あの子は、
あの子のことが好きだった。
笑った顔が好きだった。
歯に矯正器具が見えるのが好きだった。
私の名前を呼んで、手を振ってくれるのが好きだった。
髪をなびかせて走る、あの横顔が好きだった。
前を歩く私のことを、指でつついて振り向かせてくるのが好きだった。
お弁当を食べる私のことを、目の前のイスに座って眺めてくるのが好きだった。
でも、私はその感情を、いつまでも自分自身で受け入れられずにいた。
私の眼差しは、濁っているから。
*
例会から帰り、自室の椅子にもたれる。
手元にはロルバーンのメモ帳とA4のコピー用紙一枚の参考資料がある。
それらを読み返して、不明な点を自分で浅く調べた限り、人間の神経細胞内における信号伝達は、細胞膜の内と外の電位差が変化することによって生じるそうだ。
細胞膜には、膜を通じたイオンの移動に関わるポンプ、漏洩チャネル、電位依存性チャネルがある。ポンプはATPを消費して膜の内外におけるイオンの濃度勾配を維持する。そして漏洩チャネルを通してイオンがつねに拡散されることで、静止状態の膜電位が生み出される。
活動電位は、電位依存性チャネルの活性化によってイオンの透過性が瞬間的に変化することで生み出される。それが次々に伝わっていくかたちで信号は細胞内を進んでいく。一度活性化したチャネルはすぐ不活性化するため、信号は一方向に進む。
この伝導の速さは、神経細胞を取り囲む絶縁体である髄鞘の有無によって大きく異なる。髄鞘をもつ有髄線維は跳躍伝導とよばれる特殊な伝導を行うため、無髄線維よりも伝導が高速だが、髄鞘がある分スペースを取る。
怪我などで末梢神経の線維が切れると、細胞体で合成したタンパク質が軸索を通して運ばれ、上手くいけば軸索を取り囲むシュワン細胞の誘導によって適切な標的へと再び紐付く、とのことらしい。
「この人体が、水とおにぎりで動くんです」
発表者の言葉が蘇る。
会議室でこれらの説明がなされるのを聴いていた私は、なぜイオンの濃度差によって電位が生まれるのだろう、跳躍伝導とやらはどういう理屈なのだろう、チャネルとチャンネルは違う言葉なのだろうか、「シュワン」は漢字でどう書くのだろうか、などといった疑問ばかりで脳内を埋め尽くしていた。
それでも唯一理解できたのは、人間の身体はずいぶん見事に作られているらしいということだった。
そして、悲しい気分になった。
自分が生きていることが悲しくなった。
水とおにぎりだけで生きていくのは現実的ではない。私は野菜や肉や魚を食べて生きている。それらは私と同じように生きている存在で、私はかれらを殺して生きている。
私の身体は精巧な機械だ。私の自我とは関係なく作動する獰猛で狡猾なシステムの体系だ。
偶然に生まれた生命に、目的なんかあるはずがない。この機械は目的も意味も持たず、ただ作動し続けている。
目的のない私という生命のために、数えきれないほどの命が犠牲になっている。
今のところ私は、それを黙って眺めているだけだ。
何のために。
一体何のために、私は生きているのか。
*
中学三年の三月。卒業が迫るころ、若い先生が私たちに話をした。
「みんなは、何のために生きてる?
そんなこと言われても、生きてるから生きてるんだよとか、ゲームがしたくて生きてるだけだとか、パッと思いつくのはそういう答えかもしれないけど、でも本当は違うよね。
みんなは、幸せになるために生きてるんだよね」
幸せ。
私は、その言葉が私の心の仄暗い部分にヴェールを被せているのを知っていた。
そうだ、幸せだ。
私は、幸せになりたくて生きている。それは確かなことだった。
幸せというのが具体的に何を指しているのかは問題ではなくて、とにかく重要なのは、私は幸せになるために生きているのだということだった。
それはある意味でトートロジーだった。先生は単に、生きる目的のことを幸せと呼んでいるだけなのかもしれなかった。そうなのだとしたら、幸せになるために生きているというのは、生きる目的のために生きているのだと言っているようなものだった。
でも、だからこそ、それは絶対に揺るがない事実なのだった。
私は幸せになりたい。
心の中でそう呟くと、仄暗い鼓動が起こってその言葉をかき乱した。
私は鼓動に耳を澄ませた。それは冷たい問いだった。
「生まれる前から、幸せになりたかったの?」
*
私は初めから幸せになりたかったわけじゃない。幸せになるために生まれてきたわけでもない。
生まれてきてよかったなんて言葉は口が裂けても言えない。そんなことを口にすれば、私は過去の自分を裏切ることになってしまう。
17歳の頃、私は未来の自分と約束した。今の私が味わっているこの耐えがたい苦しみを、絶対に忘れないようにしようと。
いつか私の精神に安らぎが訪れたとしても、自分の人生を肯定するなんてことは絶対に許さない。こんなにも苦しい人生というものを次の世代へ受け継がせるような真似も、苦しんでいる17歳の私がそれを許さない。そう約束したのだ。
私はその約束を、まだ忘れていない。
私は生まれることを一度たりとも願わなかった。気がついた頃には、私はすでに生きていた。だから、せめてこの無意味なレースを受け入れるために、耐え忍ぶために、私は幸せになることを望むようになったのだ。
生まれてこなければ。生まれてさえこなければ、私はこの蹂躙と迫害のレースを耐え抜く宿命を背負わずに済んでいた。幸せになることを願わずに済んでいた。
けれど私の両親は、私に会うことを願った。
だから、私は生まれてきた。
では、二人はなぜ私に会いたかったのだろう。
かれらを構成する精巧な機械の宿命が、そうさせたのだろうか。
かれらも私と同じように、両親に会うことを望まれて生まれてきたのだろうか。
いずれは私もかれらのように、我が子に会うことを望むようになるのだろうか。
最も大切な約束を破って。
絶えず紡がれてきたこの悪夢のような奇跡は、私たちが精巧な機械である故に、この先もそうして首尾よく維持されていくのだろうか。
ふと考える。
私の両親は、寂しかったのだろうか。
生きることの過酷さと無意味さ、絶え間ない悲しみと無限の苦悩を受け入れて耐え忍ぶために、せめて私に会うことを望んだのだろうか。
二人が幸せになるために、私は生まれてきたのだろうか。
私はこの身で二人のことを、からくも慰めてやれたのだろうか。
我が子。
私とだれかの血を引いた、奇跡の結晶。
永遠の呪いを受け継いだ、精巧な機械。
我が子よ、いったいどんな憎しみで、私のことを眼差すのか?
*
あの子のことが、好きだった。
私はあの子だけを見つめていた。そうすることで私は、やっと生きていられる気がした。
17歳の頃だった。
でも、精巧な機械の宿命はそこで笑っていた。
私があの子に向けていた眼差しこそ、この悪夢のような奇跡を次の世代へと受け渡すために身体に仕掛けられた、おぞましい呪いの所作なのだった。
好きな人に性的な感情を抱くのは、健全なことらしい。
悪いことなんかじゃないらしい。
だから、自分のことを責めたりしないでいいらしい。
でも、そんなの、嘘っぱちだよ。
数え切れないほどの命を踏み台にして生きてきた私は、傲慢にも命のレースを走り切ろうと、あの子に血腥い眼差しを向けていた。生命はいつでもそうやって、その穢れた眼差しによって未来へと引き継がれてきたのだった。
あの子の瞳はいつでもさわやかだった。
そのさわやかさがどこから来ているのか、私にはわからなかった。
私の眼差しに潜む濁った色彩に、あの子は気づいていたのだろうか。
嘘っぱちを信じられないことは罪なのだろうか。
あの子なら、なんて答えただろうか。
瞳のさわやかなあの子は、
大好きだったあの子は、
あの子は、
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