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意識の成長と霊的な目覚めへの扉を開くのは謙虚さです。

意識の成長と霊的な目覚めへの扉を開くのは謙虚さです。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P377

最上の霊的な目標に向かって献身することによって、自我エゴの欠陥が浮上してくる傾向がありますが、それは当然のことと言えるでしょう。欠陥は、生得的自我エゴの構造の中に組み込まれているものなので、個人的にとらえるべきではありません。自我エゴは本来の”あなた”ではありません。人間としての生を受ける一部としてあなたが受け継いだものです。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P241 

更に厳しく追及すれば、プライドは自己存在の「至高の源」としての神に献身することを拒否する姿勢でもあると言えます。つまりそれは、支配権をめぐって神を相手に密かに競い合っているということです。
また虚栄心は、謙虚さを否定することでもあります。というのも、自我エゴは謙虚さを、降伏や劣等感、あるいは屈辱だと誤解しているからです。本当の謙虚さは、屈辱感とは無縁です。誤った謙虚さも、同じ誤解から生じています。真の謙虚さは、正確な評価から生まれ、そこに価値づけはされません。真に謙虚で的確な科学者は、理論を含めた科学的研究方法の長所と短所、限界をしっかりと認識しています。真の謙虚さを持つ人は、たとえ偉大な功績を上げたとしても、うぬぼれずに深い満足感を得ることができます。したがって、謙虚さを装った虚栄心を持たずに、素直に賞賛を受けることができます。
虚栄心に対する解毒剤は、報恩、感謝、そして満足感です。真の謙虚さは、プライドを介さなくても、事実をただ事実として伝えることができます。謙虚さを持ちながら、少なくとも今は、自分がその分野において最高の偉大な功績を上げたことについて、「はい」と認めることができます。ところが、それに肥大化した自我エゴが介在すると、謙虚であるべきだということで、見せかけだけの謙虚さを示します。プライドをひけらかさなくても、世間は素晴らしい実績とその偉大さ、立場を評価してくれます。本当に偉大であれば、うぬぼれなくても、相応の地位と成果を受け取ることができます。そのためわたしたちは、個人的な自己を役割や地位、職務から切り離さなければなりません。自己陶酔的な自我エゴが肥大化したプライドが基盤となった人格は、往々にして自らの実績とは無関係に、”資格のある”態度をとるようになります。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P243

伝統的に、自我エゴのプログラムを捨て去るのは非常に辛く困難で、達成するためには何度も生まれ変わらなければならないと言われています。逆に、きわめて深いレベルで神にすべてを明け渡すという意志と謙虚さを持てば、一瞬のうちに実現します。つまり、覚醒への道は、ゆっくりとしたプロセスを経るものと、一瞬のうちに達成されるものがあるのです。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P379 

【Q:マインドを超えると何が待っているのでしょうか?】

A:主観的な気づき、それだけです。それは、思考や感情、イメージなどのいかなるコンテント内容/中身も持たず、どこまでも静寂で安らかで揺るぎなく、「存在するすべて」です。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P380

【Q:自我エゴが取り除かれると、真理がおのずと姿を現すと言いますが、どのようにそれを達成できるのでしょうか?】

A:いくつかのシンプルなことをすればよいのです。まず、真実のあなたはマインドではなく、マインドが信じたり感じたりすることでもないという事実を受け入れることです。確かにマインドは素晴らしい機能だが、本当のわたしではないと見ることで、そこから解放されるのです。マインドを”わたし”と言う代わりに、”それ”と言うようにしてください。本当の”あなた”は、マインドに先んじています。真実の「自己」本当のわたしは、コンテクスト文脈/状況なのです。
パーソナルコンピュータのように、記憶はたくさんの情報を蓄積しているために、うぬぼれて自らを過大評価しています。けれども実際は、大量の概念のプログラムを保存しているだけで、そこに「真実」はありません。言い換えれば、それは幻想の貯蔵庫にすぎないのです。そこに価値を置くのをやめてください。そこに関心やエネルギーを注いではなりません。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P380

【Q:それでは、人は個人的なアイデンティティを奪われたまま、取り残されてしまうのではないですか?】 

A:はい、「本当のわたしは、いったい誰、もしくは何なのだろう?」という問いとともに取り残されます。「汝を知れ」という格言は、誤解を招きます。というのも、ほとんどの人は、もっとよく自我エゴコンテント内容/中身の詳細を知れという意味に受け取ってしまうからです。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P381

【Q:どうして自我エゴはこんなにも克服するのが困難なのでしょうか?】

A:人は自我エゴの中毒となり、そのコンテント内容/中身に気を取られてしまうからです。自我エゴは、人の関心をすべて惹き付けるので、わたしたちはマインドと感情の虜になってしまいます。マインドとそのコンテント内容/中身を本当の”わたし”だと信じてしまえば、そこに焦点を置くのは当然です。しかし、それは無知さゆえの誤りです。マインドは、ハラハラドキドキする好奇心でいっぱいの、一大アミューズメントパークです。また、感情と社会的アイデンティティのドラマを繰り広げる不条理劇場です。それは、個人としてキャラクター化したり、脚色したり、実演したりみせる”見世物”なのです。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P381

【Q:ほとんどの人にとって、”自我エゴを取り除く”ことは、ネガティブ性やプライドを取り除くことを意味しているようですが。】

A:ほとんどの場合はそうです。霊的な探究を始めた当初は、人は自らのネガティブな性質や反応を見つけては困惑します。けれども、単に人間性の中の動物的反応の名残であると見て、気にしなければよいのです。猿の王国で繰り広げられる縄張り争いは、領土をめぐって争う交戦国のそれと変わりありません。けれども、争いが続けば負けることを知って撤退する分、猿の方が賢いと言えるでしょう。象の群れは190に、パンダは185、キリンは180、猿の集団は125に測定されますが、近年の中東は75です(猿の方が賢いということです)。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P381

真の謙虚さは、プライドを介さなくても、事実をただ事実として伝えることができます。ということができるようになりたいなと思って、復習してみました。

見える化した最初の入り口
新ユニット(夫婦ユニットひさきょん+TOMO)

今回が165本目の記事です。数霊/かずたまで、165は全知全能。神は、全知全能165にして、遍在へんざいである。


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