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やりたいことを、名詞ではなく動詞で持つ

私は今でも、何になりたいのか、よく分かりません。

けれど、何をしていたいのかなら、少し分かります。

考えたい。
見立てたい。
言葉にしたい。
人と人の間をつなぎたい。
誰かが前へ進むための足場をつくりたい。

これまで明確な夢から逆算して、キャリアをつくってきたわけではありません。

その時々で目の前にあった仕事を引き受け、必要なことを覚え、面白そうな方向へ進んできました。

職種も、立場も変わりました。
会社員から独立もしました。

けれど、「最初からこれを目指していました」と説明できるような、一本の道があったわけではありません。

以前は、そんな自分を少し不安に思っていました。

本当にやりたいことがないのではないか。
夢が明確な人に比べて、方向の定まらない人生を歩いているのではないか。

けれど最近、少し違う見方をするようになりました。

私は、やりたいことを名詞で持っていないだけなのではないか。

名詞ではなく、動詞で持っているのではないか、と。

「何になりたいか」で夢を考える

「将来、何になりたいですか」

子どもの頃から、私たちは何度も聞かれてきました。

歌手になりたい。
作家になりたい。
漫画家になりたい。
インフルエンサーになりたい。
社長になりたい。
経営者になりたい。

多くの場合、私たちは職業や肩書き、つまり名詞で答えます。

名詞は分かりやすいからです。

聞く側も理解しやすい。
目標として掲げやすい。
そのために何を学び、どんな道を進めばよいのかも考えやすい。

けれど、名詞を動詞に戻してみると、その人が本当に望んでいることが見えてきます。

歌手になりたいのか、歌いたいのか

「歌手になりたい」という夢の奥には、いくつもの動詞があります。

歌いたい。
声で誰かの感情を動かしたい。
自分を表現したい。
人前に立ちたい。
誰かに聴いてもらいたい。

作家になりたい人なら、

書きたい。
物語をつくりたい。
自分の考えを残したい。
読んだ人の見方を少し変えたい。

社長や経営者になりたい人なら、

決めたい。
事業をつくりたい。
人が働く場所をつくりたい。
責任を引き受けたい。

インフルエンサーになりたい人なら、

発信したい。
人を集めたい。
誰かの選択に影響を与えたい。

同じ名詞を目指していても、その奥にある動詞は人によって異なります。

歌手になりたい人が、必ずしも歌うことだけを望んでいるとは限りません。

表現したいのかもしれない。
注目されたいのかもしれない。
誰かの心を動かしたいのかもしれない。

名詞だけでは見えなかった違いが、動詞にすると見えてきます。

動詞は、今日から始められる

名詞で夢を持つと、「なれたか、なれなかったか」という境界ができます。

歌手になれた。
作家になれなかった。
社長になれた。
経営者として成功できなかった。

肩書きを手に入れたかどうかで、夢の成否が決まってしまうことがあります。

けれど、動詞は今日から始められます。

歌手になっていなくても、歌うことはできます。

作家と呼ばれていなくても、書くことはできます。

社長でなくても、意思決定を引き受けることはできます。

経営者でなくても、誰かと仕事をつくり、価値を生み出すことはできます。

名詞は、誰かに認められなければ手に入らないことがあります。

出版社から本を出せば作家なのか。
会社を登記すれば経営者なのか。
フォロワーが何人いればインフルエンサーなのか。

その境界は、意外と曖昧です。

けれど、

書いているか。
つくっているか。
伝えているか。
決めているか。

それは、自分で始められます。

動詞は、肩書きよりも先に動き出せます。

肩書きを手に入れても、やりたいことができるとは限らない

もちろん、名詞で夢を持つことが悪いわけではありません。

目標が明確になり、努力する方向も決めやすくなります。

ただ、名詞だけを追いかけていると、その肩書きで何をしたかったのかを見失うこともあります。

作家になったのに、書きたいものを書けないという悩みを抱えることがあるかもしれません。

歌手になったのに、歌うことが苦しくなることもあるかもしれません。

社長になったのに、思うように決められないというジレンマに陥ることもあります。

インフルエンサーになったのに、伝えたいことより、数字が伸びることを優先せざるを得なくなることもあります。

肩書きを手に入れることと、やりたかったことができることは、必ずしも同じではありません。

反対に、目指していた名詞になれなくても、動詞は残ります。

作家になれなくても、書き続けることはできます。

社長を辞めても、事業を考え、人を支えることはできます。

名詞を失っても、動詞まで失う必要はありません。

名詞で答えられない人生

私は今も、「結局、何をしたいのですか」と聞かれると、うまく答えられません。

コンサルタントになりたい。
作家になりたい。
経営者になりたい。

そうした名詞のどれか一つに、自分を決めたいとは思っていないのかもしれません。

けれど、動詞で振り返ると、これまでの人生にも一定のつながりが見えてきます。

考える。
見立てる。
言葉にする。
人と人の間をつなぐ。
新しい景色を見せる。
仕事の面白さを伝える。

職業や業界は変わっても、私は似たことを繰り返してきました。

チームに、これまで見えていなかった選択肢を示したい。

目の前の仕事にも、まだ面白くできる余地があると伝えたい。

そのために、複雑なものを整理し、違和感を言葉にし、人と人の間をつないできたのだと思います。

自分では、行き当たりばったりに仕事を選んできたつもりでした。

けれど、名詞ではなく動詞で見れば、そこには思っていた以上の一貫性があります。

名刺に書かれた肩書きは変わっても、していることは、それほど変わっていなかったのです。

「何になりたいか」が分からなくても

やりたいことが分からない。

将来の夢がない。

何を目指して生きればよいのか、はっきりしない。

そんなとき、無理に名詞を探さなくてもよいのかもしれません。

何になりたいかではなく、何をしていたいか。

どんな時間を増やしたいか。
誰に頼まれなくても、つい続けてしまうことは何か。
何をしているとき、自分が少し自然でいられるか。

そこから考えてみる。

書きたい。
つくりたい。
教えたい。
支えたい。
整えたい。
届けたい。

動詞は、一つでなくても構いません。

途中で変わってもよい。
増えてもよい。
しばらく分からなくなってもよい。

名詞は、名刺に書けます。

けれど、名刺に書かれた肩書きが、その人の人生のすべてではありません。

名刺には書けなくても、何度も繰り返してきた動詞がある。

その動詞の中に、自分がどちらへ進みたいのかを知る手がかりがあるのだと思います。

何になりたいかは、今も分からない。

けれど、何をしていたいかなら、少し分かる。

それだけでも、人生は案外、前へ進んでいけるのかもしれません。

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