。
持たなくても使えるようになると、
「何を持っているか」
だけでは、その人らしさが見えにくくなる。
では代わりに、何がその人を表すのだろう。
私は、
「何に時間を使っているか」
なのではないかと思う。
私たちの時間には、自分で使い道を決めにくいものが多い。
仕事。
通勤。
家事。
買い物。
手続き。
移動。
ここでは仮に、これを「固定時間」と呼んでみる。
AIや自動化、オンライン化、サブスク、代行サービスが広がるほど、この固定時間は少しずつ圧縮されていく。
すると増えるのは、単なる「暇」ではない。
自分で使い道を決められる時間だ。
学ぶのか。
遊ぶのか。
誰かと過ごすのか。
何かをつくるのか。
何もしないのか。
その選び方に、その人らしさが表れる。
考えてみれば、自由時間だと思っていた時間まで、何かのために使っていた。
たとえば休日。
「月曜日からまた仕事だから、今日はゆっくり休もう」
そう考えて過ごす休日は、本当に完全な自由時間なのだろうか。
もちろん、休むことは大切だ。
ただ、翌週の仕事に備えて回復することが目的なら、その時間も仕事と無関係ではない。
本人は休日だと思っている。
けれど実際には、仕事を続けるための準備時間でもある。
私はこういう時間を、
「ステルス固定時間」
と呼んでもいいのではないかと思う。
通勤も、身支度も、回復のための休息も。
会社員として働く時間は、勤務時間だけでは測れなかった。
人生のかなり大きな部分が、仕事を中心に配置されていたのだと思う。
2031年。
仕事はなくならない。
働くことの意味もなくならない。
ただ、
これまでは、仕事のまわりに人生を配置していた。
これからは、
人生の中に仕事を配置する。
そんな感覚が少しずつ広がっているかもしれない。
仕事のために残りの時間を整えるのではなく、
自分は何に時間を使いたいのかを先に考える。
その中に、仕事も置いていく。
そうなると、豊かさの意味も変わる。
大きな家を持っていることでも、
高価な車を持っていることでも、
たくさんのモノに囲まれていることでもない。
必要なものを必要なときに使えて、
そのうえで、
自分の時間の使い道を、自分で決められること。
それが、新しい豊かさになるのかもしれない。
2031年。
何を持っているかを聞いても、その人のことはよく分からない。
けれど、
何に時間を使っているかを聞けば、
その人が何を大切にしているのかは、少し分かる。
豊かさとは、
たくさん持つことではなく、
自分の時間を、自分で選べることなのかもしれない。
